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173.落日の別れ ***SIDE侯爵
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王妃である娘はよく働いている。先代王は本当に見事な仕組みを考えた。息子が使えないなら、使える人間を周囲に配置すればいい。政の基本は、国という組織の運営を潤滑に滞らせないことだった。
王族が担当する必要のある外交は、王妃マルレーネに任せればいい。国王となる夫と共に他国に渡り、来賓を歓迎する。交渉の場も、王妃なら代理として出席可能だった。決定権を持っていても、他国から勘繰られる心配はない。
内政まで彼女に任せるのは無理と判断し、早めに代わりを見つけた。王家の血を持つ公爵家の嫡子だ。真面目で素直な子供を不適格な親から引き離し、恩を着せて育てる。厳しい王族教育に耐えられない王子の代わりに、彼がすべてを習得した。
国を動かす二つの車輪は、王妃とケンプフェルト公爵だ。子を産み育てる王妃マルレーネを補佐し、国を支える生贄のような役割を与えた。先代王の案に同意した時点で、私の罪は確定だろう。
「フェアリーガー侯爵、あなたは私を侮っているのかしら。すべて知っていますよ、ビルギッタのこと。ああ、その前のカトリンも忘れてはいけないわね」
いつからだろう。娘が私を父と呼ばなくなったのは。
「貴族夫人や令嬢に手を出さないよう、思慮や我慢の足りない夫へ平民女性を当てがった。金に困った未亡人を選び、まるで娼婦のように相手をさせたのも。全部知っているわ」
そう告げる娘は、冷めた目をしていた。軽蔑と嫌悪が滲んだ眼差しは、切り裂くように鋭い。先代の願いを聞き入れたあの日、娘を犠牲にした私に相応しい扱いだろう。もう娘の中に、父親は存在しない。
「フェアリーガー侯爵、あなたは人としての尊厳まで切り売りしたの。この国を治めるのに、陛下は不要です」
「それはっ!」
「血筋は繋いだ、義務は果たしたの。彼の存在は害悪にしかならない。陛下は退位し、次世代に権力も地位も譲るべきだわ。だって、何もできないんですもの」
微笑んで宣告する王妃マルレーネの表情に、慈悲も容赦も感じられなかった。すでに悩む時期は終わり、決断すら済んでいる。決まった事実を淡々と告げる段階だった。
「いい手本になったわ、フェアリーガー侯爵……いえ、元侯爵」
この一言で、私の爵位は剥奪された。根回しも終わっているだろう。そのくらいの手腕がなければ、他国との交渉などできない。この才能を見い出し、伸ばしたのは……先代王と私なのだから。
「……大変、お世話になりました」
「ご苦労でした。下がって構いませんよ」
ぱちんと扇を鳴らし、話は終わりと打ち切った。踵を返す娘に頭を下げ、少しして顔を上げる。後ろ姿を目に焼き付けた。きっとこんな距離で見られるのは、これが最後だ。
あの日、主君の願いを撥ね除けていたら。娘を守るために戦ったなら。すべては仮定であり、同じ場面で私は同じ選択をするだろう。だから一切の言い訳はせず、姿が見えなくなってもその場に立ち尽くした。
浮気相手を平民から見繕ったのは、マルレーネの耳に入れないためだが……予想を上回る有能な王妃に小細工は通用しなかった。それだけのことだ。老いた私の出番は終わり、世代は入れ替わる。
よく磨かれた窓から、眩しい日差しが容赦なく突き刺さった。
王族が担当する必要のある外交は、王妃マルレーネに任せればいい。国王となる夫と共に他国に渡り、来賓を歓迎する。交渉の場も、王妃なら代理として出席可能だった。決定権を持っていても、他国から勘繰られる心配はない。
内政まで彼女に任せるのは無理と判断し、早めに代わりを見つけた。王家の血を持つ公爵家の嫡子だ。真面目で素直な子供を不適格な親から引き離し、恩を着せて育てる。厳しい王族教育に耐えられない王子の代わりに、彼がすべてを習得した。
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「フェアリーガー侯爵、あなたは私を侮っているのかしら。すべて知っていますよ、ビルギッタのこと。ああ、その前のカトリンも忘れてはいけないわね」
いつからだろう。娘が私を父と呼ばなくなったのは。
「貴族夫人や令嬢に手を出さないよう、思慮や我慢の足りない夫へ平民女性を当てがった。金に困った未亡人を選び、まるで娼婦のように相手をさせたのも。全部知っているわ」
そう告げる娘は、冷めた目をしていた。軽蔑と嫌悪が滲んだ眼差しは、切り裂くように鋭い。先代の願いを聞き入れたあの日、娘を犠牲にした私に相応しい扱いだろう。もう娘の中に、父親は存在しない。
「フェアリーガー侯爵、あなたは人としての尊厳まで切り売りしたの。この国を治めるのに、陛下は不要です」
「それはっ!」
「血筋は繋いだ、義務は果たしたの。彼の存在は害悪にしかならない。陛下は退位し、次世代に権力も地位も譲るべきだわ。だって、何もできないんですもの」
微笑んで宣告する王妃マルレーネの表情に、慈悲も容赦も感じられなかった。すでに悩む時期は終わり、決断すら済んでいる。決まった事実を淡々と告げる段階だった。
「いい手本になったわ、フェアリーガー侯爵……いえ、元侯爵」
この一言で、私の爵位は剥奪された。根回しも終わっているだろう。そのくらいの手腕がなければ、他国との交渉などできない。この才能を見い出し、伸ばしたのは……先代王と私なのだから。
「……大変、お世話になりました」
「ご苦労でした。下がって構いませんよ」
ぱちんと扇を鳴らし、話は終わりと打ち切った。踵を返す娘に頭を下げ、少しして顔を上げる。後ろ姿を目に焼き付けた。きっとこんな距離で見られるのは、これが最後だ。
あの日、主君の願いを撥ね除けていたら。娘を守るために戦ったなら。すべては仮定であり、同じ場面で私は同じ選択をするだろう。だから一切の言い訳はせず、姿が見えなくなってもその場に立ち尽くした。
浮気相手を平民から見繕ったのは、マルレーネの耳に入れないためだが……予想を上回る有能な王妃に小細工は通用しなかった。それだけのことだ。老いた私の出番は終わり、世代は入れ替わる。
よく磨かれた窓から、眩しい日差しが容赦なく突き刺さった。
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