193 / 274
193.母親ってこういうもの
しおりを挟む
一国の王が崩御して、ここまで何もないのは珍しいでしょうね。三つの公爵家以外には連絡が来ていないため、平穏な日常が続いている。我が家にも、ユリアンのピアノが響いた。元気にシンバルを打ち鳴らすレオンがいて、明らかに練習中のバイオリンが悲鳴のような音を重ねる。
使用人達は何も知らず、ごく普通の日常を送っていた。ヘンリック様をお見送りして、楽器が響く勉強部屋に戻る。ピアノとハープは別室に設置された。音楽用の部屋があるのよ。シンバルとバイオリンが好き勝手に競演する部屋は、洪水のように音が溢れていた。
「レオン、手伝ってほしいの」
「なぁに?!」
シンバルを丁寧に机の上に置いて、レオンは走ってくる。とてとて、そんな擬音が似合う走り方は幼子特有で、不安定さが可愛いのよね。前世にあった音のするサンダルを履かせたくなるわ。
「歩く練習をするから、向こうで呼んでくれる?」
「うん!」
フランクと手を繋いだレオンは、十歩ほど先で止まった。こちらを振り返り、両手を大きく広げる。
「おかぁしゃま、こっち」
「頑張るわね」
気合いを入れて立ち上がる。ぐっと力を込めた腕は、すでに筋肉痛だった。踏みしめる足の裏も、腿や脹脛だって痛い。可愛いレオンが待っているんだもの、早く歩かなくちゃ。自分に言い聞かせ、動かない足をずりりと引きずった。
痛いけれど、これは車椅子で楽をしたせいよ。このまま楽をし続けたら、足が動かなくなるわ。自らに暗示をかけ、恐怖でしかない寝たきりの未来を思い浮かべた。この若さで、そんなのごめんだ。
廊下を二往復半した。といっても、距離は十五歩ほどだ。車椅子とレオンの間を行ったり来たり。すでに汗だくだった。汗を拭うリリーが心配そうに問う。
「本日はもう休憩されてはいかがでしょう」
「あと、一往復はしたいの」
このままでは、王宮でまた車椅子移動になってしまう。レオンを抱っこできなくても、手を繋いで歩きたいわ。理由つきで説明し、理解を得た。頑張りましょうと応援され、レオンの笑顔を見つめて歩く。一往復が長く感じられたけれど、今日はいつもよりたくさん歩いた。
「残りは午後にいたしましょう」
「え? ええ」
午後も歩くの? こんなにきついのに……と疑問系の声を上げたが、すぐに思い直した。フランクの指示は嫌がらせではない。早く歩きたいと伝えたのは私自身よ。
お昼を食べて眠くなったレオンに絵本を読み聞かせた。眠ったのを確認し、廊下を歩くリハビリを始める。ユリアンとユリアーナが両手を掴んで、向かいにいるエルヴィンまで歩くの。何度か往復して、疲れから車椅子でぐったりしていたら……レオンの声が聞こえた。
「おかぁ、しゃまぁ……うわぁああ」
大泣きする声に、体が動く。よろよろしながらも、扉までたどり着いた。必死で開けた先、レオンが鼻水を垂らして泣いている。
「どうしたの、レオン。おいでなさい」
両手を広げた私は、床へへたり込んだ。崩れ落ちるように座った膝に、レオンが飛びつく。涙や鼻水をまとめて擦り付けながら、しゃくりあげる背中を撫でた。
「奥様……その」
遠慮がちなリリーの声に振り返り、思わぬ距離を歩いた事実に目を見開く。人ってやればできるのね。
使用人達は何も知らず、ごく普通の日常を送っていた。ヘンリック様をお見送りして、楽器が響く勉強部屋に戻る。ピアノとハープは別室に設置された。音楽用の部屋があるのよ。シンバルとバイオリンが好き勝手に競演する部屋は、洪水のように音が溢れていた。
「レオン、手伝ってほしいの」
「なぁに?!」
シンバルを丁寧に机の上に置いて、レオンは走ってくる。とてとて、そんな擬音が似合う走り方は幼子特有で、不安定さが可愛いのよね。前世にあった音のするサンダルを履かせたくなるわ。
「歩く練習をするから、向こうで呼んでくれる?」
「うん!」
フランクと手を繋いだレオンは、十歩ほど先で止まった。こちらを振り返り、両手を大きく広げる。
「おかぁしゃま、こっち」
「頑張るわね」
気合いを入れて立ち上がる。ぐっと力を込めた腕は、すでに筋肉痛だった。踏みしめる足の裏も、腿や脹脛だって痛い。可愛いレオンが待っているんだもの、早く歩かなくちゃ。自分に言い聞かせ、動かない足をずりりと引きずった。
痛いけれど、これは車椅子で楽をしたせいよ。このまま楽をし続けたら、足が動かなくなるわ。自らに暗示をかけ、恐怖でしかない寝たきりの未来を思い浮かべた。この若さで、そんなのごめんだ。
廊下を二往復半した。といっても、距離は十五歩ほどだ。車椅子とレオンの間を行ったり来たり。すでに汗だくだった。汗を拭うリリーが心配そうに問う。
「本日はもう休憩されてはいかがでしょう」
「あと、一往復はしたいの」
このままでは、王宮でまた車椅子移動になってしまう。レオンを抱っこできなくても、手を繋いで歩きたいわ。理由つきで説明し、理解を得た。頑張りましょうと応援され、レオンの笑顔を見つめて歩く。一往復が長く感じられたけれど、今日はいつもよりたくさん歩いた。
「残りは午後にいたしましょう」
「え? ええ」
午後も歩くの? こんなにきついのに……と疑問系の声を上げたが、すぐに思い直した。フランクの指示は嫌がらせではない。早く歩きたいと伝えたのは私自身よ。
お昼を食べて眠くなったレオンに絵本を読み聞かせた。眠ったのを確認し、廊下を歩くリハビリを始める。ユリアンとユリアーナが両手を掴んで、向かいにいるエルヴィンまで歩くの。何度か往復して、疲れから車椅子でぐったりしていたら……レオンの声が聞こえた。
「おかぁ、しゃまぁ……うわぁああ」
大泣きする声に、体が動く。よろよろしながらも、扉までたどり着いた。必死で開けた先、レオンが鼻水を垂らして泣いている。
「どうしたの、レオン。おいでなさい」
両手を広げた私は、床へへたり込んだ。崩れ落ちるように座った膝に、レオンが飛びつく。涙や鼻水をまとめて擦り付けながら、しゃくりあげる背中を撫でた。
「奥様……その」
遠慮がちなリリーの声に振り返り、思わぬ距離を歩いた事実に目を見開く。人ってやればできるのね。
1,364
お気に入りに追加
4,242
あなたにおすすめの小説

妹に婚約者を奪われたので妹の服を全部売りさばくことに決めました
常野夏子
恋愛
婚約者フレデリックを妹ジェシカに奪われたクラリッサ。
裏切りに打ちひしがれるも、やがて復讐を決意する。
ジェシカが莫大な資金を投じて集めた高級服の数々――それを全て売りさばき、彼女の誇りを粉々に砕くのだ。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

罠に嵌められたのは一体誰?
チカフジ ユキ
恋愛
卒業前夜祭とも言われる盛大なパーティーで、王太子の婚約者が多くの人の前で婚約破棄された。
誰もが冤罪だと思いながらも、破棄された令嬢は背筋を伸ばし、それを認め国を去ることを誓った。
そして、その一部始終すべてを見ていた僕もまた、その日に婚約が白紙になり、仕方がないかぁと思いながら、実家のある隣国へと帰って行った。
しかし帰宅した家で、なんと婚約破棄された元王太子殿下の婚約者様が僕を出迎えてた。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい
LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。
相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。
何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。
相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。
契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?

お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た

【12話完結】私はイジメられた側ですが。国のため、貴方のために王妃修行に努めていたら、婚約破棄を告げられ、友人に裏切られました。
西東友一
恋愛
国のため、貴方のため。
私は厳しい王妃修行に努めてまいりました。
それなのに第一王子である貴方が開いた舞踏会で、「この俺、次期国王である第一王子エドワード・ヴィクトールは伯爵令嬢のメリー・アナラシアと婚約破棄する」
と宣言されるなんて・・・

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~
瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)
ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。
3歳年下のティーノ様だ。
本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。
行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。
なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。
もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。
そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。
全7話の短編です 完結確約です。

美しい容姿の義妹は、私の婚約者を奪おうとしました。だったら、貴方には絶望してもらいましょう。
久遠りも
恋愛
美しい容姿の義妹は、私の婚約者を奪おうとしました。だったら、貴方には絶望してもらいましょう。
※一話完結です。
ゆるゆる設定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる