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第34話 あなたは私が救うわ
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愛している人がいた。僕は愛されていたんだ。そう訴える獣の声は切なく夜空に響いた。知らない土地で、傷ついた体を丸める。ただ自由でありたいだけなのに、大切なあの人を思い出して駆け付けたいのに。
目の前の名も知らぬ人間が邪魔をする。雷に打たれて裂けた背中から、痛みと苦しみが漏れ出た。痛いよ、苦しいよ、哀しいよ。どうして僕を傷つけるんだろう。あの頃と僕は同じで、ただ撫でて愛していると言ってほしい。名前を呼んで認めてよ。
暗い穴の奥で、傷を癒す眠りに就いた。
誰? 僕の心に触れるのは、温かな手だ。僕を知っているの? だったら連れ出して、僕の名は『・・・』擦れた響きは聞き取れなくて、しょんぼりと耳を伏せる。尻尾もだらりと地面に横たわった。思い出せたら、呼んでもらえるのかな。
温かい手は離れてしまったけれど、あの暗闇を出る時に会った気がする。もう一度会って、そうだな……新しい名前をもらえないか頼んでみよう。この黒い毛皮を嫌いじゃなければいいな。赤い瞳を伏せながら、僕は幸せな気持ちを抱き締めた。
「っ、待って!」
飛び起きたアイリーンは濡れた視界に瞬きする。大声を出したのか、キエが駆け付けた。
今、誰かの悲しみに触れた気がする。とても大切なことで、忘れてはいけないのに……手から一瞬で零れ落ちてしまった。かき集めようとする仕草で、自分をかき抱いた。あんな冷たさと寂しさを同居させた魂なんて知らないわ。
「姫様?」
「キエ、あの……ココ、は?」
声を出した私は思い出した。隣のフルール大陸で禍狗と激突し、逃げるためにココが神力を振り絞って。そうだわ、私の神獣であるココはどうなったの!
「ご安心ください、ココ様なら禊を終えてお休みです」
しばらく動けないだろうと付け加えられたが、それは予想の範囲内だ。あんなに力を絞り出したなら、数日は寝ているだろう。神殿の奥に用意された祭壇が一番効率よく神力を回復できる。
「ごめんなさいね、ココ。無事でよかったわ」
無理を言って連れて来てもらったアイリーンは、すやすやと眠るココの姿に安堵の息をついた。苦しそうじゃない。なら、あの寂しさに耐える魂はココじゃなかったのね。心が繋がるほど距離の近い神様なんて、他にいたかしら。
アイリーンはあの声を、神々の一柱だと判断していた。巫女の夢に介入し、己の追体験をさせるほどの力を持つ神様。今は孤独の中で泣いている。助けたいと思うのは、巫女としての義務より個人的な同情だった。
心が壊れそうな束縛、自由になったのに攻撃され逃げ回る日々、愛し愛された人の不在――すべてが胸を抉る。なんとか助けてあげたい。寝室へ戻るよう促されたアイリーンは、素直に従った。夜になったら、神様の誰かをお呼びしよう。
昼間より夜のほうが神々へ声が届く。どなたか、詳しい方にお話を……白蛇様がいいかしら。考え込むアイリーンの返事は曖昧で、どこか遠かった。見舞いに駆け付けた姉や兄達は、疲れているのだろうと深く話し込まずに退室する。
「どこかにいるあなた、私が救うわ」
この声が届きますように。アイリーンは胸の前で手を握る。その祈りは、暗い穴で眠る『・・・』の耳まで、確かに届いていた。
目の前の名も知らぬ人間が邪魔をする。雷に打たれて裂けた背中から、痛みと苦しみが漏れ出た。痛いよ、苦しいよ、哀しいよ。どうして僕を傷つけるんだろう。あの頃と僕は同じで、ただ撫でて愛していると言ってほしい。名前を呼んで認めてよ。
暗い穴の奥で、傷を癒す眠りに就いた。
誰? 僕の心に触れるのは、温かな手だ。僕を知っているの? だったら連れ出して、僕の名は『・・・』擦れた響きは聞き取れなくて、しょんぼりと耳を伏せる。尻尾もだらりと地面に横たわった。思い出せたら、呼んでもらえるのかな。
温かい手は離れてしまったけれど、あの暗闇を出る時に会った気がする。もう一度会って、そうだな……新しい名前をもらえないか頼んでみよう。この黒い毛皮を嫌いじゃなければいいな。赤い瞳を伏せながら、僕は幸せな気持ちを抱き締めた。
「っ、待って!」
飛び起きたアイリーンは濡れた視界に瞬きする。大声を出したのか、キエが駆け付けた。
今、誰かの悲しみに触れた気がする。とても大切なことで、忘れてはいけないのに……手から一瞬で零れ落ちてしまった。かき集めようとする仕草で、自分をかき抱いた。あんな冷たさと寂しさを同居させた魂なんて知らないわ。
「姫様?」
「キエ、あの……ココ、は?」
声を出した私は思い出した。隣のフルール大陸で禍狗と激突し、逃げるためにココが神力を振り絞って。そうだわ、私の神獣であるココはどうなったの!
「ご安心ください、ココ様なら禊を終えてお休みです」
しばらく動けないだろうと付け加えられたが、それは予想の範囲内だ。あんなに力を絞り出したなら、数日は寝ているだろう。神殿の奥に用意された祭壇が一番効率よく神力を回復できる。
「ごめんなさいね、ココ。無事でよかったわ」
無理を言って連れて来てもらったアイリーンは、すやすやと眠るココの姿に安堵の息をついた。苦しそうじゃない。なら、あの寂しさに耐える魂はココじゃなかったのね。心が繋がるほど距離の近い神様なんて、他にいたかしら。
アイリーンはあの声を、神々の一柱だと判断していた。巫女の夢に介入し、己の追体験をさせるほどの力を持つ神様。今は孤独の中で泣いている。助けたいと思うのは、巫女としての義務より個人的な同情だった。
心が壊れそうな束縛、自由になったのに攻撃され逃げ回る日々、愛し愛された人の不在――すべてが胸を抉る。なんとか助けてあげたい。寝室へ戻るよう促されたアイリーンは、素直に従った。夜になったら、神様の誰かをお呼びしよう。
昼間より夜のほうが神々へ声が届く。どなたか、詳しい方にお話を……白蛇様がいいかしら。考え込むアイリーンの返事は曖昧で、どこか遠かった。見舞いに駆け付けた姉や兄達は、疲れているのだろうと深く話し込まずに退室する。
「どこかにいるあなた、私が救うわ」
この声が届きますように。アイリーンは胸の前で手を握る。その祈りは、暗い穴で眠る『・・・』の耳まで、確かに届いていた。
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