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第7章 踊る道化の足元は

171.先を見据えた舵取りが必要だ

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 聞こえる怒号と悲鳴、武器の金属音にバシレイア国民は王宮付近へ逃げ込んだ。前回のグリュポスの進攻で矢が飛んできた記憶が、彼らに避難を選ばせる。震えながら訪れた民に、城門は開かれていた。

「こちらへどうぞ」

 案内する侍女達は、教会の人間とともに温かなスープを振る舞い、王宮の広間を解放した。ドラゴンとグリフォンが戦場に飛び立った情報、イザヴェラも一緒に攻めてきた現実も。三万五千の大軍であることも含め、すべての情報は包み隠さず公開された。

「ここまで説明する必要があるんですか」

「情報を隠して民を騙し、誰が得をする?」

 マルファスの疑問を、サタンはあっさり潰した。国が攻め込まれる事態に、国民は不安に陥っている。そこで情報を隠し「絶対に勝てる」と説明され、納得するほど愚民ではないのだと。

「確かに、そうですけど」

 民の側にいた頃の気持ちを思い出したのか。歯切れの悪くなったマルファスは、ぽりぽりと耳の上を掻いた。前国王は「民はただ従い、税を納めればいい」と何も教えなかった。国が疲弊していることも、他国から狙われている事実も知らず、目の前の仕事をこなす日々を思い出す。

 民を見つめる魔王サタンの眼差しは、優しさとは違う。それでも誰より公平に、革新的な政を行なっていた。少なくともマルファスが知る魔王は、出来ないことを命じたりしない。

 明日の食料もない飢えた民に腹一杯食べさせ、傷ついた者たちを癒し、働く場所を与え、足りない民を増やす。失われた人命には厚く報い、謝罪すら口にした。そんな執政者がいままでいただろうか。

「アガレスの補佐にはいれ」

 そう告げたサタンの黒い後ろ姿を見送り、溜めていた息を一度に吐き出した。その分新しく吸い込んだ空気が、肺に染み渡る。

「さて、おれも仕事するか」

 肩を竦めて気分を入れ替えると、広間で人々の不安を解消する上司の元へ足を向けた。





 飛んでくる矢はない。空中で見守る限り、外壁に取り付いた敵兵は見当たらなかった。外壁を守る門番や衛兵も武器を手にしているが、使う機会がない。圧倒的な戦力が手元にあり、働き手である民を失う危険を回避できるなら、それが一番だった。

 リリアーナが長い尾を振って空に舞い上がり、ブレスで周囲を焼き払う。矢を射掛ける後方部隊を先に潰した行為は、あとで褒めるべき点だった。学んだ分だけ成長する彼女は、自分なりに考えて行動している。

 クリスティーヌとウラノスが降りた場所は、地面が赤く染まっていた。どうやらウラノスが遠慮なく散らかしたらしい。地脈の軌道を変える意味では、大地を赤く濡らすのが早い。豊かな土壌を得る方法のひとつだった。

 地脈は負の力に引き寄せられる。不幸が続いたり人死が続いた場所は忌むべき場所とされるが、それは負の力が溜まるためだ。ある程度溜まれば、今度は磁石のように正の力を呼び寄せるが、それは人間の寿命では数世代後の話だった。寿命が短い人間では、現象の全体像が掴めずに「不幸があった土地は不幸を呼ぶ」と間違った伝承となる。もっと寿命が長ければ、「その後に地脈を呼んで幸を運ぶ」までが伝承されただろう。

 グリュポスから難民を引き入れたバシレイアは、人口が以前の3倍近くまで膨らんだ。必要とする食料や住居の数もそれに応じて増加する。数年すれば落ち着いた民の交流が深まり、生活が安定した民の出産が増えるはずだった。

 今のうちに手を打たなくては、民の生活基盤を支えられなくなる。必要なのは肥沃な大地と豊富な資源だった。食料に関しては目処がついている。リリアーナだけでなく、他の魔族を引き込めば肉や魚の調達は間に合った。同盟を結んだテッサリアは農業国だ。

 テッサリアの食料の半分は輸出に当てられる。その食料を我が国で積極的に買い取ればいい。数年後にはドワーフに命じて作らせた塀が出来上がり、バシレイア国は5倍近くに拡大するだろう。

 国取りより、国づくりの方が数倍舵取りが難しい。だからこそ挑戦する価値がある、と足元の惨劇を見ながら口元を笑みに歪めた。
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