便箋小町

藤 光一

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河童編

6.共同生活はおまかせを

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 ピピピ・・・。照り出した太陽と共に携帯のアラームで目が覚める。
僕の寝起きの重要任務だ。この携帯電話という毎朝戦う宿敵との勝負に打ち勝つためである。
つい先程まで身体を包んでくれたこの布団すら、時に悪魔と化してしまう
まだ大丈夫、あと5分いけるよ。などと誘惑を耳元で囁くのだ。
身を預けたいのは山々だが、それで寝坊や遅刻なんてしてみよう。
あの女社長の事だ、遅刻の時点で剛拳を携えて待ち構えているのだろう。
命がいくつあっても足りない、永劫の眠りに着くくらいなら大人しく目覚めるべきだ。

 寝ぼけ眼で自分の携帯を見てアラームを止め、本日の天気情報を見ると落胆してしまった。
朝一番だと言うのに既に気温は20度を超えていた。どうりで暑いわけだ。
連日の雨続きはようやく過ぎ去ったのだが、長いインターバルを挟んだ日照りが
文字通り出番が来るまで身体を暖めていた為か、既にその暑さで気怠さを感じてしまう。
布団をかけるどころか部屋着を着ているのも大儀なもので、気が付けばパンツ一丁なのだ。
それでも滲み出る汗が鬱陶しい。日本はなぜこんなに暑いものなのか。
まだ7月にもなっていないというのに、どうやら本日も例年の気温を更新したらしい。

 寝起きでまだ思考が働いていないのか、意識せずエアコンのリモコンへ手を伸ばす。
考えるよりも身体の方が反応しており、ピっというエアコンの目覚めと共に我に返り始める。
炎上し戦場と化したこの部屋に風の精霊が舞い降りる。
先程までの空気とは一変し、冷たく爽やかな風が部屋中に旋回し始めた。
朝一番、パンツ一丁で両腕を大きく広げ、火照った身体を癒す。
目を閉じ、この汗だくの身体を少しでも長くそして多く溢れ出す冷風を深々と受け切るのだ。

「寒いっ!」

 と同時にピッとリモコンのスイッチが切れた音がする。
その音がなるや否や、先程までの癒しの風が徐々に弱まり始める。
視界をリモコンがあった方に向けるとそこには幼女がこれまた寝ぼけ眼でこちらを見ていた。

 幼女が着ている部屋着は、用意して間もないというのにだらんとシワとヨレだらけで
その真っ白なTシャツは、サイズも身体以上に大きくて合ってはいない。
寝相の為か黒髪はあちこちに跳ねており、相変わらずボサついている。
シワの目立つTシャツの前裾を無理くり伸ばして口元まで持っていきヨダレを拭いていた。
ヨレたTシャツとボサついた髪とは対照的に、煽り返ったシャツの奥から覗かせるのは
幼女そのものの白い肌がはらりと視界に映り込んだ。
だが中身は悪魔であり、先日僕を食い殺そうとしたのもコイツである。
先程までフル回転していたエアコンのモーターは、これまたチップのせいで
ついにはその冷風は止み、外の日照りが忍び込みまた室内温度が上がろうとする。

「お、おまっ!なんで止めるんだよ‼︎」

「うるせぇ!なんでもキカイに頼りやがって、カゼ引くだろうが!」

 お互い目覚めたばかりで覚醒し切れておらず、瞼もまだ完全に開き切っていない。

「エアコンの風は、喉にも身体にも良くないんだぞ!」

「うるせ、ここは僕ん家だ!」

「見ろ!この純白の肌がカサカサになっちまうだろーが!」

 ぐいっとこちらに左腕を差し出し、上腕を上下に摩る。
その時に気付く。どこか嗅いだ事のある香り。それはとても身近でフローラルな香り。

「お前、また僕のシャンプーとコンディショナー使ったろ?」

 その言葉にチップは丸く目を大きく開き、身体をビクつかせる。
チップの頭を鷲掴み、こちらへと方向を強制させた。

「お前には、アフローマン・ゼンブウォッシュがあるだろ!そっち使えよ‼︎」

「あれ、髪がパサつくからキライなんだよ‼︎だいたい何だよ、アフローマンって。
ガキが、ガキ扱いするんじゃねー‼︎」

 対抗するようにチップも僕の胸ぐらをその細い両腕で掴みかかる。
もうあの頃程の力は無く、その力は見た目相応だった。

「良いだろうが、ゼンブウォッシュ!
髪も身体にも洗える新社会人の財布にも優しいコスパ重視の洗剤だぞ‼︎」

「良いわけねーーだろーが‼︎あんなのずっと使って見ろ!
俺のキューティクル達まで洗い流されるわ‼︎」

 普段シャンプーハットを付けて髪を洗う悪魔が何を言うかと思えば、
パタパタと僕のシャツを揺さぶり必死の抗議を訴える。

「悪魔がキューティクルなんか気にするなよ。」

 しかしながら、コイツの意見を聞き入れる気はない。
眉を吊り上げ寝起きから声を荒げているが、目線は合わせず顔面を鷲掴み突き放す。

「どわぁ!」

 チップはそのまま、反転して布団へと転がっていった。

 何故、チップが僕の部屋に居るのか。その話をする必要があるだろう。
では、時間を巻き戻そう。思い出すのも頭を抱えたくなってしまうけれど。

あれは一週間前の事。

「・・・暑い。」

 室内にカラカラと音を奏でながら回り出す扇風機。社長の苦言が思わず漏れる。
旋回する機械の中で何かが咬んでいるのか今にも壊れそうである。
長年の日焼けにより色褪せており、本来の色より茶けてしまっている。
30度前後をキープしている室内温度では、壊れかけの扇風機では中々追い付かず
来ていた上着を脱がざるを得ない程、頬には汗が募るように滴る。
社長は、思わずジャケットを脱ぎブルーグレイのスーツベスト姿で不満気に
左手で頬杖をつきながらデスクを右の人差し指でコツコツと叩く。

「そんなに言うんなら、クーラー導入して下さいよ。」

 既に僕もジャケットを脱ぎ捨て、Yシャツを腕捲りし額の汗を拭う。

「垂くん、クーラーの経費知っているか?初期費用も継続費もバカにはならんのだぞ?」

「じゃあ、せめてその壊れかけの扇風機を買い替えてみたらどうですか?」

「次の依頼の報酬が出たら、検討しよう。」

 頬杖から枷を外し、社長はデスクへとうな垂れる。確かに経費は潤う程回っていない。
今まさに回ろうとしているのは火の車だ。太陽が照り出すタイミングとは滑稽やいかに。

 そんな中、平然としてるのはメルだった。
この時期、暑苦しそうに見えるモジャモジャの塊は特に何変わりなくコーヒーを啜りながら
朝の新聞に目を通しブレックファーストを決め込んでいる。
隣に溶けるように座り込むチップは、ダボダボのシャツの前裾を両手で掴み
暑い暑いと呪文を唱えるように苦言を漏らしながらパタパタと仰いでいた。

「なんで、お前この暑さが平気なんだ?」

 チップはその暑さで真紅の色が弱まった目線をメルへと送る。

「お前らとは、出来が違うからな。」

 新聞を読み進めていた手?を止め上の空で話す。

「毛むくじゃらに言われても、うらやましくもねーぞ。」

 反論はするがその声に覇気は無い。悪魔も暑いのは苦手なのか。

「なぁーーー、キツネーーー!クーラー、買ってくれよぉぉぉーー!」

 ついに我慢の緒が切れたのか、暑さで頭のネジがぶっ飛んだのかは分からないが
両腕を高く広げ上げ、チップは駄々をこねるように泣き叫んだ。

「黙れ、チップ。」

 鋭い舌打ちと共に社長は、ナイフのような冷えた言葉をチップへ投げ込む。
先程まで机に崩れ込んでいた姿から一変し、顔の前で手を組み座り込んでいた。
社長のオーラは、非常に冷淡でそれを目にした者は脊髄まで凍らせるかのような程だ。
その証拠にダイレクトアタックを受けた当のチップは、小刻みに身震えをし涙目で怯えていた。
額に汗を一雫流し、社長は再び唇を開く。

「さて、諸君。ご覧のように我が社は、死活問題だ。仕事は来ない!社内室温は灼熱!
経費も火の車だ。垂くん、この状況下なら君はどう見解するかね?」

 勢い良く握っていた万年筆をこちらにビシリと向け、名指しで問いかけてきた。
火急のように詰められたがこんな時こそ俯瞰すべきだと自負している。

「そうですね・・・。来ないなら、こちらから・・ではないでしょうか?」

 とは云えども突発的すぎて、何を答えたら良いのか分からず吃ってしまった。
恐れながらの返答で、つい逆説を唱えてみたが社長の反応はどうだろうか。

「ふむ・・・、まぁ悪く無いな。やってみよう。」

 社長は鼻を摘み上げ深く呼吸をする。頭の中でバラけたパズルを組み上げるように思考を巡らせている。
どのピースが当てはまるのか、どの手順が効率的なのか閉じていた瞼を開け全体を見回す。
トンっと机を指で叩き、一種の号令のような合図を取る。

「では、これより我が社は一時的な出張所を展開する!
事務所と出張所で二手に分かれ、それぞれのバディで開始しよう。」

「あ・・・、え?」

「垂くん、え?ではないぞ。兎に角だ。私は社長だから事務所。
メルは私の補佐だ。垂くんとチップに出張所を委任するぞ。」

 企画案が通ったのは嬉しいが、いやちょっと待て。よりによってバディがチップだと?
つい体が反応して頭を抱えてしまう。頭に錘がぶら下がったみたいだ。
その横目に当のチップは、まだ理解していないのか呆け顔で天井を眺めていた。

「え、社長。このガキんちょとですか?」

 僕が言葉を発したと同時に、そのセリフに反応したのかチップのローキックが膝下に直撃する。

「あぁ、そうだ。しかしだ、バディとなれば連携がとても大事だ。
以心伝心のように通じあってこそバディの仕事は成功に近付けれる。そこで!」

 パンっ!と両手を強く合掌し、そのまま指を交差するように折り畳み握り込む。

「今日から君達には同居してもらう!それが最も早く意思疎通が取れるだろう。」

『はっ⁉︎』

 つい口を揃えて漏らしたのは、まさに当事者の僕とチップであった。
互いに相手へ指を差し、不満の表情を浮かべる。

「何、心配する事はないぞ。経費は最低限に抑えておこう。
それと共同生活に必要な費用も添えておくのだから、寛大だと思いたまえ。」

 と、どこから取り出したのかデスクに一万円札を僕に、五百円玉をチップへと差し出した。
渡した社長は、満足気な笑みでこちらを覗かせていた。

「って、一万ぽっちで準備なんて無茶言わないでくださいよ‼︎」

「おい、キツネ!ガキのこづかいじゃねーんだぞ‼︎」

 抗議を申し立てるチップに対し、社長は無言でその手に置かれた五百円玉を摘んだ。

「チップよ、聞いて驚け。この五百円玉はな・・・。」

 くるっとその小銭をひっくり返し自慢気に語る。

「新五百円玉だぞ。」

「うぉー!すっげぇ、マジだ!キラキラしてるー‼︎」

 まるで見た事ない手品を見たような、はたまた真新しい玩具を手にしたように喜ぶチップ。
それでいいのか、お前は。最早“ギフト”の時の面影は無いじゃないか。

「では、二人は明後日からM市に向かってもらう!双方、悔いのないようにな!」

 いつの間にか決定事項になったようだ。物事が決まって満足なのか社長は上機嫌である。
あれ、というかちょっと待て。これ、僕もいつの間にか丸め込まれてないか?

コイツとの共同生活に・・・。
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