173 / 274
173.落日の別れ ***SIDE侯爵
しおりを挟む
王妃である娘はよく働いている。先代王は本当に見事な仕組みを考えた。息子が使えないなら、使える人間を周囲に配置すればいい。政の基本は、国という組織の運営を潤滑に滞らせないことだった。
王族が担当する必要のある外交は、王妃マルレーネに任せればいい。国王となる夫と共に他国に渡り、来賓を歓迎する。交渉の場も、王妃なら代理として出席可能だった。決定権を持っていても、他国から勘繰られる心配はない。
内政まで彼女に任せるのは無理と判断し、早めに代わりを見つけた。王家の血を持つ公爵家の嫡子だ。真面目で素直な子供を不適格な親から引き離し、恩を着せて育てる。厳しい王族教育に耐えられない王子の代わりに、彼がすべてを習得した。
国を動かす二つの車輪は、王妃とケンプフェルト公爵だ。子を産み育てる王妃マルレーネを補佐し、国を支える生贄のような役割を与えた。先代王の案に同意した時点で、私の罪は確定だろう。
「フェアリーガー侯爵、あなたは私を侮っているのかしら。すべて知っていますよ、ビルギッタのこと。ああ、その前のカトリンも忘れてはいけないわね」
いつからだろう。娘が私を父と呼ばなくなったのは。
「貴族夫人や令嬢に手を出さないよう、思慮や我慢の足りない夫へ平民女性を当てがった。金に困った未亡人を選び、まるで娼婦のように相手をさせたのも。全部知っているわ」
そう告げる娘は、冷めた目をしていた。軽蔑と嫌悪が滲んだ眼差しは、切り裂くように鋭い。先代の願いを聞き入れたあの日、娘を犠牲にした私に相応しい扱いだろう。もう娘の中に、父親は存在しない。
「フェアリーガー侯爵、あなたは人としての尊厳まで切り売りしたの。この国を治めるのに、陛下は不要です」
「それはっ!」
「血筋は繋いだ、義務は果たしたの。彼の存在は害悪にしかならない。陛下は退位し、次世代に権力も地位も譲るべきだわ。だって、何もできないんですもの」
微笑んで宣告する王妃マルレーネの表情に、慈悲も容赦も感じられなかった。すでに悩む時期は終わり、決断すら済んでいる。決まった事実を淡々と告げる段階だった。
「いい手本になったわ、フェアリーガー侯爵……いえ、元侯爵」
この一言で、私の爵位は剥奪された。根回しも終わっているだろう。そのくらいの手腕がなければ、他国との交渉などできない。この才能を見い出し、伸ばしたのは……先代王と私なのだから。
「……大変、お世話になりました」
「ご苦労でした。下がって構いませんよ」
ぱちんと扇を鳴らし、話は終わりと打ち切った。踵を返す娘に頭を下げ、少しして顔を上げる。後ろ姿を目に焼き付けた。きっとこんな距離で見られるのは、これが最後だ。
あの日、主君の願いを撥ね除けていたら。娘を守るために戦ったなら。すべては仮定であり、同じ場面で私は同じ選択をするだろう。だから一切の言い訳はせず、姿が見えなくなってもその場に立ち尽くした。
浮気相手を平民から見繕ったのは、マルレーネの耳に入れないためだが……予想を上回る有能な王妃に小細工は通用しなかった。それだけのことだ。老いた私の出番は終わり、世代は入れ替わる。
よく磨かれた窓から、眩しい日差しが容赦なく突き刺さった。
王族が担当する必要のある外交は、王妃マルレーネに任せればいい。国王となる夫と共に他国に渡り、来賓を歓迎する。交渉の場も、王妃なら代理として出席可能だった。決定権を持っていても、他国から勘繰られる心配はない。
内政まで彼女に任せるのは無理と判断し、早めに代わりを見つけた。王家の血を持つ公爵家の嫡子だ。真面目で素直な子供を不適格な親から引き離し、恩を着せて育てる。厳しい王族教育に耐えられない王子の代わりに、彼がすべてを習得した。
国を動かす二つの車輪は、王妃とケンプフェルト公爵だ。子を産み育てる王妃マルレーネを補佐し、国を支える生贄のような役割を与えた。先代王の案に同意した時点で、私の罪は確定だろう。
「フェアリーガー侯爵、あなたは私を侮っているのかしら。すべて知っていますよ、ビルギッタのこと。ああ、その前のカトリンも忘れてはいけないわね」
いつからだろう。娘が私を父と呼ばなくなったのは。
「貴族夫人や令嬢に手を出さないよう、思慮や我慢の足りない夫へ平民女性を当てがった。金に困った未亡人を選び、まるで娼婦のように相手をさせたのも。全部知っているわ」
そう告げる娘は、冷めた目をしていた。軽蔑と嫌悪が滲んだ眼差しは、切り裂くように鋭い。先代の願いを聞き入れたあの日、娘を犠牲にした私に相応しい扱いだろう。もう娘の中に、父親は存在しない。
「フェアリーガー侯爵、あなたは人としての尊厳まで切り売りしたの。この国を治めるのに、陛下は不要です」
「それはっ!」
「血筋は繋いだ、義務は果たしたの。彼の存在は害悪にしかならない。陛下は退位し、次世代に権力も地位も譲るべきだわ。だって、何もできないんですもの」
微笑んで宣告する王妃マルレーネの表情に、慈悲も容赦も感じられなかった。すでに悩む時期は終わり、決断すら済んでいる。決まった事実を淡々と告げる段階だった。
「いい手本になったわ、フェアリーガー侯爵……いえ、元侯爵」
この一言で、私の爵位は剥奪された。根回しも終わっているだろう。そのくらいの手腕がなければ、他国との交渉などできない。この才能を見い出し、伸ばしたのは……先代王と私なのだから。
「……大変、お世話になりました」
「ご苦労でした。下がって構いませんよ」
ぱちんと扇を鳴らし、話は終わりと打ち切った。踵を返す娘に頭を下げ、少しして顔を上げる。後ろ姿を目に焼き付けた。きっとこんな距離で見られるのは、これが最後だ。
あの日、主君の願いを撥ね除けていたら。娘を守るために戦ったなら。すべては仮定であり、同じ場面で私は同じ選択をするだろう。だから一切の言い訳はせず、姿が見えなくなってもその場に立ち尽くした。
浮気相手を平民から見繕ったのは、マルレーネの耳に入れないためだが……予想を上回る有能な王妃に小細工は通用しなかった。それだけのことだ。老いた私の出番は終わり、世代は入れ替わる。
よく磨かれた窓から、眩しい日差しが容赦なく突き刺さった。
1,551
お気に入りに追加
4,243
あなたにおすすめの小説

妹に婚約者を奪われたので妹の服を全部売りさばくことに決めました
常野夏子
恋愛
婚約者フレデリックを妹ジェシカに奪われたクラリッサ。
裏切りに打ちひしがれるも、やがて復讐を決意する。
ジェシカが莫大な資金を投じて集めた高級服の数々――それを全て売りさばき、彼女の誇りを粉々に砕くのだ。

罠に嵌められたのは一体誰?
チカフジ ユキ
恋愛
卒業前夜祭とも言われる盛大なパーティーで、王太子の婚約者が多くの人の前で婚約破棄された。
誰もが冤罪だと思いながらも、破棄された令嬢は背筋を伸ばし、それを認め国を去ることを誓った。
そして、その一部始終すべてを見ていた僕もまた、その日に婚約が白紙になり、仕方がないかぁと思いながら、実家のある隣国へと帰って行った。
しかし帰宅した家で、なんと婚約破棄された元王太子殿下の婚約者様が僕を出迎えてた。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい
LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。
相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。
何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。
相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。
契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?
せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?
石河 翠
恋愛
夫と折り合いが悪く、嫁ぎ先で冷遇されたあげく離婚することになったイヴ。
彼女はせっかくだからと、屋敷で夫と過ごす最後の日を特別な一日にすることに決める。何かにつけてぶつかりあっていたが、最後くらいは夫の望み通りに振る舞ってみることにしたのだ。
夫の愛人のことを軽蔑していたが、男の操縦方法については学ぶところがあったのだと気がつく彼女。
一方、突然彼女を好ましく感じ始めた夫は、離婚届の提出を取り止めるよう提案するが……。
愛することを止めたがゆえに、夫のわがままにも優しく接することができるようになった妻と、そんな妻の気持ちを最後まで理解できなかった愚かな夫のお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID25290252)をお借りしております。

お姉さまが家を出て行き、婚約者を譲られました
さこの
恋愛
姉は優しく美しい。姉の名前はアリシア私の名前はフェリシア
姉の婚約者は第三王子
お茶会をすると一緒に来てと言われる
アリシアは何かとフェリシアと第三王子を二人にしたがる
ある日姉が父に言った。
アリシアでもフェリシアでも婚約者がクリスタル伯爵家の娘ならどちらでも良いですよね?
バカな事を言うなと怒る父、次の日に姉が家を、出た

【12話完結】私はイジメられた側ですが。国のため、貴方のために王妃修行に努めていたら、婚約破棄を告げられ、友人に裏切られました。
西東友一
恋愛
国のため、貴方のため。
私は厳しい王妃修行に努めてまいりました。
それなのに第一王子である貴方が開いた舞踏会で、「この俺、次期国王である第一王子エドワード・ヴィクトールは伯爵令嬢のメリー・アナラシアと婚約破棄する」
と宣言されるなんて・・・

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる