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第3章 陰陽師、囚われる
29.***元咎***
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都からの陳情の使者が訪れても、真桜は動かなかった。一部の陰陽師が戻ったようだが、彼らに護身用の札を持たせたり、緊急用の避難場所を指示するくせに、自らは動かない。
アカリと釣り糸を垂れ、たまに釣れた獲物も他の連中に分け与えていた。何をするでもなく過ぎる日々に、北斗は罪悪感に似た感覚を覚える。
都に戻った同僚は、多すぎる魑魅魍魎の妖に害されていないか。都の人々は無事なのか。そもそも戦う力があるくせに、この場に残る自分はどうしたらいいか。
「北斗、戻りたいか?」
頷いたのは、この罪悪感から逃れられると思ったからだ。北斗に声をかけた真桜は、穏やかな笑みを浮かべていた。菩薩のように穏やかで波打たない感情で、淡々と言霊を紡ぐ。
「戻っても解決しない。お前もオレも囚われているからだ」
囚われている対象は違う。しかし互いに動けない、雁字搦めに柵が絡み付いているのだ。自覚しても解けないそれを、真桜は哀れに思っていた。
陰陽師という存在を羨み恐れ敬いながら、自己否定した感情が吐き出す悪い言霊に囚われて迫害する貴族達。友人を助けようとして逆に友を追い詰めた後悔に揺れる北斗。式神らしくない感情を抱いた己を疎む式神達。同族を貶めた人を見捨てる決断をしたくせに、迷う国津神。
囚われる鎖が多すぎた。誰もが抜け出せない迷い路に足を踏みいれ、存在しない出口へ手を伸ばす。
「鎖はいずれ朽ちて消えるが、楔は残るぞ」
刺さった棘が皮膚の底に沈んで黒ずむように、己が厭うた感情は心に沁み付いてしまう。
「明後日には戻る。引き払う準備を」
真桜の指示に、残っていた陰陽師達の顔が明るくなった。戻りたい本音と、戻れば元通りになる諦めとの間で揺れていたのだ。誰かが指示してくれたら、彼らは決断の痛みを負わずに済む。卑怯だが、彼らの妥協点だったのだろう。
寺の廊下となっている縁側に腰掛け、真桜は空を見上げる。曇った空は灰色で、それでも雨が降る気配はなかった。隣に腰掛けたアカリも同じように視線を空へ向ける。
「そういや、アカリは何も言わないんだな」
「口出しして欲しいのか? お前は最初から答えを持っているだろう」
だから何も言う必要がなかった。当たり前のように告げる神様の慧眼に、目を見開いて驚いた真桜は表情を和らげる。アカリの肩に耳を寄せる形で寄りかかり、静かに息を吐いた。
「『息は域、天は転、地は血――世は夜』であろう?」
言霊は謎掛けに近い。複雑な意味を含ませた言い回しに、真桜は目元を手で押さえた。
「参ったな」
そんな2人のやり取りに、北斗は友が抱える闇の深さを知る。己自身を鎮守神として社を構えたとき、彼は自らを鎮守の要と決めた。その決断を翻してまで、役目を放棄してまで、動かなければならない状況に追い込んだのは、都に住む人間そのもの。
謝罪など到底届かない咎を、真桜は赦そうとしていた。
アカリと釣り糸を垂れ、たまに釣れた獲物も他の連中に分け与えていた。何をするでもなく過ぎる日々に、北斗は罪悪感に似た感覚を覚える。
都に戻った同僚は、多すぎる魑魅魍魎の妖に害されていないか。都の人々は無事なのか。そもそも戦う力があるくせに、この場に残る自分はどうしたらいいか。
「北斗、戻りたいか?」
頷いたのは、この罪悪感から逃れられると思ったからだ。北斗に声をかけた真桜は、穏やかな笑みを浮かべていた。菩薩のように穏やかで波打たない感情で、淡々と言霊を紡ぐ。
「戻っても解決しない。お前もオレも囚われているからだ」
囚われている対象は違う。しかし互いに動けない、雁字搦めに柵が絡み付いているのだ。自覚しても解けないそれを、真桜は哀れに思っていた。
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囚われる鎖が多すぎた。誰もが抜け出せない迷い路に足を踏みいれ、存在しない出口へ手を伸ばす。
「鎖はいずれ朽ちて消えるが、楔は残るぞ」
刺さった棘が皮膚の底に沈んで黒ずむように、己が厭うた感情は心に沁み付いてしまう。
「明後日には戻る。引き払う準備を」
真桜の指示に、残っていた陰陽師達の顔が明るくなった。戻りたい本音と、戻れば元通りになる諦めとの間で揺れていたのだ。誰かが指示してくれたら、彼らは決断の痛みを負わずに済む。卑怯だが、彼らの妥協点だったのだろう。
寺の廊下となっている縁側に腰掛け、真桜は空を見上げる。曇った空は灰色で、それでも雨が降る気配はなかった。隣に腰掛けたアカリも同じように視線を空へ向ける。
「そういや、アカリは何も言わないんだな」
「口出しして欲しいのか? お前は最初から答えを持っているだろう」
だから何も言う必要がなかった。当たり前のように告げる神様の慧眼に、目を見開いて驚いた真桜は表情を和らげる。アカリの肩に耳を寄せる形で寄りかかり、静かに息を吐いた。
「『息は域、天は転、地は血――世は夜』であろう?」
言霊は謎掛けに近い。複雑な意味を含ませた言い回しに、真桜は目元を手で押さえた。
「参ったな」
そんな2人のやり取りに、北斗は友が抱える闇の深さを知る。己自身を鎮守神として社を構えたとき、彼は自らを鎮守の要と決めた。その決断を翻してまで、役目を放棄してまで、動かなければならない状況に追い込んだのは、都に住む人間そのもの。
謝罪など到底届かない咎を、真桜は赦そうとしていた。
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