便箋小町

藤 光一

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河童編

16雨上がりはおまかせを(前編)

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「どうやら、舞台は整ったようだ。」

 先程の花火のように広がった爆風により、天空を覆っていた黒い雨雲は消えていた。
代わりにぼんやりと映り込む夏の大三角形を中心に星々が顔を覗かせる。
穿ち続けていたコンクリートに溜まる水溜り。恵みの雨は、もう降る事を無い。
水面を歪ませた波紋も消え失せ、ピタリと止んでいる。
社長のヒールがバチャリと水溜りに突き刺すように浸かる。弾けた水泡は、ふわりと舞う。
重力に沿うように地面へ落ちようとするが、纏った彼女の覇気により蒸発する。
ジュッ、と熱した鉄板に水滴を溢したように蒸発を繰り返している。

「ば、馬鹿者!何をしている!早く、あのキツネを黙らせろ!」

 終始、呆気に取られていた河童達は漸く我に返り状況を把握する。
いち早く気付いた河童の長老は、すぐに号令をかける。一刻も早く止めなければ。
雨の無い今この状況で、社長に動かれては不利になりかねない。そう思ったからだ。
携えた杖を指揮棒のように乱暴に振るい回し、矛先を僕達へと向けている。
だが・・・。

「あぁ、そうだ。だが、二手遅かったな・・・。ご長老。」

 そう、既に社長は動いていた。
長老の側近、つまりトリヤマくんを人質として抱えていた河童のすぐ背後に社長は居た。
素早いとかそんな次元の話ではない。気付いた時には、敵陣の懐に迫っていた。
トリヤマくんを抱える河童の死角、背後からの手刀。
・・・ではなく、背後から河童の皿目掛けて思いっきりブン殴っていた。

「峰打ちなんて、今の私にはそんな加減は出来んぞ。」

 蜘蛛の巣状に粉々となった皿は、破片を溢しながらその河童は倒れ込んだ。
捕えていた者から解放され、社長はトリヤマくんを回収する。

「ぐ・・・き、キツネ風情がぁ!」

 長老の怒号が響き渡る。それは、築き上げた戦略が崩れる音。
丁寧に揃え、積み上げた歯車が歪となって狂い始めた瞬間だ。一度崩れた歯車は回らない。
そして、連鎖して回り続けた他の歯車達も次々に止まり歯軋りを起こす。
苛立ちを添えた長老の額は、雨水とは違う冷や汗を垂れ流し、・・・溢れる。
ほんの一瞬の焦り。油断をしていた訳では無い。長老は常に警戒していた。
だから、その為の保険だった。自分達の防衛の為にトリヤマくんと云う人質を使った。
長老は恐らく知っていた。大雨の中で歪む地面の上では、社長は印を作れない事を。
それが飛川コマチの弱点であると。体勢も万勢であった。雨の加護は、河童達の能力を引き上げる。
テンジョウの一手を許してしまったその唯一の綻び。たった一手の歩が盤面を狂わせる。
積み上げた盤面が崩壊し、塵となって立ち竦む。
社長は、長老の肩へと軽く添えるように叩く。強打ではなく、優しくどこか励ますように。
河童の長老がその動作に気付いた頃には遅かった。社長はもう、そこには居ない。
ナイフのような鋭い突風を巻き起こした頃には、社長は僕の傍らに居た。
速過ぎるんだ。とても常人が目で追える力量ではない。それも少年を抱えたまま、足音を立てる事無く。

「ふむ、魚が速いのは水の中だけだ。水を失った魚は言わずもがなだが。
さて・・・、雨を失った河童どもは、果たしてどうだろうな?」

 少年を抱え、こちらに戻ってきた社長は息一つ乱れていなかった。
そう、彼女はまだ片方の手しか開放していない。つまり未だ本調子では無いという事。

「垂くん、この子を頼む。」

 社長はそう告げると、少年を僕へと預けた。病院の白衣を着た少年の身体は、すっかり冷え切っていた。
でも、浅くではあるが息はある。静かにゆっくりと呼吸をしている。
雨で濡れた身体は、思わず手を話してしまいそうになるほど冷えている。
ずっと眠っていたからだろうか。すっかり痩せた手首は、落ちた小枝のように脆い。
このまま何もせず、尻子玉を戻してしまったら益々体調を崩してしまう。
何か、何か暖かいもので覆ってあげないと。

バサッ。

 目の前に舞い落ちたのは、黒いスーツジャケット。
飛び立つ烏から抜け落ちた羽根のように少年の身体へと覆い被さった。

「少しは、これで辛抱してくれたまえ。回復はテンジョウに任せるといい。」

 先程までずぶ濡れだったはずの彼女のスーツジャケットだった。
けれど、不思議な事に今はふわりと乾いており、仄かに温かいのは何故だろうか。
まるでアイロンで仕立て上げたばかりのように生地が整っており、ほんの少し少年の身体を温める。
きっとこれは、彼女が印を作る事で解放された力が起因しているのだろう。
解放された力が熱波のように体躯から溢れ出し、水分を蒸発させたのか。
その証拠に社長の身体も髪もすっかり乾き切っており、ずぶ濡れの僕らとは正反対だった。

「この子が、トリヤマミズキくん・・・。」

 真っ先にこちらへ駆け寄ったのは、テンジョウではなくコツメだった。
左手には大事そうに尻子玉を握り締め、少年の酷く冷えた掌を掴む。
トリヤマくんは、眠るように目を瞑り微かだが息をしている。
そんな状態を見て、コツメはなんとも形容し難い表情で少年を見つめていた。
申し訳無いと云う気持ち、ようやく逢えたという何処かホッとした気持ち。
プラスとマイナスの感情が入り乱れ、少年の名前を口ずさんだ後は言葉が詰まっていた。
何と声をかければ良いのか、そう一種の戸惑いのような物がコツメの喉にベールを被せている。
感情が露呈しているのか、少年の手を握るコツメは僅かだが脈に波が押し寄せるように震えていた。

「大丈夫。きっと何とかする。」

 そんなコツメを黙って見てられなかった僕は、彼の背中をポンと叩き安堵を促す。
大丈夫、きっと何とか・・・なんてこんな上っ面なことしか言えない。
この仕事で僕が出来る事は少ない。目の前に聳える河童の軍勢と戦う力も無い。
ならせめて、コツメとこの少年をフォローする事くらいなら出来る筈だ。

「うん・・・!」

 コツメは短いながらも強く頷いた。

「大丈夫、うちの社長は失敗したりしないから。」

 そう、あの社長ならきっとやってくれる。あれだけ劣勢だった戦況も今はグラリと傾いている。
今はもう押している。水を失った河童の動きは、気のせいでなければ少しだけ鈍くなっていた。
尚も牙を向ける河童達は、何処か疲弊しているように見えたがこれは一体。
皿は常に濡れている状態じゃないと、河童の身体は正常を維持できないと聞いた事がある。

 いや、ちょっと待てよ。そう言う事か。だから、前回とは違う覇気を社長は出していたのか。
そうだ、周りをよく見ろ。社長の周りを。さっきまで降り続けていた大雨により濡れたコンクリートを。
濡れているどころか湿ってもいない。すっかり乾き切っており、半透明の蒸気が滲み出ている。
これは社長から発している熱波が影響しているのか。

「あなたも悪い人だ。彼らの得意分野を奪うどころか無力化させるなんて。」

 と社長に皮肉混じりな言葉を投げかけたのは、こちらに近寄ってきたテンジョウだった。
社長に視線を送る事なく、トリヤマくんへ社長のジャケットを掛け布団のように被せる。
少年の頭に手を当て、ぶつぶつと何かを唱え始める。すると、優しい光が少年の体を温める。
包み込んだ淡い緑色の光は、傍らにいる僕でさえも心が落ち着くような感覚だ。
そうか、これがケ⚪︎ルか。所謂、回復魔法みたいなやつなのだろう。
素人目でも判る程に、トリヤマくんの血色は良くなり肌に温かみが戻ってきているようだ。
社長達のお陰でゲームや漫画などで見た光景を間近で体験しているのは、貴重と併せて耐性も付いてきた。
だから、僕はこの男が行なっている行動に疑問は持ち合わせなかった。これが普通なのだと。

「きっと、貴様なら逆の事をしていただろうなテンジョウ。」

 逆の事を、と社長は言葉を返す。つまり、テンジョウは別の方法でこの戦況を変えていたと云う事。
彼女は河童達を無力化する為に、雨を無くし更には雨によって満たされた水分を蒸発させた。
けれど彼はその逆。戦いをする中で、敢えて相手を有利に持ち込む戦いを好むのか。
その証拠に社長の表情は、何処か彼を呆れるような眼差しで見ていた。

「買い被り過ぎですよ、コマチさん。ただ、逆境ほど気持ちが高揚するモノは無い。
これだけは認めますがね。」

 テンジョウは両手を上げながらシュラグを振り撒く。
とんでもないとか言いつつも、強ち彼女の放った言葉には偽りはない。
だから、彼もヘラついた表情の瞳だけは笑っていなかった。これでは満足出来ない。
戦いを楽しませろとでも言いたげな目で密かにひっそりと訴えていた。

「戦闘狂め。貴様をサポート役に回して正解だったな。」

「では、答え合わせをしないと・・・ですね。」

「食えん男だな、貴様は。」

 一つ、僕が感じたのはこの二人は何処か似ていたと云う事。
どちらも一筋縄では行かない存在であり、否定と肯定の狭間を絶妙な塩梅で交差させる。
性格や考え方もロジックさえも違えど、辿り着く結論は同じ。そして互いにボロは出さない。
言葉を交わす度に視線をチラリと移しているが、それは確認と云うよりは試しているような。
さて、お前はどう動く?と互いの駒で攻防を繰り返す棋士が対局しているようだ。
どっしりと構えた静かな攻防戦。とは格好良く並べてはみたが、要は負けず嫌いなんだ。

「コォォォツゥゥゥメェエエエエーッ!」

 彼らの話に鈍器で殴りかかるように怒号を飛ばしたのは、河童の長老。
長老は携えた杖を地面へと叩きつけるように放り投げ捨て、怒りをぶつけていた。
その怒号に誰もが振り向く。先程までの落ち着いた面影はなく、鼻息を立て震えていた。
尻子玉を奪還する為に計画を立てたにも関わらず、たった一手で弾き返されたのだ。
怒りを露呈するのも無理はない。

「貴様は、何をしたのかわかっているのか!貴様のたった一つの浅はかな行動で!
軽率極まりない行動で、里の未来を滅ぼす事になるんだぞ!お前はそれを、わかっているのかぁー‼︎」

「・・・。」

 罵声を浴びせられたコツメは、口を紡ぐ。グッと堪え、掴んでいた尻子玉を再び握り込む。
コツメ自身、あの長老が言っている事は理解出来ているのだろう。
河童の立場から見れば、長老の豪語に誤りは無い。自分を締め上げているのだと理解している。
立ち塞がれた現実に河童の少年は、今立ち向かおうとしている。そんな眼差しだ。
潤んだハニーイエローの瞳は、そんな決意に満ちた心を持ち合わせていた。

「それでも・・・、それでも、おいらは、自分のした事は間違っていないと思う!」

 震わせた喉を振り払うように、か細く出た声を奮立たせた。
自分の信念を長老へとぶつけ、トリヤマくんを守るように両手を大きく広げる。

「この青二歳が。一時いっときの、目先の幸福だけで判断する事が浅はかだと言っているのだ!
さぁ、その玉を今すぐこちらへ持ってくるんだ。そうすれば、我らもこの場から立ち去る。
お前の罪も減刑してやる。里の未来を考えれば、安い話だ。」

 少年の意見を聞いた長老は間髪入れずに反論する。語気は強まり、激昂した顔はコツメを睨みつける。
今にも雷を解き放つようなその怒りは、とても幼い考えしか持ち合わせていないコツメには荷が重い。

「何を話すかと思えば、子供の悪戯に醜い説教か。」

 二人の会話にメスを下したのは、社長。
そのメスは仲裁を行うメスではない、バッサリと切り裂くように間へと割り込んできた。
けれど、コツメではこの状況は荷が重い、そう見かねた社長の判断だったのだろう。
割り込むメスに苦味のある顔で、長老は憤怒の眼差しを社長へと矛先を変える。

「・・・醜い、だと?これは我らの事情だ。哀れな部外者はお引き取り願おうか。」

 長老は、傍にいた兵の矛を取り上げ、切先をこちらへと振り回すように向ける。
社長は何をする気なんだ。まさか、この状況下で交渉する気なのだろうか。
いつものような強行突破ではなく、交渉による和解にでも持ち込もうとしているのだろうか。

「ふん、哀れなのは貴様らであろう。仕来りに縛られ、それをエゴだとも気付かずに。
広い世界を見ずして固い頭で多方向性を垣間見ない方が、余程哀れではないか。」

 前言撤回だ。交渉を持ちかけるどころか、河童に対して揚げ足を取る始末だ。
これではただ、相手の怒りを買うだけ。火に油を注ぐとはまさにこの事。
もはや注いでいるのは、バケツ一杯にガソリンを放り込む勢いだ。 
返ってくる罵声を物ともせず腕を組み、社長はゆっくりと長老の元へと歩み寄る。
その間、長老の周りに居る兵達は動かない。いや正確には動けないのだ。
彼女の圧倒的な覇気が進軍を拒む。誰もそのプレッシャーに押し潰され、動けない。
コツコツとヒールを鳴らし、その足踏みは力強かった。

「里の豊かな未来を築く為に、人の命たる尻子玉を使うか。
それで、奪えば同族すらも刃を向けると。全ては里の為、里の為。
命を犠牲にした平穏とは、悪徳政治家よりも質が悪い。」

「全てはそこに居る人間達の身勝手な考えで自然を追いやられたからだ!
我らには水こそが生命線なのだ、これは報復でもある。自然を蝕んだ人間達に対する報復だ。
人っ子一人くらい、大きな犠牲ではない。自分達の生きる場を考えて何が悪い!」

 激昂した長老は、的確に痛いところを突いてくる。
確かに彼らの言う通り、元の起因となるのは人間達のしてきた身勝手な考えのせいだ。
自分達の住み易い環境や便利を求めて、地球という元あった環境を蝕んだ。
傲慢で身勝手な考えで自然を破壊し、そこにあった生命を失わせ弱らせた。
自分達さえ良ければ良かろうなのだと、他の種から見たらそう思われてしまっても仕方が無い。
だからこそ思う。これは、今回の件はどちらが正しくてどちらが悪いのだろう。
河童達は、尻子玉がある事で自分たちの里の繁栄を養う事が出来る。
それは一族を守る為でもあり、次の世代達に豊かさを築き上げる為だ。
コツメが引き起こした行動だって、決して間違った事ではない。
たった一人の少年の命を重んじて尻子玉を奪い返えそうとしたのは、少年を救うだけでは無い。
その母と父などの彼の周りの存在、彼らの心を救おうとした。一人の命と里の未来。
争いはいつだってどちらも正しいと主張する。対峙する者には、悪と決めつける。
この尻子玉を巡った戦いは、決して天秤に掛けてはならない事だ。両立する事は出来ない。
どちらかを割く必要があるんだ。
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