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第5章 強欲の対価

117.お前の命を望むと言ったら?

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「私が提案できるのは、互いへの不可侵協定です。もちろん恒久的なものではなく、一定の時間を稼ぎたい」

 今の魔王を何とかするか、別の魔族を新たな王に担ぎ上げるか。己が頂点に立つ方法もあるだろう。どれを選ぶにしても、黒竜王には時間が足りなかった。

 前魔王が消滅してからまだ数年程度か。前魔王の側近が他に顔を見せず、知恵者が交渉に出てこないことから殉じたと考えるのが正しい。ならば、オレ以上に黒竜王の手札は少なかった。

 幸いにして武を尊ぶ気質が強い魔族において、黒竜王の地位と名は価値がある。しかしその分だけ裏に回り込もうとする輩もいるはずだった。人間と手を組み、知恵を借りて悪事を企む者もでる。こんな内憂外患ないゆうがいかんの現状で、さらに新たな強敵が現れた。

 黒竜王がいくら強くても、限界が近いのだろう。オレは考えるように目を伏せた。

「敵の敵は味方、か」

 率直な黒竜王の提案に、彼らの事情は大まかにつかめた。不可侵協定はそのまま「こちらへ攻めてこないでくれ」という本音が透けて見える。恒久的な不可侵はオレに跳ねのけられるため、内側の憂いを払う間だけ手出しを控えて欲しい。わかりやすい要求だった。

 この要求を蹴るのは簡単だ。だが……目の前の男の武骨で率直な物言いも、この潔さも気に入ってしまった。この話を呑んで、しばらく手出しを控えてやってもよいと思う程度には、彼を認めている。

 問題は、この要求によるデメリットだった。不可侵となれば、新たな手足をこちらに引き込むことが出来なくなる。足りない手足をもいで回収する予定のオレは、戦いの前に準備を行うための土壌を失う。前世界に残した部下を呼び寄せることが出来れば解決する問題だが、現状の戦力だけで黒竜王率いる魔族と戦うのは厳しい。

 人間は魔族との戦いに使えないし、ドラゴンやグリフォンは戦力として火力が足りなかった。吸血鬼に至ってはほぼ使えない。魔狼にドラゴンと戦えと命じるほど非道ではなく、故に提案に頷くことのデメリットは大きかった。

 黒竜王の要求を呑めば、魔族との戦いは延期できる。だが延期した先で開戦された時点で、こちらが手札や駒を揃えることが出来なければ、オレ一人で戦うのと同意語だった。結界を張り、都を守って戦うことはさほど難しくない。

 自信過剰と言われようと、守り切るだけの広範囲魔法を使う魔力は満ちていた。足りないのは……命令がなくても動ける末端の手足だけ。

「オレに利がない」

「何かひとつ要求を呑もう」

 欲しかった一言を引き出したオレの口元が歪む。ああ……なんと哀れで愚直なのだ。だからこそ、この男が望ましい。策を弄して騙すことも出来ず、罠にかけるほど卑怯でもない。率直に敵に内情を明かしてしまった武人の真っすぐな本質が、どれだけこの世界が平和だったか教えた。

 いかに武力が優れていようと、これでは魔王の側近として足りぬ。

「お前の命を望むと言ったら?」

「……っ、今すぐでなければ」

 役目が終われば差し出そう。そう言い切った黒竜王は目を逸らさなかった。

 この男は前魔王に殉じたかった。武人であればなおさら、主人を守って先に死ぬのが最高の誉だ。にもかかわらず、この男が生きているのは「夢魔の子を頼む」と預けられたのだろう。

 無力な子供を押し付けられ、死ぬことを禁じられれば生きるしかない。どれほど苦しくても心を殺し、主人の命令を遂行して死ねる日を心待ちにしてきたはず。

「拒む理由がなくなった。協定を結ぼう」

 魔法陣を刻んだ白い手を差し出せば、黒竜王の日に焼けた褐色の手が握り返す。互いの手のひらに協定を刻んだ魔法陣は、ふわりと消えた。目に見えずとも宣誓による魔法は生きている。

「では失礼する」

 黒竜の角を使った靴の踵で床を叩き、転移した。
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