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第10章 覇王を追撃する闇
307.罠がひとつとは限らない
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暗い闇の中にいるようだ。視界はちゃんと物を捉え、言葉も動きも制限されていない。だが身体ではなく、思考が操られている気がした。
いつもなら選ばない選択肢、絶対に手を出さない領域、下さない決断……すべてが苦痛だ。なのに当たり前のように、それらを選ぶ自分がいた。いっそ心を自由にして、体を操ってくれた方が気が楽だ。私が決めたわけじゃないと言い切れるから。
苛立ちに表情が強張る。それを無理やり笑えと命じる脳を掻き毟って、大声で叫びたかった。
今の命令は撤回だ――そう言えたなら。どれだけスッキリするだろう。思い通りにならない状況で、魔王の帰還を知る。あの方ならこの状況から救ってくれる! そう確信したそばから、近づかずに済むルートを選んで歩いた。
執務室へ戻り、大量の書類に手をつける。地震の報告書が積まれた中へ、白紙を1枚紛れさせた。本当なら、ここに違和感を記せばいい。僅か一文であっても、察してくれるはずだ。しかし伝えようとする文章を、頭が拒否した。文章を作ろうとする端から、単語が解けていく感じだ。並べて文章を作れないと悟った私に出来るのは、別の方法での伝達だった。
「マルファス、この書類に陛下の裁可を頂いてください」
彼もなんだかおかしい。きっと人間の理解が及ばない何かが起きた。ぎこちない空気の中で、互いに互いの状態に気づく。頷いたマルファスへ渡した書類に混ぜた白紙に、あの方は何を思うか。
あれが精一杯の意思表示だった。
羽を広げて天上から見下さねば気づけない仕掛け……呪詛を仕込んだ魔法陣を刻まれた大地は、いずれ悲鳴を上げて身を捩る。その時は今回の比ではない被害がでたはずだ。だがこの程度の仕掛け、見抜かれないと思うほど甘い敵か?
「あそこ、変だよ」
リリアーナが示したのは、魔法陣の中央になった城の中庭の南側、離宮がある場所だった。魔法陣を読み解くほどの知識はなく、だが本能が発達した竜の娘は違和感を口にする。ウラノスのように知識があれば、自分で解いただろう。だがリリアーナは他者が見落とした何かを、鋭敏に感じ取った。
これは生まれついての才能だ。くるくると城の上空を旋回する黒竜は、高い声で吠えた。彼女が示す先に目を凝らし、違和感の正体に気づく。声が聞こえないのだ。あの離宮は孤児院として機能している。一角獣が庇護する処女の楽園は、言い換えれば子供ばかりの賑やかな場所だった。
子供の声も、生活の音も、何も聞こえない。気づいた瞬間、首筋を冷たい手で撫でられたような不快感を覚えた。
「ウラノス、アルシエル。この場を任せる」
承知したと返る答えを聞きながら、羽の角度を変えて滑空した。追いかけるリリアーナは、ついて来いと命じられなくても従う。地上間近で人化して、丈夫な身体をいいことに力技で着地した。ひらりとスカートを揺らして駆け寄り、大急ぎで斜め後ろに控える。
「誰もいない? 違う?」
ひとの気配がするのに、音がしない状況は不自然だ。右手を一振りし、愛用の剣を呼び出す。黒竜の革を巻いた柄を握り、隔てる膜を左から右へ切り裂いた。
いつもなら選ばない選択肢、絶対に手を出さない領域、下さない決断……すべてが苦痛だ。なのに当たり前のように、それらを選ぶ自分がいた。いっそ心を自由にして、体を操ってくれた方が気が楽だ。私が決めたわけじゃないと言い切れるから。
苛立ちに表情が強張る。それを無理やり笑えと命じる脳を掻き毟って、大声で叫びたかった。
今の命令は撤回だ――そう言えたなら。どれだけスッキリするだろう。思い通りにならない状況で、魔王の帰還を知る。あの方ならこの状況から救ってくれる! そう確信したそばから、近づかずに済むルートを選んで歩いた。
執務室へ戻り、大量の書類に手をつける。地震の報告書が積まれた中へ、白紙を1枚紛れさせた。本当なら、ここに違和感を記せばいい。僅か一文であっても、察してくれるはずだ。しかし伝えようとする文章を、頭が拒否した。文章を作ろうとする端から、単語が解けていく感じだ。並べて文章を作れないと悟った私に出来るのは、別の方法での伝達だった。
「マルファス、この書類に陛下の裁可を頂いてください」
彼もなんだかおかしい。きっと人間の理解が及ばない何かが起きた。ぎこちない空気の中で、互いに互いの状態に気づく。頷いたマルファスへ渡した書類に混ぜた白紙に、あの方は何を思うか。
あれが精一杯の意思表示だった。
羽を広げて天上から見下さねば気づけない仕掛け……呪詛を仕込んだ魔法陣を刻まれた大地は、いずれ悲鳴を上げて身を捩る。その時は今回の比ではない被害がでたはずだ。だがこの程度の仕掛け、見抜かれないと思うほど甘い敵か?
「あそこ、変だよ」
リリアーナが示したのは、魔法陣の中央になった城の中庭の南側、離宮がある場所だった。魔法陣を読み解くほどの知識はなく、だが本能が発達した竜の娘は違和感を口にする。ウラノスのように知識があれば、自分で解いただろう。だがリリアーナは他者が見落とした何かを、鋭敏に感じ取った。
これは生まれついての才能だ。くるくると城の上空を旋回する黒竜は、高い声で吠えた。彼女が示す先に目を凝らし、違和感の正体に気づく。声が聞こえないのだ。あの離宮は孤児院として機能している。一角獣が庇護する処女の楽園は、言い換えれば子供ばかりの賑やかな場所だった。
子供の声も、生活の音も、何も聞こえない。気づいた瞬間、首筋を冷たい手で撫でられたような不快感を覚えた。
「ウラノス、アルシエル。この場を任せる」
承知したと返る答えを聞きながら、羽の角度を変えて滑空した。追いかけるリリアーナは、ついて来いと命じられなくても従う。地上間近で人化して、丈夫な身体をいいことに力技で着地した。ひらりとスカートを揺らして駆け寄り、大急ぎで斜め後ろに控える。
「誰もいない? 違う?」
ひとの気配がするのに、音がしない状況は不自然だ。右手を一振りし、愛用の剣を呼び出す。黒竜の革を巻いた柄を握り、隔てる膜を左から右へ切り裂いた。
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