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第1章 陰陽師は神様のお気に入り
09.***神鳴***
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「そなたには龍神様を鎮めてもらう」
何も言う気になれず、真桜は大人しく座っていた。居住まいを正した視線の先に設えられた祭壇――真桜がアカリと陰陽寮の一室に篭っている間に用意されたらしい。
雨の掛からぬ軒先で、アカリは鋭い視線で状況を見つめている。その視線を背に感じながら、彼に付けた華炎へ意識を向けた。アカリを護るように頼んだのだが、華守流は真桜の斜め後ろに佇んでいる。
厳しい顔をしているのは見なくてもわかった。
「龍神様を呼んだのは最上殿だ。何か不手際があり、龍神様が怒っておられるのだろう」
雨が降らないからと雨乞いをさせた癖に、雨が降り止まねば真桜の所為だと言う。
ある意味、真理をついて真桜が原因なのだが……途中の状況判断がすべて間違っていた。だが指摘しても彼らには理解出来ない。
この雨の黒さが分からぬ者に、呪詛の説明をする無駄を真桜は身に染みて知っている。
「確実に鎮めよ」
相手は神、水を統べ気象を操る龍の化身――崇めているくせに、彼の神を侮った発言をする男をちらりと見やり、真桜は目を伏せた。
黒い雨は大地を穢しながら染み込んでいく。言われなくても止める気はあった。だが彼らの言い分に従った形になるのは、非常に不本意なのだ。
「なぜ、真桜は帝に命じさせぬ?」
帝として人々の上に立つなら、真桜を守るくらい簡単だろう。
アカリの言い分は正しい。だが実行できるかは別問題だった。宮中は複雑に絡まった人間関係で身動きが出来ない。それは権力を持つ人間ほど雁字搦めに縛られていた。
『人の世は複雑だ。力関係だけでは成り立たない』
華炎の説明に、アカリは形のよい鼻に皺を寄せて唇を引き結んだ。
『アレも分かっていて従っているのだ。騒動を起こさないでくれ』
「……分かった」
少し返答が渋い色を滲ませたのは、龍神のフリをして自分が出たら話が早い……などと考えていた所為だ。それを見越したような華炎の声に、仕方なさそうに顔を顰めた。
視線の先で不機嫌なオーラを漂わせた真桜が、長い三つ編みを指先で弾いた。宮中では髪を結い上げるのが礼儀だが、陰陽師だけは免除されている。
髪に霊力が宿るという迷信のおかげだ。
三つ編みにした赤茶の髪を解いた真桜が、小さく言霊を吐き出す。唇の動きと吐息で作り出す領域が広がり、徐々に真桜の髪が揺らめきだした。
ふわりと風に揺れる髪は濡れて重い筈なのに、重力を感じさせぬ動きで揺れ続ける。
”ひふみよ、いつむの、ななやここのたり……”
唇が紡ぐ声なき言霊は真桜の霊力を高めていく。
しかしその様が理解できぬ者もいた。真桜が高める霊力を胡散臭そうに見つめるだけならともかく、髪の揺れる様を指差して騒ぎ出す。
「妖じゃ! この者は『人に非ず』」
意図せず発した単語に言霊が宿る。整えた場がゆらりと揺らいだ。
舌打ちしたい気分で呼吸を整える真桜より早く、アカリが華炎を振り切って手を差し伸べる。
『我の息は域となる。血を地に変えて我が意に従え!』
叫んだ声に呼応して、大地が従う。ぽたりとアカリの指から零れた血が大地に染み込んだ。とっさに霊力の場を保とうと、指を歯で噛み千切ったのだ。
「アカリっ!」
驚いた真桜の無事を確認したアカリが吐きかけた溜め息を飲み込み、雨の下へ素足を踏み出した。ぴちゃりと水音を響かせて歩くアカリの物腰は優美で、誰もが言葉を失って見守る。
「そこな者、お前は今……穢れの言霊を吐いた。霊力の集中を妨げただけでなく、この場にいる全員の命を危険に晒したのだ」
滔々と言い聞かせる声は苛立ちを含んでいた。我に返った陰陽師達が、騒いだ貴族を引っ張って連れ去る。儀式を邪魔する存在など、この場に置ける筈がなかった。
「そんなに怒るなよ……。オレが注意を怠った所為だ」
本来なら儀式の際に陰陽師以外を排除するのが通例だ。しかし手間を省いて霊力を見せたのは、黒い雨が自分の所為という焦りがあった。
只人の目に自分がどう映るのか……考えるより先に動いてしまったのが悪い。
「……お前は…っ。もうよい」
怒った様子でそっぽを向いたアカリだが、立ち去ろうとしないところを見ると守ってくれるつもりらしい。確かに約定は取り交わしているが……アカリを危険に晒す気のない真桜は困ったような顔で苦笑いした。
「危ないからさ……」
「だからここにいる」
「いや……あの」
「いいから、さっさと続きをせよ」
アカリの冷たい物言いに含まれた優しさを感じて、真桜はそれ以上の言葉を飲み込んだ。目を祭壇へ向け、もう一度言霊を紡ぐ。
『ひふみよ、いつむの、ななや……』
何かおかしい。
気づいたのは真桜とアカリ同時だった。互いに顔を見合わせ、駆け寄った華炎と華守流が防護壁を張る。それを待っていたように、周囲は閃光に包まれた。
何も言う気になれず、真桜は大人しく座っていた。居住まいを正した視線の先に設えられた祭壇――真桜がアカリと陰陽寮の一室に篭っている間に用意されたらしい。
雨の掛からぬ軒先で、アカリは鋭い視線で状況を見つめている。その視線を背に感じながら、彼に付けた華炎へ意識を向けた。アカリを護るように頼んだのだが、華守流は真桜の斜め後ろに佇んでいる。
厳しい顔をしているのは見なくてもわかった。
「龍神様を呼んだのは最上殿だ。何か不手際があり、龍神様が怒っておられるのだろう」
雨が降らないからと雨乞いをさせた癖に、雨が降り止まねば真桜の所為だと言う。
ある意味、真理をついて真桜が原因なのだが……途中の状況判断がすべて間違っていた。だが指摘しても彼らには理解出来ない。
この雨の黒さが分からぬ者に、呪詛の説明をする無駄を真桜は身に染みて知っている。
「確実に鎮めよ」
相手は神、水を統べ気象を操る龍の化身――崇めているくせに、彼の神を侮った発言をする男をちらりと見やり、真桜は目を伏せた。
黒い雨は大地を穢しながら染み込んでいく。言われなくても止める気はあった。だが彼らの言い分に従った形になるのは、非常に不本意なのだ。
「なぜ、真桜は帝に命じさせぬ?」
帝として人々の上に立つなら、真桜を守るくらい簡単だろう。
アカリの言い分は正しい。だが実行できるかは別問題だった。宮中は複雑に絡まった人間関係で身動きが出来ない。それは権力を持つ人間ほど雁字搦めに縛られていた。
『人の世は複雑だ。力関係だけでは成り立たない』
華炎の説明に、アカリは形のよい鼻に皺を寄せて唇を引き結んだ。
『アレも分かっていて従っているのだ。騒動を起こさないでくれ』
「……分かった」
少し返答が渋い色を滲ませたのは、龍神のフリをして自分が出たら話が早い……などと考えていた所為だ。それを見越したような華炎の声に、仕方なさそうに顔を顰めた。
視線の先で不機嫌なオーラを漂わせた真桜が、長い三つ編みを指先で弾いた。宮中では髪を結い上げるのが礼儀だが、陰陽師だけは免除されている。
髪に霊力が宿るという迷信のおかげだ。
三つ編みにした赤茶の髪を解いた真桜が、小さく言霊を吐き出す。唇の動きと吐息で作り出す領域が広がり、徐々に真桜の髪が揺らめきだした。
ふわりと風に揺れる髪は濡れて重い筈なのに、重力を感じさせぬ動きで揺れ続ける。
”ひふみよ、いつむの、ななやここのたり……”
唇が紡ぐ声なき言霊は真桜の霊力を高めていく。
しかしその様が理解できぬ者もいた。真桜が高める霊力を胡散臭そうに見つめるだけならともかく、髪の揺れる様を指差して騒ぎ出す。
「妖じゃ! この者は『人に非ず』」
意図せず発した単語に言霊が宿る。整えた場がゆらりと揺らいだ。
舌打ちしたい気分で呼吸を整える真桜より早く、アカリが華炎を振り切って手を差し伸べる。
『我の息は域となる。血を地に変えて我が意に従え!』
叫んだ声に呼応して、大地が従う。ぽたりとアカリの指から零れた血が大地に染み込んだ。とっさに霊力の場を保とうと、指を歯で噛み千切ったのだ。
「アカリっ!」
驚いた真桜の無事を確認したアカリが吐きかけた溜め息を飲み込み、雨の下へ素足を踏み出した。ぴちゃりと水音を響かせて歩くアカリの物腰は優美で、誰もが言葉を失って見守る。
「そこな者、お前は今……穢れの言霊を吐いた。霊力の集中を妨げただけでなく、この場にいる全員の命を危険に晒したのだ」
滔々と言い聞かせる声は苛立ちを含んでいた。我に返った陰陽師達が、騒いだ貴族を引っ張って連れ去る。儀式を邪魔する存在など、この場に置ける筈がなかった。
「そんなに怒るなよ……。オレが注意を怠った所為だ」
本来なら儀式の際に陰陽師以外を排除するのが通例だ。しかし手間を省いて霊力を見せたのは、黒い雨が自分の所為という焦りがあった。
只人の目に自分がどう映るのか……考えるより先に動いてしまったのが悪い。
「……お前は…っ。もうよい」
怒った様子でそっぽを向いたアカリだが、立ち去ろうとしないところを見ると守ってくれるつもりらしい。確かに約定は取り交わしているが……アカリを危険に晒す気のない真桜は困ったような顔で苦笑いした。
「危ないからさ……」
「だからここにいる」
「いや……あの」
「いいから、さっさと続きをせよ」
アカリの冷たい物言いに含まれた優しさを感じて、真桜はそれ以上の言葉を飲み込んだ。目を祭壇へ向け、もう一度言霊を紡ぐ。
『ひふみよ、いつむの、ななや……』
何かおかしい。
気づいたのは真桜とアカリ同時だった。互いに顔を見合わせ、駆け寄った華炎と華守流が防護壁を張る。それを待っていたように、周囲は閃光に包まれた。
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