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第1章 河童編
12雨勢はおまかせを
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この大雨に一筆加えるようにその雷は、馬の嘶きのように戦場を駆け抜ける。
音速。それは秒速、三四〇メートルのスピードで駆け抜ける。
三メートル超えの巨体をここまで速く動く事が出来るのは、メル自身の能力あってこそなのだろう。
音速のスピードで繰り出す攻撃は、衝撃を受けた事すら気付くのが遅れる。
気付いた時には吹っ飛ばされ、驚きすらも遅れる。河童達は体勢を戻す間も無く、壁へ激突し
その第二波の衝撃により、ぐったりと白目を向き気絶してしまった。
強靭な牙や爪があると云うのに、気絶した河童達にはどれも斬り刻まれた痕は無かった。
侍の峰打ちという奴だろうか。あくまで打撃のみで相手を凌駕し、戦力を削ぎ落とした。
「おい!キツネ!なんだ、あれは⁉︎ずるいぞ、あいつばっかり‼︎」
一連の光景を観ていたチップは、その真紅の瞳を丸々と大きく広げ驚いていた。
巨大化し勇ましい大狼に変貌したメルに指を差し、社長へと訴えかける。
「あぁ、これがメルの本来の姿だ。限定的な時間だけだが元に戻る事が出来るのだよ。」
まだ青白い人差し指を添えて、社長は言葉を返した。
それにしても、この巨体が本来のメルだとは思わなかった。
狼のように鋭い眼光、忍ばせた犬歯がチラリと光る。
それでもチップは、どこか納得いかないのか両手を握り締め、ぶんぶんと上下に振り回す。
「ずるいぞ、変身なんて‼︎俺もあれ、やりたい‼︎むしろ、今やってくれよ!」
「やれやれ、機会があればな。」
僕は咄嗟にチップの頭を鷲掴み、振り回す両腕を抑制させた。
瞬く間に辺り一面に現れた河童達を一掃しメルは、瞳を閉じていた。
何かを察知しようとしているのか、巨大化しても健在の大きな頭頂部の毛が強く逆立つ。
「一、ニ・・・、物陰にまだ残党はいるな・・・。」
どうやったのかは分からないが、敵の位置を把握する為に索敵していたのだろうか。
まるで精密度の高いレーダーで相手を認識するかのように、位置を正確に記しているようだった。
状況を分析していた僕に気付いたのか、社長は人差し指を立てながら口を開いた。
「中々、面白いものだろう。あいつは一種の超音波みたいなものを発しているのだ。
現代でもイルカやコウモリなどが有名であろう。超音波は見る事も出来なければ、聴こえもしない。
音波が跳ね返える事でそこにある物体たちの位置を把握できる代物、というのは
流石の垂くんでも知っている事だろう?」
確かに聞いた事はある。イルカやコウモリは、自分が発する超音波で移動や狩りに役立てていると。
それをあのメルが使えるのか・・・。いや、正確にはこの姿だからこそ成せる技なのだろう。
「社長!行けます!これなら行けますよ!」
僕はつい歓喜になり、両拳を握り締めた。多少鼻息が荒くなる程、興奮気味になった。
満更ではない社長は、腕を込み「ふふん」とご自慢の鼻息を立て目を瞑っていた。
強靭な狼のような四肢を手に入れたメルは、身体を低く屈んで獲物を定める。
おそらく、離れた位置から戦況を分析していた残りの河童達なのだろう。
それを捉えたメルは、濡れたコンクリートに爪を立てて飛び掛かる体勢へと移す。
ピシン
まるで張り詰めた糸にナイフを通すような音が聴こえた。
もう、その音が聞こえたと認識した瞬間には、先程まで傍にいたメルの巨体は無い。
何十メートルか離れた建物の傍へと、すでに爪を振りかざし飛びかかっていた。
それは恐ろしくも速い。音速と同等のスピード。
メルにとって、雨の落ちる秒速十メートルのスピードなど止まって見えるのだろう。
物陰に隠れていた二体の河童へメルの爪が降り掛かる刹那。
ボシュン。
「おっと、これはいけねぇ。」
先程までの巨体は文字通り白煙に包み込まれた矢先には、そこから飛び出すように一頭身のメルが
ベシャリと雨に濡れたコンクリートへと、そのまま重力に逆らう事なく叩き落とされた。
え・・・。
皆、時が止まったかのように静止していた。僕らだけでは無い。
襲われる寸前だったあの河童達も唖然とした表情で、無様に落ちたモジャモジャを見ていた。
腕をブンブン振り曲げていたチップも石化したように目が点となって固まり、
あろう事かあの女社長すらもデフォルメ顔で白く風化していた。
「えっ、あの、社長?メルの変身時間って・・・。」
「あの状態で維持出来るのは、三分が限界だ・・・。」
どこの巨大ヒーローだよ・・・。
珍しく社長が恥ずかしさを隠すように両手で顔を塞ぎ、籠った声が洩れていた。
限りなく溜め息にも近い息を吐き、僕は戦況を見つめていた。
一度たじろいでいた河童達は絶好の隙とそう思ったのか、僕たちに背を向け走り出した。
流石に戦況を見て不味いと感じ始めたのか、一頭身のメルにすら追撃をする事なく
この戦場から離脱しようとしていた。僕が一歩踏み込み、奴らを追おうとした時だった。
「待ちたまえ、垂くん。」
冷静さを取り戻したのか、濡れた前髪を再び振り払ってから彼女は、僕に静止を促した。
「深追いは野暮、という奴だ。戦意を失った者を無下に痛める必要は無い。それに、だ。」
社長はゆっくりとメルへ近付き、雨音に紛れてコツコツと革靴を鳴らす。
周りの河童たちが居なくなった今でも、どしゃ降りの雨は止む気配が無い。
街一体がスコールに巻き込まれたようだ。力を使い切ったのかぐったりしたメルを掴み取る。
そのまま自らの腕へと抱き抱え、優しく撫で下ろす。
「今襲ってきたのは、おそらくただの偵察隊だろう。」
今のが偵察隊?という事は、本隊では無かったのか。自分達のテリトリーを作り出し、
有利な環境だったとはいえ、これでは戦力差が大きく離れてしまっているのでは無いか。
いや、そもそも河童に軍隊のような統率を持って動くとは思いもしなかった。
族とはいえ、相手は妖怪だ。身なりは違っても人並み以上の知恵を持ち合わせているのか。
仮に今の奴らが偵察隊だったとして、本隊である戦闘を充分に用意したのがあるとすれば、
この戦いに勝ち目はあるのだろうか。
おそらくメルの状態から察するに、元の姿での戦闘をもう一度というのは無理がありそうだ。
大狼の姿になる事自体に相当の力が必要であり、ハイリスクなリターンがあるのだろう。
ぐったりとしたメルの姿がその証拠でもある。せいぜい一日に一度が限度か。
社長は、この雨で自由に印を作れない。それ故に、社長も思うように力を出す事が出来ずにいる。
彼女の横顔に積もる苛立ちは、この異常な天気のように雲行きは良いとは言えない。
もどかしさと苛立ちが雨に撃たれ、体温を下げる。火照る焦りがあるのか分からないが、
時折、前髪に降り掛かった水滴を振り払い、冷静さを保っていたのだろう。
「社長・・・、じゃあ本隊の河童達は、今よりも強いって事ですか・・・?」
「君は、本当に察しが良いな。どうだい、・・・分が悪いと思うかね?」
三度、社長はメルの疲れた身体を撫でほぐす。
これは素人が見ても分かるくらいの『分の悪さ』なのは、理解している。
だが、理解しているのと状況を打破しているのとでは、当然だが意味合いは違う。
彼女の皮肉めいた返答には、何かアテがあるのだろうか。
「今のままであれば・・・、でしょうか。」
「はっはっはー!さては、私にアテがあると踏んでいるな。」
珍しく空を仰ぎながら、高笑いを決め込む社長。
社長の中で何かが吹っ切れたのか、その笑い声は、何時に無く大きかった。
腕を組む姿勢は変わらず、ゆっくりと僕の瞳へと視線をずらす。
「安心したまえ、垂くん。泥舟に乗った気分で、どっと構えると良い。」
「ははは、狐だけに・・・、ですか?」
「むっ。君も冗談が少しは様になったな。まぁ、なんだ。狸よりはマシさ。」
人差し指を僕へ突き立てて、また自信を取り戻したかのように語気を強めた。
けれど、その笑みはいつもより朗らかだった。それにどんな意味を持ち合わせていたのか。
吹っ切れた彼女の瞳は澄んでいて、それが余計に意図が掴めないでいた。
「なぁ、イサム。これからどーすんだー?」
ずぶ濡れの幼女の姿をした悪魔が尋ねる。
両手を頭の後ろで組み、戯けた真紅の瞳でチップは声を掛けてきた。
「そうだな、ずぶ濡れで病院へ向かうのもしんどいしな。
あのキッチンカーで移動しようか。」
「げっ、またイサムが運転すんのかよ。この雨だぞ・・・、大丈夫か⁉︎」
何か苦いものでも噛んだような表情で、冷めた声が聞こえてきた。
あれだけ運転したんだ、僕だって雨だろうと問題無いだろう。
「なに、垂くん。案ずる事はない。私が運転しよう。」
そう云うと社長は僕が摘んでいた車のキーを取り上げ、くるくると指で回す。
その得意げに車のキーを回す仕草は、なぜか悪寒が走る。
「さぁ、諸君。乗りたまえ!」
第六感がそう囁いてくれているのか、気が気では無いのは確かだった。
現に僕自身、運転しないのであれば願ったり叶ったりだし、運転してもらえるのであれば
楽なのだから助かるところでもある。
皆がキッチンカーへと乗り込み、それぞれの席へと座り込む。
社長は運転席へ、チップは助手席、僕とコツメはキッチン側へ。
また、メルはまだぐったりしているので僕が抱えている。
「さて、では向かうぞ、諸君。」
ドゥルン、ドゥルルル
僕が運転していた時とは思えない程、大音量のエンジン音を吹かせていた。
馬の嘶きよりも遥かに荒々しい重低音。その音に気付いたのか、むくりとメルが目を覚ます。
「おい、新人。」
少し疲れ気味の表情と声色で、メルは僕に尋ねる。
しかし、その声はどこか焦りをブレンドしたような恐る恐るといった声だった。
「今運転しようとしているのは、・・・誰だ?」
「え?社長だけど?」
それを聞いたメルは大きく目を開き、爆弾でも吹き飛ばされたかのように飛び起きる。
「ば、馬鹿野郎‼︎マチコにハンドルなんか握らせるな!死ぬぞ!」
メルは僕の胸ぐらへと飛びかかり、濡れた毛で掴み掛かる。
まさかとは思うが・・・、まさかなのか。
そぉーっと、運転席が見える小窓を覗き込み、様子を伺う。
先程から何度もエンジン音を空回し、雨音に負けない程の騒音を響かせていた。
テキパキとギア、ハンドル、パッドを操作し始め、宛らレーサーのような風貌だ。
ギュリリリリリ
「ぶわぁぁぁああああ⁉︎」
突然の車の発進にメルが悲鳴を上げていた。
それはメルに限らず、僕らもであった。突如として動き出した車。
徐行なんて、そんな生優しいものなんかじゃない。初めからフルスロットル。
カーチェイスでも体験してるかのように、キッチンカーは爆進し始める。
「なななな、しゃ、社長~‼︎飛ばし過ぎですよぉぉぉおお!」
「垂くん、何を言っているのだ。」
尚アクセルを踏み込み、エンジンを掻き鳴らす社長。
公道でうなりを上げるキッチンカーの速度は、既に八十キロを超えていた。
降り注ぐ雨を物ともせず、公道上で風を切らしていた。
「法定速度など、二十キロぐらいプラスしても問題ないのだ、よ‼︎」
何を言い出すかと思えば、この女社長は詫びる事もなく更にアクセルを踏み込む。
そのスピードは、二十キロオーバーどころか百キロの速度へと差し掛かろうとしている。
ここは高速か?グンっと迫り来るGが身体を強く覆い尽くそうとしている。
「しゃしゃ、あのしゃ、社長!ここの法定速度は、四十キロですよ!」
ふと横に目を向ければ、助手席で既にぐったりと横たわるチップの姿があった。
真紅の瞳がなぜか色素を失い、真っ白に燃え尽いており綺麗な白目で天を仰いでいた。
ぶくぶくと口からは、この荒々しい運転で眩んだのか涎塗れの泡を吹いている。
「言わんこっちゃねぇ・・・。マチコにハンドル握らせたらな。
紐無しバンジーの方が遥かに生きてる心地がするぜ。」
最早トラウマ級の鬼のような運転スキルを魅せつけた社長は、高笑いを決め込んでいる。
ハンドルを握ったら人格が変わるというようなキャラは良く聞くが、
この人の場合はどうだろう・・・。元々、常軌を反してる人だから判断し難いところだ。
先程の戦いの苛立ちや鬱憤をこのアクセルにぶち込めているのだろうか。
あぁ、駄目だ。僕も何かが逆流しそうだ。喉の奥から立ち込めるドロドロと纏わり付く何かが。
「はっはーー!良いとは思わんかね、諸君⁉︎風を切る、雨を切る、
この高鳴るエンジン音、掻きむしるギア、擦り切れるタイヤ音、最ッ高ーだと思わんかね‼︎」
最高にハイとなった社長は、おそらくだがこの場にいる者達では目的地まで止める事は叶わないだろう。
僕も天を仰ぎたい気分だが、一度気を抜けば意識を失いそうだ。
キッチンカーは、長く赤いテールランプを靡かせながら病院へと駆け抜ける。
音速。それは秒速、三四〇メートルのスピードで駆け抜ける。
三メートル超えの巨体をここまで速く動く事が出来るのは、メル自身の能力あってこそなのだろう。
音速のスピードで繰り出す攻撃は、衝撃を受けた事すら気付くのが遅れる。
気付いた時には吹っ飛ばされ、驚きすらも遅れる。河童達は体勢を戻す間も無く、壁へ激突し
その第二波の衝撃により、ぐったりと白目を向き気絶してしまった。
強靭な牙や爪があると云うのに、気絶した河童達にはどれも斬り刻まれた痕は無かった。
侍の峰打ちという奴だろうか。あくまで打撃のみで相手を凌駕し、戦力を削ぎ落とした。
「おい!キツネ!なんだ、あれは⁉︎ずるいぞ、あいつばっかり‼︎」
一連の光景を観ていたチップは、その真紅の瞳を丸々と大きく広げ驚いていた。
巨大化し勇ましい大狼に変貌したメルに指を差し、社長へと訴えかける。
「あぁ、これがメルの本来の姿だ。限定的な時間だけだが元に戻る事が出来るのだよ。」
まだ青白い人差し指を添えて、社長は言葉を返した。
それにしても、この巨体が本来のメルだとは思わなかった。
狼のように鋭い眼光、忍ばせた犬歯がチラリと光る。
それでもチップは、どこか納得いかないのか両手を握り締め、ぶんぶんと上下に振り回す。
「ずるいぞ、変身なんて‼︎俺もあれ、やりたい‼︎むしろ、今やってくれよ!」
「やれやれ、機会があればな。」
僕は咄嗟にチップの頭を鷲掴み、振り回す両腕を抑制させた。
瞬く間に辺り一面に現れた河童達を一掃しメルは、瞳を閉じていた。
何かを察知しようとしているのか、巨大化しても健在の大きな頭頂部の毛が強く逆立つ。
「一、ニ・・・、物陰にまだ残党はいるな・・・。」
どうやったのかは分からないが、敵の位置を把握する為に索敵していたのだろうか。
まるで精密度の高いレーダーで相手を認識するかのように、位置を正確に記しているようだった。
状況を分析していた僕に気付いたのか、社長は人差し指を立てながら口を開いた。
「中々、面白いものだろう。あいつは一種の超音波みたいなものを発しているのだ。
現代でもイルカやコウモリなどが有名であろう。超音波は見る事も出来なければ、聴こえもしない。
音波が跳ね返える事でそこにある物体たちの位置を把握できる代物、というのは
流石の垂くんでも知っている事だろう?」
確かに聞いた事はある。イルカやコウモリは、自分が発する超音波で移動や狩りに役立てていると。
それをあのメルが使えるのか・・・。いや、正確にはこの姿だからこそ成せる技なのだろう。
「社長!行けます!これなら行けますよ!」
僕はつい歓喜になり、両拳を握り締めた。多少鼻息が荒くなる程、興奮気味になった。
満更ではない社長は、腕を込み「ふふん」とご自慢の鼻息を立て目を瞑っていた。
強靭な狼のような四肢を手に入れたメルは、身体を低く屈んで獲物を定める。
おそらく、離れた位置から戦況を分析していた残りの河童達なのだろう。
それを捉えたメルは、濡れたコンクリートに爪を立てて飛び掛かる体勢へと移す。
ピシン
まるで張り詰めた糸にナイフを通すような音が聴こえた。
もう、その音が聞こえたと認識した瞬間には、先程まで傍にいたメルの巨体は無い。
何十メートルか離れた建物の傍へと、すでに爪を振りかざし飛びかかっていた。
それは恐ろしくも速い。音速と同等のスピード。
メルにとって、雨の落ちる秒速十メートルのスピードなど止まって見えるのだろう。
物陰に隠れていた二体の河童へメルの爪が降り掛かる刹那。
ボシュン。
「おっと、これはいけねぇ。」
先程までの巨体は文字通り白煙に包み込まれた矢先には、そこから飛び出すように一頭身のメルが
ベシャリと雨に濡れたコンクリートへと、そのまま重力に逆らう事なく叩き落とされた。
え・・・。
皆、時が止まったかのように静止していた。僕らだけでは無い。
襲われる寸前だったあの河童達も唖然とした表情で、無様に落ちたモジャモジャを見ていた。
腕をブンブン振り曲げていたチップも石化したように目が点となって固まり、
あろう事かあの女社長すらもデフォルメ顔で白く風化していた。
「えっ、あの、社長?メルの変身時間って・・・。」
「あの状態で維持出来るのは、三分が限界だ・・・。」
どこの巨大ヒーローだよ・・・。
珍しく社長が恥ずかしさを隠すように両手で顔を塞ぎ、籠った声が洩れていた。
限りなく溜め息にも近い息を吐き、僕は戦況を見つめていた。
一度たじろいでいた河童達は絶好の隙とそう思ったのか、僕たちに背を向け走り出した。
流石に戦況を見て不味いと感じ始めたのか、一頭身のメルにすら追撃をする事なく
この戦場から離脱しようとしていた。僕が一歩踏み込み、奴らを追おうとした時だった。
「待ちたまえ、垂くん。」
冷静さを取り戻したのか、濡れた前髪を再び振り払ってから彼女は、僕に静止を促した。
「深追いは野暮、という奴だ。戦意を失った者を無下に痛める必要は無い。それに、だ。」
社長はゆっくりとメルへ近付き、雨音に紛れてコツコツと革靴を鳴らす。
周りの河童たちが居なくなった今でも、どしゃ降りの雨は止む気配が無い。
街一体がスコールに巻き込まれたようだ。力を使い切ったのかぐったりしたメルを掴み取る。
そのまま自らの腕へと抱き抱え、優しく撫で下ろす。
「今襲ってきたのは、おそらくただの偵察隊だろう。」
今のが偵察隊?という事は、本隊では無かったのか。自分達のテリトリーを作り出し、
有利な環境だったとはいえ、これでは戦力差が大きく離れてしまっているのでは無いか。
いや、そもそも河童に軍隊のような統率を持って動くとは思いもしなかった。
族とはいえ、相手は妖怪だ。身なりは違っても人並み以上の知恵を持ち合わせているのか。
仮に今の奴らが偵察隊だったとして、本隊である戦闘を充分に用意したのがあるとすれば、
この戦いに勝ち目はあるのだろうか。
おそらくメルの状態から察するに、元の姿での戦闘をもう一度というのは無理がありそうだ。
大狼の姿になる事自体に相当の力が必要であり、ハイリスクなリターンがあるのだろう。
ぐったりとしたメルの姿がその証拠でもある。せいぜい一日に一度が限度か。
社長は、この雨で自由に印を作れない。それ故に、社長も思うように力を出す事が出来ずにいる。
彼女の横顔に積もる苛立ちは、この異常な天気のように雲行きは良いとは言えない。
もどかしさと苛立ちが雨に撃たれ、体温を下げる。火照る焦りがあるのか分からないが、
時折、前髪に降り掛かった水滴を振り払い、冷静さを保っていたのだろう。
「社長・・・、じゃあ本隊の河童達は、今よりも強いって事ですか・・・?」
「君は、本当に察しが良いな。どうだい、・・・分が悪いと思うかね?」
三度、社長はメルの疲れた身体を撫でほぐす。
これは素人が見ても分かるくらいの『分の悪さ』なのは、理解している。
だが、理解しているのと状況を打破しているのとでは、当然だが意味合いは違う。
彼女の皮肉めいた返答には、何かアテがあるのだろうか。
「今のままであれば・・・、でしょうか。」
「はっはっはー!さては、私にアテがあると踏んでいるな。」
珍しく空を仰ぎながら、高笑いを決め込む社長。
社長の中で何かが吹っ切れたのか、その笑い声は、何時に無く大きかった。
腕を組む姿勢は変わらず、ゆっくりと僕の瞳へと視線をずらす。
「安心したまえ、垂くん。泥舟に乗った気分で、どっと構えると良い。」
「ははは、狐だけに・・・、ですか?」
「むっ。君も冗談が少しは様になったな。まぁ、なんだ。狸よりはマシさ。」
人差し指を僕へ突き立てて、また自信を取り戻したかのように語気を強めた。
けれど、その笑みはいつもより朗らかだった。それにどんな意味を持ち合わせていたのか。
吹っ切れた彼女の瞳は澄んでいて、それが余計に意図が掴めないでいた。
「なぁ、イサム。これからどーすんだー?」
ずぶ濡れの幼女の姿をした悪魔が尋ねる。
両手を頭の後ろで組み、戯けた真紅の瞳でチップは声を掛けてきた。
「そうだな、ずぶ濡れで病院へ向かうのもしんどいしな。
あのキッチンカーで移動しようか。」
「げっ、またイサムが運転すんのかよ。この雨だぞ・・・、大丈夫か⁉︎」
何か苦いものでも噛んだような表情で、冷めた声が聞こえてきた。
あれだけ運転したんだ、僕だって雨だろうと問題無いだろう。
「なに、垂くん。案ずる事はない。私が運転しよう。」
そう云うと社長は僕が摘んでいた車のキーを取り上げ、くるくると指で回す。
その得意げに車のキーを回す仕草は、なぜか悪寒が走る。
「さぁ、諸君。乗りたまえ!」
第六感がそう囁いてくれているのか、気が気では無いのは確かだった。
現に僕自身、運転しないのであれば願ったり叶ったりだし、運転してもらえるのであれば
楽なのだから助かるところでもある。
皆がキッチンカーへと乗り込み、それぞれの席へと座り込む。
社長は運転席へ、チップは助手席、僕とコツメはキッチン側へ。
また、メルはまだぐったりしているので僕が抱えている。
「さて、では向かうぞ、諸君。」
ドゥルン、ドゥルルル
僕が運転していた時とは思えない程、大音量のエンジン音を吹かせていた。
馬の嘶きよりも遥かに荒々しい重低音。その音に気付いたのか、むくりとメルが目を覚ます。
「おい、新人。」
少し疲れ気味の表情と声色で、メルは僕に尋ねる。
しかし、その声はどこか焦りをブレンドしたような恐る恐るといった声だった。
「今運転しようとしているのは、・・・誰だ?」
「え?社長だけど?」
それを聞いたメルは大きく目を開き、爆弾でも吹き飛ばされたかのように飛び起きる。
「ば、馬鹿野郎‼︎マチコにハンドルなんか握らせるな!死ぬぞ!」
メルは僕の胸ぐらへと飛びかかり、濡れた毛で掴み掛かる。
まさかとは思うが・・・、まさかなのか。
そぉーっと、運転席が見える小窓を覗き込み、様子を伺う。
先程から何度もエンジン音を空回し、雨音に負けない程の騒音を響かせていた。
テキパキとギア、ハンドル、パッドを操作し始め、宛らレーサーのような風貌だ。
ギュリリリリリ
「ぶわぁぁぁああああ⁉︎」
突然の車の発進にメルが悲鳴を上げていた。
それはメルに限らず、僕らもであった。突如として動き出した車。
徐行なんて、そんな生優しいものなんかじゃない。初めからフルスロットル。
カーチェイスでも体験してるかのように、キッチンカーは爆進し始める。
「なななな、しゃ、社長~‼︎飛ばし過ぎですよぉぉぉおお!」
「垂くん、何を言っているのだ。」
尚アクセルを踏み込み、エンジンを掻き鳴らす社長。
公道でうなりを上げるキッチンカーの速度は、既に八十キロを超えていた。
降り注ぐ雨を物ともせず、公道上で風を切らしていた。
「法定速度など、二十キロぐらいプラスしても問題ないのだ、よ‼︎」
何を言い出すかと思えば、この女社長は詫びる事もなく更にアクセルを踏み込む。
そのスピードは、二十キロオーバーどころか百キロの速度へと差し掛かろうとしている。
ここは高速か?グンっと迫り来るGが身体を強く覆い尽くそうとしている。
「しゃしゃ、あのしゃ、社長!ここの法定速度は、四十キロですよ!」
ふと横に目を向ければ、助手席で既にぐったりと横たわるチップの姿があった。
真紅の瞳がなぜか色素を失い、真っ白に燃え尽いており綺麗な白目で天を仰いでいた。
ぶくぶくと口からは、この荒々しい運転で眩んだのか涎塗れの泡を吹いている。
「言わんこっちゃねぇ・・・。マチコにハンドル握らせたらな。
紐無しバンジーの方が遥かに生きてる心地がするぜ。」
最早トラウマ級の鬼のような運転スキルを魅せつけた社長は、高笑いを決め込んでいる。
ハンドルを握ったら人格が変わるというようなキャラは良く聞くが、
この人の場合はどうだろう・・・。元々、常軌を反してる人だから判断し難いところだ。
先程の戦いの苛立ちや鬱憤をこのアクセルにぶち込めているのだろうか。
あぁ、駄目だ。僕も何かが逆流しそうだ。喉の奥から立ち込めるドロドロと纏わり付く何かが。
「はっはーー!良いとは思わんかね、諸君⁉︎風を切る、雨を切る、
この高鳴るエンジン音、掻きむしるギア、擦り切れるタイヤ音、最ッ高ーだと思わんかね‼︎」
最高にハイとなった社長は、おそらくだがこの場にいる者達では目的地まで止める事は叶わないだろう。
僕も天を仰ぎたい気分だが、一度気を抜けば意識を失いそうだ。
キッチンカーは、長く赤いテールランプを靡かせながら病院へと駆け抜ける。
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