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第10章 覇王を追撃する闇
288.消えた死体が示す凶兆
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書類に向けていた視線をあげ、手にしたペンを置く。少し留守にすると積み重なる書類だが、以前より高さは低くなった。調整能力も有能なアスタルテが大半を片付ける。
この世界に来て、彼女は本名を封印した。吸血鬼の始祖であり誇り高いアースティルティトだが、配下も世界も捨てた女に相応しい名ではない――自らそう判断したのだろう。彼女自身が決めたことに、オレは口を挟まない。前魔王に圧されて潜伏した際に呼んだ愛称アスタルテが、彼女の新しい名前となった。
「アスタルテ、これも任せる」
目を通し終えた予算関係の承認と最終調整を一任し、執務室に入ってきたアルシエルに向き直った。緊張した面持ちの黒竜王は、ひとつ深呼吸してから敬礼する。この辺の生真面目さは、前魔王の側近だった名残か。
策略を得意とするアスタルテのような宰相の役割ではなく、魔王軍を率いる将軍であったククルに近い役職だっただろう。正面切って敵を屠り、裏工作と縁のない男だ。
「何があった」
促してやれば、黒竜王アルシエルが報告を始める。マルコシアスを通じて、グリュポス跡地を賑わした混乱は知っていた。獣人が逃げ込んだこと、得体の知れぬ魔族らしき黒衣の子供の存在。だがアルシエルは別視点からの情報を持ち込んだ。
「銀狼殿が守る森に獣人が逃げ込んだ件は、すでにご存知でしょう。獣人の集落は寄せ集め、守護者となった炎竜がおりました。炎竜はかつて魔王軍へ誘われた実力者なれど、此度の敵になす術なく串刺しにされたと――報告が上がりました」
水竜が舞い降りた。報告内容は、その際にアルシエルに告げられたものだろう。獣人達の受け入れを指揮したマーナガルムやマルコシアスも、話の内容を聞く余裕はなかった。忙しく立ち回る中、偶然水竜を目にした程度だ。
竜の報告は信用に値する。それは種族の特色にあった。黒竜王アルシエルは魔王城での肩書に関わらず、竜族の頂点だ。色の名を冠した竜王に報告する内容に嘘があれば、報告した竜は命を断つ。それほどの覚悟を持って報告される内容に嘘偽りが入り込む余地はない。
「炎竜だと」
最も強いブレスを有する竜だ。色に関わらず、炎の属性を強く持つため、ブレスは炎系の魔法が掛かっている。魔王軍から声がかかる強い竜を、串刺しにした? ならば武器は何だ。物理的な槍や矢は落とされる。竜の鱗を正面から貫くなら、何らかの魔力を帯びた武器か。
「見たか?」
死体を確かめたか。そう尋ねれば、アルシエルは眉を寄せる。報告内容を確かめるため、竜の死体の状態を調べる目的もあり、獣人の集落があった場所へ赴いた。壊滅させた場所に留まる敵ではない。危険度は低かった。同じ判断をしたアルシエルは、集落の中央近くにある死体を探す。
「死体がありませんでした」
「竜の死体が消えた、と?」
「はい。落下したと思われる地点は見つけましたが、死体そのものはなく……溶かされた様子もございません」
隣で書類を揃えていたアスタルテが息を飲んだ。消えた死体――その意味する不吉な兆候は、アンデッドの最上位である吸血鬼ならば知っている。
「まさか……」
絞り出した声は震えていた。
この世界に来て、彼女は本名を封印した。吸血鬼の始祖であり誇り高いアースティルティトだが、配下も世界も捨てた女に相応しい名ではない――自らそう判断したのだろう。彼女自身が決めたことに、オレは口を挟まない。前魔王に圧されて潜伏した際に呼んだ愛称アスタルテが、彼女の新しい名前となった。
「アスタルテ、これも任せる」
目を通し終えた予算関係の承認と最終調整を一任し、執務室に入ってきたアルシエルに向き直った。緊張した面持ちの黒竜王は、ひとつ深呼吸してから敬礼する。この辺の生真面目さは、前魔王の側近だった名残か。
策略を得意とするアスタルテのような宰相の役割ではなく、魔王軍を率いる将軍であったククルに近い役職だっただろう。正面切って敵を屠り、裏工作と縁のない男だ。
「何があった」
促してやれば、黒竜王アルシエルが報告を始める。マルコシアスを通じて、グリュポス跡地を賑わした混乱は知っていた。獣人が逃げ込んだこと、得体の知れぬ魔族らしき黒衣の子供の存在。だがアルシエルは別視点からの情報を持ち込んだ。
「銀狼殿が守る森に獣人が逃げ込んだ件は、すでにご存知でしょう。獣人の集落は寄せ集め、守護者となった炎竜がおりました。炎竜はかつて魔王軍へ誘われた実力者なれど、此度の敵になす術なく串刺しにされたと――報告が上がりました」
水竜が舞い降りた。報告内容は、その際にアルシエルに告げられたものだろう。獣人達の受け入れを指揮したマーナガルムやマルコシアスも、話の内容を聞く余裕はなかった。忙しく立ち回る中、偶然水竜を目にした程度だ。
竜の報告は信用に値する。それは種族の特色にあった。黒竜王アルシエルは魔王城での肩書に関わらず、竜族の頂点だ。色の名を冠した竜王に報告する内容に嘘があれば、報告した竜は命を断つ。それほどの覚悟を持って報告される内容に嘘偽りが入り込む余地はない。
「炎竜だと」
最も強いブレスを有する竜だ。色に関わらず、炎の属性を強く持つため、ブレスは炎系の魔法が掛かっている。魔王軍から声がかかる強い竜を、串刺しにした? ならば武器は何だ。物理的な槍や矢は落とされる。竜の鱗を正面から貫くなら、何らかの魔力を帯びた武器か。
「見たか?」
死体を確かめたか。そう尋ねれば、アルシエルは眉を寄せる。報告内容を確かめるため、竜の死体の状態を調べる目的もあり、獣人の集落があった場所へ赴いた。壊滅させた場所に留まる敵ではない。危険度は低かった。同じ判断をしたアルシエルは、集落の中央近くにある死体を探す。
「死体がありませんでした」
「竜の死体が消えた、と?」
「はい。落下したと思われる地点は見つけましたが、死体そのものはなく……溶かされた様子もございません」
隣で書類を揃えていたアスタルテが息を飲んだ。消えた死体――その意味する不吉な兆候は、アンデッドの最上位である吸血鬼ならば知っている。
「まさか……」
絞り出した声は震えていた。
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