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第75話 もう契約済みでした

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 深刻な顔で悩む姉二人をよそに、アイリーンは子犬姿の狗神に手を伸ばす。まだ名づけを行っていないから、正確には契約獣ではなかった。のそのそと太い脚で不器用に歩く狗神は、全力で尻尾を振る。

 差し伸べた手に鼻を押し付ける狗神は、ココへ話しかけた。

『相談せず悪かったよ、でも……制約の呪いが見えたから』

 断ち切ろうと思ったんだ。狗神の言葉に、神狐はもそもそと鼻先を覗かせた。じとっと恨みがましい目で眺めたあと、膝の上に座り直す。呪いは承知の上だとぼやくココは、アイリーンと契約したことで能力の制限を受けていた。

 その呪いを吹き飛ばそうと考えた狗神の気持ちは、理解できる。倭国の皇家に連なる親族が放った黒い感情は、彼を苦しめた瘴気のようにアイリーンにのしかかった。霊力を倒れる限界まで使うなど、普通は契約獣が許さない。危険を察知して止めるココの能力を、呪詛が縛り上げた。

 恩人に掛かった重く暗い闇を祓おうとする。恩に厚い狗神らしい選択だった。二柱目の神が契約したことで、アイリーンの霊力は増している。もう少しで呪詛の鎖は弾けるだろう。それが良い結果を齎すか、悪い方へ転ぶか。

 ココの心配はそこにあった。人の感情はねっとりと沁み込む。妬み、嫉み、嫌悪、憎悪、様々な感情が神々すら呑み込んできた。狗神に瘴気を植え付けたのも、人の感情が発端だ。折角自由になったのだから、離れていればいいのに。神狐ココの優しさに気づき、狗神はくーんと鼻を鳴らした。

『呪いが君に掛かったらどうするのさ。リンが悲しむんだよ』

『一度は消滅したようなものだから、彼女に恩返しできるならいいかな。と思って』

 瘴気に蝕まれた時のうじうじした思考が嘘のように、狗神はへらりと舌を出して笑った。二匹の会話から、契約したことを理解したアイリーンはこてりと首を傾ける。

「名前がいるわよね」

 契約獣には、巫女が名を付ける。契約が強固な繋がりとして世界に刻まれるために、必要な手続きだった。少し悩んで、にっこり笑う。

「狗神様は希望がある?」

『君に任せるよ』

「じゃあ、ネネなんてどうかしら。可愛いと思うの」

 ナナでもいいけれど、数字みたいだし。ふふっと笑う巫女の手をぺろりと舐めて、狗神は『我が名はネネ、契約の証を』と呟いた。額に浮かぶ契約印に、新しい模様が加わる。ココと契約した時は瞳と同じ青紫の紋章だった。

 狗神ネネが刻んだのは、赤紫の模様だ。ココの紋章を引き立たせるように美しく重ねられた。

「アオイ姉様、手鏡貸していただけますか?」

 いつも持ち歩く姉に頼み、貸してもらった鏡で額の紋章を確認する。霊力によって浮かぶ模様は鮮やかに光っていた。

「綺麗だわ。ありがとう、ネネ。これからよろしくね」

『こちらこそ、リン』

 穏やかに返すネネの前で、膝にべたりと懐いて拗ねるココ。

『知らないからね、僕のせいじゃないもん』

 先輩なんだから、いじめたりしたらダメよ。ココに言い聞かせるアイリーンは気付いていない。白蛇神がちろちろと舌を覗かせながら、見物と洒落込んでいた。
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