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第9章 支配者の見る景色

254.開戦の狼煙は吹き消された

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 速い流れに飲まれぬよう、気をつけて進む。途中にある中洲を避け、細くなる川に船の運命を委ねた。舵取りをする兵士は、元船乗りだ。山国には珍しい、船の専門家だった。

 祖国で冤罪をかけられ逃げた男は、皮肉にも海がない国に助けられた。川の流れを必死に受け流す彼の後ろに続く船は、同じルートを追いかけるように設定している。命を助けてくれた国の命運を背負い、必死で流れを読んだ。後続の命を預かる責任が肩にのしかかっていた。

 流れが乱れる場所にある岩を避けて、左にルートを逸らす。直後に、不思議な浮遊感があった。船底をぶつけた筈はない。岩を避けきり、流れが緩やかな方を選んだ。

 荒野の脇に木々が茂る川は、突如緩やかになった。先ほどまで見ていた景色が嘘のように、深く緩やかな流れが船の勢いを殺す。

「沈めるよ」

 聞こえたのは少女の声――それが彼の最期の記憶になった。頭上から何かが叩きつけられ、船は沈む。真っ二つに折られた船体が、前後に割れる姿を目に焼き付けることなく、船頭は水に飲まれた。

 冷たさに抱き留められた男は、故郷に残した家族の幻影に手を伸ばしながら水底みなぞこの土となった。沈んだ船に続く2隻目もあっという間に叩き割られる。

 3隻目は炎に巻かれた。翼ある蛇が空を舞い、新たな船に襲いかかる。

「待て」

 ウラノスが何かに気付いた。慌てて声を上げると、振り返ったククルが攻撃を一時中断した。その間に川の上に2隻の船が転送される。

「何?」

 邪魔をされて苛立った声を上げるククルは、コウモリの羽を動かしながらくるりと一周した。手足がない蛇の胴体が、空中でうねる。

「これは……戦支度がされておらぬ」

 手伝いと称した手出しを禁じられ、そっぽを向いていたアルシエルが目を瞬く。背に翼を出すと舞い上がり、空中から船の装備を確認した。食料品やテントなどの野営設備が乗っているが、武器は見当たらない。それどころか乗組員は、帯剣している者の方が少なかった。

「まさか」

「使者を沈めた、のか?」

 アルシエルとウラノスの言葉に、ククルが大慌てで水中に沈めた船の残骸と乗組員を川岸に押し上げた。翼ある蛇である彼女の能力は、重力を操ることにも長けている。それらを発揮して、沈めた船員の半数ほどを掬い上げた。

 残念ながら残りは命がなく、彼女の手が届かぬ領域となってしまったが。右往左往する翼ある蛇の慌てぶりは、まるで踊っているようだ。混乱した彼女は人化すると、川岸に降り立った。

「ちょっと、どういうことよ!」

「わからぬ! 情報が間違っておったか、または別の集団がおったか。わしも混乱しておるのじゃ」

 逆ギレされ、ククルはしょんぼりと肩を落とした。彼女の心配は、せっかくの見せ場だと気合を入れたのに、サタンに叱られる可能性が高くなったことだ。捨て子だった彼女は、堕ちた神だった頃の記憶がない。覚えているのは1人で山奥にいたこと、その頃サタンに拾われたところから始まっていた。

 他の3人に比べ、養い親であるサタンへの心理的依存度が高い。俯いた彼女へ、近づいた人影が頭を下げた。

「我が民を助けていただき、ありがとうございます」

 予想外の言葉に、ククルは赤毛を揺らして振り返った。
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