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81.お願いはふたつだよ

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「トリシャにお願いがあるんだけど」

 小首を傾げて、わかりきった答えを待つ。君は絶対に僕にノーと言わないよね。だったら我が侭くらい聞いてあげたいけど、それも口にしないんだ。先回りして悟った振りで叶えるのも、限界があるけど……僕は楽しんでるよ。

「はい、エリクのお願いなら」

 微笑む彼女はとても美しい。このまま閉じ込めておきたいくらいだ。出来たら僕の腕で囲って、朝まで眺めていたかった。

 青いシルクは特殊な貝殻で染料を取った。揺れる海面のように、光を弾いて独特な艶を生み出す。周囲の色が反射して、まるでトリシャの髪色のようだった。それが気に入って、この色を禁じたのは先日のこと。トリシャ以外の誰にも使わせない。

 大きなサファイアの首飾りと、小振りで揺れる細長い耳飾りのバランスも素晴らしいし、何より肌の色が良かった。病的に白かったトリシャは、ほんのり桜色の頬で微笑む。

「この手袋は絶対に外さないで。それと誰かに話しかけられても無言。挨拶もダメ」

 これは独占欲からの言葉だけど、同時にトリシャを守るための鎧でもあった。この宮廷のマナーのひとつに、上位者には下位の者から声を掛けられない、が存在する。他国にはないルールだけど、これがトリシャを守るのだ。属国の国王であっても、僕の婚約者であるトリシャより格下だった。つまりトリシャの上には僕しかいない。例外があるとしたら、専属の侍女のみ。ソフィは下位であっても、職務上の権限で話しかけることが可能だった。

 王侯貴族にトリシャが返事をしてしまえば、相手は応対する権利を得る。それからだと何を言われるか、分からないからね。微笑んで誤魔化してくれるようにお願いした。これは隣で頷くソフィにもいい含めた形だった。もしトリシャが口を開きそうになったら、ソフィが代わりに答えるか止めて欲しい。目線での指示に、ソフィはしっかり頷いた。

「では行こうか、僕の美しい婚約者のお披露目だ」

 晴れ舞台だよ。そう告げて、彼女の前に腕を出して待つ。するりと白い指先が絡まった。絹の手袋は、レースの模様が百合を描く繊細な物を選んだ。きっちり二の腕まで覆うため、袖から手袋の端まで僅かな部分しか肌を見せない。その分だけ大胆に背中を開けた。

 胸元は禁欲的に塞ぐ。結婚するまで鎖骨より下は見せないのが、淑女の礼儀らしいからね。僕としては、人前で胸元を見せる必要はないと思うんだ。僕と2人の時だけ、誘うようなドレスを着てくれたら嬉しいね。

「エリクっ、その」

「緊張してる?」

 僕の後ろで、ニルスがソフィのエスコートを担当する。独身の女公爵が付き添いもなく舞踏会に来るなんて、どんな勘違いされるか想像できた。男漁りだと決めつけた無礼者が手を伸ばすに決まってる。その意味でニルスは最適だった。これでも一応、領地を与えた国主だからね。肩書きは本人の希望で大公に抑えたけれど。女公爵ソフィをエスコートする権利は十分にあった。

 ちらりと後ろの2人を見たトリシャは覚悟を決めたようだ。ひとつ深呼吸した後、瞳の色が濃くなった気がする。緊張より、友人を守ろうとする覚悟が勝っていた。

 促すように足を進める僕に、トリシャがドレスの裾を捌きながら並ぶ。漂う鈴蘭の香りに心地よさを覚え、僕は自然と笑みを浮かべていた。

「トリシャのための舞踏会だよ」

「はい」

 最後に入場する皇帝とその婚約者を見ようと詰めかけた人々の間を、堂々とした足取りで進む。毅然と顔を上げたトリシャは、あの日僕が惚れた気高さを保っていた。
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