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第5章 強欲の対価
98.この世界を捨てる準備をしておけ
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見慣れた封蝋は漆黒だ。押された複雑な紋章は、あの方が好んで使ったスタンプであり……真っ白な封筒の素っ気なさも至高の主を思わせた。
執務机に置いた封筒を撫でるアースティルティトの口元が緩む。転移したアースティルティトが一番早く、続いてバアルが飛び込んだ。壁をすり抜けたバアルは、機嫌よく封筒を撫でる吸血鬼に眉を顰める。
「なに? 急ぎ?」
「そうだ」
答えた声に、扉をノックする音が重なった。アナトが顔をのぞかせ、窓を開けたククルが飛び込む。集まり方に多少の問題はあるが、目をつむったアースティルティトが、まだ開封していない封筒を持ち上げて見せた。息をのんだ3人は、何も言わずに目を見開き……動きを止める。約一名は呼吸まで止めていた。
「息をしろ、アナト。今日これが届いた」
「よ、よかったぁ! シャイターン様、ご無事だったのね」
「あの方が無事じゃないわけないでしょう」
アナトが大きく息を吸って泣き崩れた。涙ぐみ鼻をすすりながらバアルは憎まれ口をたたく。ククルはまだ驚いたまま声が出ないが、ぱくぱくと口を動かし手紙を指さした。
「これから開けようと思うのだけど、一緒にどう?」
「「「ぜひ」」」
声を揃えた3人が駆け寄った。机を囲む4人は白い封筒にくぎ付けだ。震えるアースティルティトの指先、長く鋭い爪を伸ばしてペーパーナイフのように封を切った。本来は封蝋を外すものであるが、この封蝋の形を残したいと思ったのはアースティルティトだけではない。
ごくりと喉を鳴らして中の便せんが出るのを待つ。白い無地の手紙は1枚きり――これはいつもと同じで、逆に安心して彼女らは頬を崩した。最低限の要件のみ伝える1枚の紙をゆっくり開く。
不在になった経緯と異世界にいること、アースティルティトからの手紙が届いている旨の報告。見慣れた文字を指先で擦るアースティルティトの頬を涙が伝った。冷酷で知られる彼女の涙を、誰も揶揄うことはなかった。全員が同じように頬を濡らし、真剣に文字を追う。
4人の名を書いた後ろに気遣う一文があり、署名には長い名がすべて記されていた。魔王陛下として彼が持つ称号もすべて記された正式な書類は、行方不明になって半月後の日付だ。それが今届き、アースティルティトが数日前に送った報告を受け取ったというのならば……。
「あの方を召喚した異世界は、時間の流れが……違う?」
こちらの1年がむこうの10日程度だとしたら――ごくりと喉を鳴らしたククルが叫んだ。
「急がないと合流するまでにお婆ちゃんになっちゃう!!」
「そんなの、お前だけよ」
切り捨てたバアルの冷たい声に、ククルが口を尖らせた。末っ子気質の甘えん坊ククルに対し、バアルは現実主義の二女だろうか。むっとしたククルが尻尾でバアルを叩く。しかし触れる前に叩き落されて泣く羽目になった。
「喧嘩は外でしろ」
容赦のないアースティルティトの声に、びくりと肩を揺らした2人は同時に謝った。
「「ごめん(なさい)」」
静かに何度も文章を読んだアナトがふらりと倒れる。慣れたバアルが受け止め、近くの長椅子に横たえた。病弱ではないのだが、彼女は精神的な影響を肉体に反映しやすい。驚くべき記憶力と内政能力を誇るアナトは見た目はか弱い少女だった。魔族らしい特徴もない。
「返事を書く。この世界を捨てる準備をしておけ」
「私も返事を……」
「あ、だったらアナトと私も」
声を上げる彼女らに頷き、アースティルティトは頬を緩めた。この世界に未練はない。あの人がいる場所が私の居場所であり、生きる世界だった。彼女らも同じ気持ちであったことを確認し、吸血鬼は興奮を抑えるように深呼吸する。
あの方にもう一度会う――明確な目標に、疲れも眠気も吹き飛んでしまった。手紙につけた小さな記号の意味を、あの方はお気づきだろうか。手紙のやり取りが可能になった今、暗雲としていた未来が開けていく。涙に濡れた頬をそのままに、顔を見合わせた3人は笑みをかわした。
執務机に置いた封筒を撫でるアースティルティトの口元が緩む。転移したアースティルティトが一番早く、続いてバアルが飛び込んだ。壁をすり抜けたバアルは、機嫌よく封筒を撫でる吸血鬼に眉を顰める。
「なに? 急ぎ?」
「そうだ」
答えた声に、扉をノックする音が重なった。アナトが顔をのぞかせ、窓を開けたククルが飛び込む。集まり方に多少の問題はあるが、目をつむったアースティルティトが、まだ開封していない封筒を持ち上げて見せた。息をのんだ3人は、何も言わずに目を見開き……動きを止める。約一名は呼吸まで止めていた。
「息をしろ、アナト。今日これが届いた」
「よ、よかったぁ! シャイターン様、ご無事だったのね」
「あの方が無事じゃないわけないでしょう」
アナトが大きく息を吸って泣き崩れた。涙ぐみ鼻をすすりながらバアルは憎まれ口をたたく。ククルはまだ驚いたまま声が出ないが、ぱくぱくと口を動かし手紙を指さした。
「これから開けようと思うのだけど、一緒にどう?」
「「「ぜひ」」」
声を揃えた3人が駆け寄った。机を囲む4人は白い封筒にくぎ付けだ。震えるアースティルティトの指先、長く鋭い爪を伸ばしてペーパーナイフのように封を切った。本来は封蝋を外すものであるが、この封蝋の形を残したいと思ったのはアースティルティトだけではない。
ごくりと喉を鳴らして中の便せんが出るのを待つ。白い無地の手紙は1枚きり――これはいつもと同じで、逆に安心して彼女らは頬を崩した。最低限の要件のみ伝える1枚の紙をゆっくり開く。
不在になった経緯と異世界にいること、アースティルティトからの手紙が届いている旨の報告。見慣れた文字を指先で擦るアースティルティトの頬を涙が伝った。冷酷で知られる彼女の涙を、誰も揶揄うことはなかった。全員が同じように頬を濡らし、真剣に文字を追う。
4人の名を書いた後ろに気遣う一文があり、署名には長い名がすべて記されていた。魔王陛下として彼が持つ称号もすべて記された正式な書類は、行方不明になって半月後の日付だ。それが今届き、アースティルティトが数日前に送った報告を受け取ったというのならば……。
「あの方を召喚した異世界は、時間の流れが……違う?」
こちらの1年がむこうの10日程度だとしたら――ごくりと喉を鳴らしたククルが叫んだ。
「急がないと合流するまでにお婆ちゃんになっちゃう!!」
「そんなの、お前だけよ」
切り捨てたバアルの冷たい声に、ククルが口を尖らせた。末っ子気質の甘えん坊ククルに対し、バアルは現実主義の二女だろうか。むっとしたククルが尻尾でバアルを叩く。しかし触れる前に叩き落されて泣く羽目になった。
「喧嘩は外でしろ」
容赦のないアースティルティトの声に、びくりと肩を揺らした2人は同時に謝った。
「「ごめん(なさい)」」
静かに何度も文章を読んだアナトがふらりと倒れる。慣れたバアルが受け止め、近くの長椅子に横たえた。病弱ではないのだが、彼女は精神的な影響を肉体に反映しやすい。驚くべき記憶力と内政能力を誇るアナトは見た目はか弱い少女だった。魔族らしい特徴もない。
「返事を書く。この世界を捨てる準備をしておけ」
「私も返事を……」
「あ、だったらアナトと私も」
声を上げる彼女らに頷き、アースティルティトは頬を緩めた。この世界に未練はない。あの人がいる場所が私の居場所であり、生きる世界だった。彼女らも同じ気持ちであったことを確認し、吸血鬼は興奮を抑えるように深呼吸する。
あの方にもう一度会う――明確な目標に、疲れも眠気も吹き飛んでしまった。手紙につけた小さな記号の意味を、あの方はお気づきだろうか。手紙のやり取りが可能になった今、暗雲としていた未来が開けていく。涙に濡れた頬をそのままに、顔を見合わせた3人は笑みをかわした。
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