70 / 131
70.羨ましく感じた ***SIDE公爵
しおりを挟む
アマーリアの提案は、思わぬものだった。まだ給料の定めはしていないから、変更は可能だ。指摘されるまで考えたこともなかった。上司から仕事を押し付けられ、部下からは不満が突き上げる。そんな役職になってしまうとは……。
俺の持つ権限を分けて与える。それにより、俺の決裁する書類が減るだろうと軽く考えた。だが、その点はアマーリアの評価に値するようだ。一人に仕事が集中する状況は、何かしらの不幸が重なれば瓦解するらしい。
現状、もし俺が寝込んだりすれば……想像するのも恐ろしい混乱を引き起こす。国政は滞るし、陛下の元へ書類が山積みにされるはずだ。そして対応できず逃げる姿まで、すぐに想像ができた。にもかかわらず、この状況を維持してきた俺は、ただ怠慢に日々を過ごしていたのではないか?
何もできず役立たずな父のようになりたくなくて、我が侭を振り翳して遊び呆ける母と同じ行為はしたくなくて。俺も逃げ回っていたのだ。その結果、やらなくてもいい仕事までかき集め、夢中になってこなした。
処理済みの書類の山を見れば、成果がはっきりする。自分が役に立った証拠として、わかりやすかった。いつしか、誰もが俺に書類を持ち込み、当たり前のように周囲を巻き込む。文官達には申し訳ないことをしてしまったな。
こうして家族で過ごす楽しい時間を、彼らから奪っていた。何かしらの詫びを用意するとしよう。だが独りよがりになると迷惑だから、フランクに相談する方がいいか。
ちらりと視線を向けた先で、アマーリアは料理長への指示を出していた。ベルントを使い、レオンの夜食を注文する。気の利く彼女なら、何かいい案を出してくれるのではないか? そう気づいたら、そわそわしてきた。
どう切り出せばいい。俺の口調は偉そうに聞こえるらしいから、頼み事をする際は柔らかく……それはどんな単語だ? やはりフランクに命じて、アマーリアに聞いてもらう方が不愉快にさせないかもしれん。
考えがぐるぐると回る俺は、すっかり自分の世界に浸っていたようだ。ぽんぽんと肩を叩かれ、はっとする。
「ヘンリック様、どうなさいました? 移動しますよ」
「あ、ああ」
同意して立ち上がる。食堂から絨毯の敷かれた団欒の間へ入り、用意されたクッションにレオンが寝かされた。だが起きてしまい、ぐずぐずと泣き始める。
「あらあら、赤ちゃんね」
ふふっと笑うアマーリアは、優しくレオンを抱きしめた。涙だけでなく鼻水も垂らす顔も気にせず、胸元に引き寄せてぽんぽんと背中を叩く。落ち着いてきたのか、レオンの愚図る声が小さくなった。
合図を受け取ったベルントの手配で、ジャムを塗ったパンが運ばれる。レオンは膝に座ったまま、もそもそと食べ始めた。ハムと野菜を挟んだパンも齧り、驚く量を平らげた。その間、ずっとアマーリアはレオンを見つめている。
幼子にとっての母親がどれほど大切で、大きな存在か。あんな風に俺を見てくれる人がいたら、何か違っていただろうか。いい子ねと頭を撫でられる姿を見て、素直に羨ましいと感じた。
俺の持つ権限を分けて与える。それにより、俺の決裁する書類が減るだろうと軽く考えた。だが、その点はアマーリアの評価に値するようだ。一人に仕事が集中する状況は、何かしらの不幸が重なれば瓦解するらしい。
現状、もし俺が寝込んだりすれば……想像するのも恐ろしい混乱を引き起こす。国政は滞るし、陛下の元へ書類が山積みにされるはずだ。そして対応できず逃げる姿まで、すぐに想像ができた。にもかかわらず、この状況を維持してきた俺は、ただ怠慢に日々を過ごしていたのではないか?
何もできず役立たずな父のようになりたくなくて、我が侭を振り翳して遊び呆ける母と同じ行為はしたくなくて。俺も逃げ回っていたのだ。その結果、やらなくてもいい仕事までかき集め、夢中になってこなした。
処理済みの書類の山を見れば、成果がはっきりする。自分が役に立った証拠として、わかりやすかった。いつしか、誰もが俺に書類を持ち込み、当たり前のように周囲を巻き込む。文官達には申し訳ないことをしてしまったな。
こうして家族で過ごす楽しい時間を、彼らから奪っていた。何かしらの詫びを用意するとしよう。だが独りよがりになると迷惑だから、フランクに相談する方がいいか。
ちらりと視線を向けた先で、アマーリアは料理長への指示を出していた。ベルントを使い、レオンの夜食を注文する。気の利く彼女なら、何かいい案を出してくれるのではないか? そう気づいたら、そわそわしてきた。
どう切り出せばいい。俺の口調は偉そうに聞こえるらしいから、頼み事をする際は柔らかく……それはどんな単語だ? やはりフランクに命じて、アマーリアに聞いてもらう方が不愉快にさせないかもしれん。
考えがぐるぐると回る俺は、すっかり自分の世界に浸っていたようだ。ぽんぽんと肩を叩かれ、はっとする。
「ヘンリック様、どうなさいました? 移動しますよ」
「あ、ああ」
同意して立ち上がる。食堂から絨毯の敷かれた団欒の間へ入り、用意されたクッションにレオンが寝かされた。だが起きてしまい、ぐずぐずと泣き始める。
「あらあら、赤ちゃんね」
ふふっと笑うアマーリアは、優しくレオンを抱きしめた。涙だけでなく鼻水も垂らす顔も気にせず、胸元に引き寄せてぽんぽんと背中を叩く。落ち着いてきたのか、レオンの愚図る声が小さくなった。
合図を受け取ったベルントの手配で、ジャムを塗ったパンが運ばれる。レオンは膝に座ったまま、もそもそと食べ始めた。ハムと野菜を挟んだパンも齧り、驚く量を平らげた。その間、ずっとアマーリアはレオンを見つめている。
幼子にとっての母親がどれほど大切で、大きな存在か。あんな風に俺を見てくれる人がいたら、何か違っていただろうか。いい子ねと頭を撫でられる姿を見て、素直に羨ましいと感じた。
1,915
お気に入りに追加
3,753
あなたにおすすめの小説
お姉さまは最愛の人と結ばれない。
りつ
恋愛
――なぜならわたしが奪うから。
正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――
【完結】ブスと呼ばれるひっつめ髪の眼鏡令嬢は婚約破棄を望みます。
はゆりか
恋愛
幼き頃から決まった婚約者に言われた事を素直に従い、ひっつめ髪に顔が半分隠れた瓶底丸眼鏡を常に着けたアリーネ。
周りからは「ブス」と言われ、外見を笑われ、美しい婚約者とは並んで歩くのも忌わしいと言われていた。
婚約者のバロックはそれはもう見目の美しい青年。
ただ、美しいのはその見た目だけ。
心の汚い婚約者様にこの世の厳しさを教えてあげましょう。
本来の私の姿で……
前編、中編、後編の短編です。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【完結】要らないと言っていたのに今更好きだったなんて言うんですか?
星野真弓
恋愛
十五歳で第一王子のフロイデンと婚約した公爵令嬢のイルメラは、彼のためなら何でもするつもりで生活して来た。
だが三年が経った今では冷たい態度ばかり取るフロイデンに対する恋心はほとんど冷めてしまっていた。
そんなある日、フロイデンが「イルメラなんて要らない」と男友達と話しているところを目撃してしまい、彼女の中に残っていた恋心は消え失せ、とっとと別れることに決める。
しかし、どういうわけかフロイデンは慌てた様子で引き留め始めて――
婚約者を奪われた私は、他国で新しい生活を送ります
天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルクルは、エドガー王子から婚約破棄を言い渡されてしまう。
聖女を好きにったようで、婚約破棄の理由を全て私のせいにしてきた。
聖女と王子が考えた嘘の言い分を家族は信じ、私に勘当を言い渡す。
平民になった私だけど、問題なく他国で新しい生活を送ることができていた。
夫が大変和やかに俺の事嫌い?と聞いてきた件について〜成金一族の娘が公爵家に嫁いで愛される話
はくまいキャベツ
恋愛
父親の事業が成功し、一気に貴族の仲間入りとなったローズマリー。
父親は地位を更に確固たるものにするため、長女のローズマリーを歴史ある貴族と政略結婚させようとしていた。
成金一族と揶揄されながらも社交界に出向き、公爵家の次男、マイケルと出会ったが、本物の貴族の血というものを見せつけられ、ローズマリーは怯んでしまう。
しかも相手も値踏みする様な目で見てきて苦手意識を持ったが、ローズマリーの思いも虚しくその家に嫁ぐ事となった。
それでも妻としての役目は果たそうと無難な日々を過ごしていたある日、「君、もしかして俺の事嫌い?」と、まるで食べ物の好き嫌いを聞く様に夫に尋ねられた。
(……なぜ、分かったの)
格差婚に悩む、素直になれない妻と、何を考えているのか掴みにくい不思議な夫が育む恋愛ストーリー。
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
婚約者の態度が悪いので婚約破棄を申し出たら、えらいことになりました
神村 月子
恋愛
貴族令嬢アリスの婚約者は、毒舌家のラウル。
彼と会うたびに、冷たい言葉を投げつけられるし、自分よりも妹のソフィといるほうが楽しそうな様子を見て、アリスはとうとう心が折れてしまう。
「それならば、自分と妹が婚約者を変わればいいのよ」と思い付いたところから、えらいことになってしまうお話です。
登場人物たちの不可解な言動の裏に何があるのか、謎解き感覚でお付き合いください。
※当作品は、「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる