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第10章 覇王を追撃する闇

335.敵を天晴れと笑え、それが度量だ

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 半身が真っ赤に染まるほどの血を流したにも関わらず、腕の違和感が消えなかった。舌打ちしてアスタルテに命じる。

「肩から切り落とせ」

「っ、はい」

 躊躇いは危険を招き寄せ、命を脅かす。一瞬をいくつにも刻んで戦う彼女の判断は早かった。切り落とした後のことは、切り落としてから考える。右手に呼び出した愛用の剣を下から上に跳ね上げた。

「ぐっ……」

 肩の関節を外すように切り落としたアスタルテは、すぐに剣を放り出す。駆け寄って己の手首を噛み切った。流れ出す血を擦り付けて傷を塞いでいく。

 治癒や浄化の魔法を苦手とする吸血鬼が使う方法のひとつで、同族同士なら受け入れた血による回復も可能だった。吸血種族ではないが、アスタルテと血を交わしたオレの体は、彼女の血の味と効能を知っている。すっぱりと切断された断面を晒す傷口は、すぐに止血された。

「体内の浄化が必要です」

 ククルかアナトを呼ばなくては、慌てて踵を返そうとしたアスタルテが足を止めた。青ざめた彼女は新しい剣を呼び出す。しかしオレの方が早かった。黒竜の剣を引き抜いた左手で、そのまま己の右腕に突き立てる。

 ぐしゃり……肉を貫く感触はあったが、右腕は床に吸い込まれた。剣を離したアスタルテが伸ばした指は、空中を掻いて終わる。

「申し訳、ございません。油断しました」

「仕方あるまい。オレの責任でもある」

 油断したのはオレもアスタルテも同じだ。戦いを勝利で終え、気持ちが緩んでいた。この世界の神を滅ぼしたと気を抜いた結果がこれだ。嘆くより、次の糧にするしかあるまい。

「……すぐに追います」

「任せる」

 追跡は吸血種の得意分野のため、オレは余計な手を出さない。血で汚れた服と床を睨み、浄化を施そうとした部屋に、ばたばたと慌ただしい足音が飛び込む。

「サタン様! 血の匂いが」

「どこかケガしてる?」

「あら~、これはすごい」

「右腕をどうしたの」

 飛び込んだ4人は、それぞれに好き勝手に口を開く。ほとんど重なった音を聞き分けたのは、偶然だった。

「腕、なんで……やだあああ!!!」

 大泣きするリリアーナが飛びつき、断面をそっと撫でる。結界の応用で傷口を塞いだため、見た目は切断したまま肉が露出していた。それが痛々しく見えるようだ。

「騒ぐな、この程度のことよくある」

「ないもん! こんなのないもん!!」

 聞き分けのないリリアーナが首を横に振り、金髪を振り乱して泣き叫んだ。

「まあ……よくあることではないかも」

 バアルが苦笑いする。アナトは治癒の魔法を手に準備しながら、こてりと首をかしげた。

「切り落とした手があればくっつけたのに」

 切り落とした手は、傷口の毒から侵入した神とやらに持ち去られた。それをどう説明したものか、アスタルテを見ると青ざめた唇を噛み締めている。

「どうした?」

「サタン様の血肉を再生に使用されたら……神はさらに力を増すでしょう」

 かつて死にかけたアナトやバアルが蘇ったように。そう匂わせたアスタルテの懸念を、オレは笑って受け流す。

「それならそれで構わぬ。強敵を倒してこその褒美だ。オレから右腕を奪った敵を天晴れと笑え、まだ度量が足りぬぞ」
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