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97.噂になる前に事件が起きるわ

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 夕食後の団らんも終えて、ヘンリック様は階段を睨んだ。絨毯の部屋で話した通り、今夜は我慢していただくの。明日、昼間に引っ越しを済ませると決めた。自分でも頷いた以上、覆す方ではないと思うけれど。抱っこしたレオンと一緒に「おやすみなさいませ」と挨拶して見送る。

 駄々をこねずに階段を上ったヘンリック様を褒めてあげたいわ。家族も離れに引き上げ、私は自室へ向かいながら、イルゼに来てくれるよう伝えた。リリーが伝言に向かい、気を利かせたマーサがレオンを受け取る。不思議そうなレオンに、お風呂に入ってきてねと微笑んだ。

 レオンのお風呂の時間を長くしてくれるよう、こっそりとマーサに指示する。イルゼの話は長くなると思うの。内容はおおよそ見当がついていた。

「奥様、僭越ながら申し上げたいことが……」

「分かっているつもりです。だから遠慮なく言って頂戴」

 許可を与える。何を言っても罪に問わない。そう約束して、彼女にソファーへ腰掛けるよう促した。迷った彼女に、お願いして座ってもらう。見上げて聞くのは落ち着かないし、長くなるとイルゼが大変だわ。

「聡明な奥様はすでにお気づきでしょう。現状は問題があります」

 前置きして始まった内容は、私が懸念した通りだった。ヘンリック様は初めての家族体験に夢中になり、一緒にいたら楽しいはずと暴走気味。内部の人はそれを理解するけれど、外部から見たらおかしい。

 貧乏だけど名門の伯爵家から花嫁を買った。ところが大した領地も持たない名ばかりの伯爵は、娘の婚家に家族全員で乗り込んだ。衣食住を賄わせた挙句、ついに本邸まで乗っ取ろうとしている。由緒あるケンプフェルト公爵家が、シュミット伯爵家に呑み込まれるぞ。

 噂になるとしたらこの辺りね。公爵家のスキャンダルなんて、すぐに尾ひれ背びれがついて広がる。私やヘンリック様がいくら否定しても、家族がどんなに無害を訴えようと……王家が庇ってもじわじわと黒いシミのように人の心に残るでしょう。だって、否定されるほど本当のような気がするもの。

 普段は雲の上の人だから、覗いてしまった悪い噂は蜜の味になる。イルゼは丁寧に言葉を選んで、もっと柔らかい表現を使った。気遣いに感謝しながら聞いた私は、微笑んで彼女に頷いた。嫌われたり怒られるのを覚悟で、こういった話をしてくれるイルゼは得難い味方だわ。

「分かっているわ、でも一つ安心してほしいの。この同居は絶対に解消されるから」

「何か策がございますか」

「何もしなくても、二日もしたら分かるでしょうけれど……実はね」

 身を乗り出して手招き、イルゼの耳元へ言葉を残す。目を見開いたイルゼが「そのような……」と絶句したところに、レオンが戻ってきた。マーサと手を繋いだレオンは、驚いたように立ち止まる。

「なに? ぼくも、して!」

 何をしてほしいのかしら。自分達の状況を確認し、なるほどと頬が緩んだ。内緒話をしている姿をみて、交ざりたいと思ったのね。手招きし、レオンを隣に座らせる。やや湿った黒髪を撫でて身をかがめて、耳元にこっそりと囁いた。

「今夜の絵本は二冊よ」

 目を輝かせたレオンだが、両手を挙げて喜んだあと……私に顔を寄せてきた。

「うん……にしゃつ!」

 大切な秘密だね、と笑う幼子が可愛すぎて膝に抱き上げた。
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