34 / 159
第33話 これ以上私の心をかき乱さないで
しおりを挟む
「やはり、留学は難しいね。陛下の許可が下りないんだ」
「兄上、父上と呼んであげてください。いい加減、泣きますよ……あの人面倒なんですから」
苦笑して頷くものの、兄アンリは国王を陛下と呼称する。それが距離を感じて切ないと嘆かれたばかりのルイは、アンリに訴えた。人目に触れないよう夜に呼び出されるこちらの身にもなって欲しい。自分で直接言え、と父をはね退けたばかりだった。
「兄上の王太子の宣言ですが、僕がいるうちに行いましょう。その後で留学の話を一気に畳み込みます。貴族も僕自身がいなければ黙るしかないでしょう。母上も賛成していますし」
ルイの強引な案に、アンリは興味をそそられた。なぜそこまでして隣大陸へ向かいたいのか。好奇心旺盛な弟の気を引いたのは、何だろう。物か、人? ほとんど交流がない国々の本を取り寄せた話も伝え聞いていた。
「最近は東開の本も取り寄せたらしいね。語学も一から勉強し直しているとか?」
「ええ。留学先の情報はいくらでも欲しいですから」
それにしては取り寄せる本の知識が偏ってるけど、そこは指摘しないでおこう。アンリは「そう」と曖昧に濁して笑った。
「そこまでして東開大陸に行きたいの?」
「ご安心ください。今のところ留学しか考えていません。それに僕は病弱で通しています。東開大陸はこの大陸とは別の医学が発達していますから、体質改善を望んだ僕が向かっても不思議ではない。兄上の治世が落ち着く頃、丈夫になった弟として帰ってきますよ」
「本当かな。私は弟を取られてしまう気がするけどね」
予知能力はないのに、そう思った。この子はもう帰ってこないかも知れない。悪い意味か、いい意味か。判断できなくても、強くそう感じていた。
「兄上もご存じの通り、僕は意外と強いから平気です」
「そうあって欲しいね」
兄アンリの疑い深い言葉に、ルイは軽く応じた。数年くらい異国で羽を伸ばすだけ。そんなに心配するなんて、兄上は弟想いな方だ。
微笑みあった兄弟は、お茶と茶菓子が尽きるまで雑談に興じた。
「助けて!」
戻るなり、抱きしめたココを差し出す。咄嗟に受け止めたキエの前で、アイリーンは膝を突いて……ゆくりと床に倒れた。伏せた彼女の顔色が悪い。叫んで起こしたい衝動を堪えたキエは、まず神獣のココを受け取って膝の上に寝かせた。
倒れた彼女を抱き上げたいが、神獣の保護を優先する。巫女であるアイリーンの顔色の悪さは、霊力を振り絞った影響だ。この症状は知っている。休めば改善するはず。だが、やや冷たいココの状態は急を要した。転移した小部屋の外を窺い、大急ぎでココを運び出す。
廊下を足早に進んで、アイリーンの宮にある私室へ寝かせた。取って返し、大切な末っ子姫を連れて再び部屋に入る。
沸かした聖地の水に霊力を流し込んで、禊と温めを同時に行うよう準備した。そっと神狐を横たえる。頭が沈まぬよう支えながら、何度も白い狐の毛皮に湯をかけ続けた。駆け付けた隠密にココを預けて立ち上がる。少し足元がふらついた。霊力を注ぎ過ぎたか。
「気を付けて、ココ様の霊力吸収が強く働いているわ」
足りなくなった霊力を周囲から集めようとする神獣の特性に注意するよう促し、無言で頷いた仲間に彼を任せた。ベッドに横たわるアイリーンの頬は、霊力の不足で青ざめている。残った霊力を注いで頬を赤く染める頃、キエはようやく安堵の息をついた。
「大丈夫そうだわ。良かった……」
ベッドに俯せに倒れ込んだキエに、見守る同僚達が顔を見合わせた。フルール大陸で何が起き、禍狗がどんな状態なのか。改めて調査し直す必要がある。祓い巫女として頂点に立つアイリーンの霊力が足りなくなるほどの事態――もうなりふり構っていられる状況ではなかった。
ああ、またこの夢なのね。
アイリーンの意識が宿った獣は、ぶるりと身を震わせた。花が咲く場所で、手足を伸ばして風の息吹を感じる。ここは封鎖されていない場所だった。それがただただ嬉しい。
お願い、誰かこの身を抱き締めて。愛していると頭を撫で、昔のように名を呼んでよ――僕の名は『・・・』。
切ないほどの願いに、アイリーンは痛む胸を押さえて丸まった。これ以上私の心をかき乱さないで。あなたがどこにいるかさえ分からない私は、何も出来ないのだから。
……物語はまだ紡がれ続ける
「兄上、父上と呼んであげてください。いい加減、泣きますよ……あの人面倒なんですから」
苦笑して頷くものの、兄アンリは国王を陛下と呼称する。それが距離を感じて切ないと嘆かれたばかりのルイは、アンリに訴えた。人目に触れないよう夜に呼び出されるこちらの身にもなって欲しい。自分で直接言え、と父をはね退けたばかりだった。
「兄上の王太子の宣言ですが、僕がいるうちに行いましょう。その後で留学の話を一気に畳み込みます。貴族も僕自身がいなければ黙るしかないでしょう。母上も賛成していますし」
ルイの強引な案に、アンリは興味をそそられた。なぜそこまでして隣大陸へ向かいたいのか。好奇心旺盛な弟の気を引いたのは、何だろう。物か、人? ほとんど交流がない国々の本を取り寄せた話も伝え聞いていた。
「最近は東開の本も取り寄せたらしいね。語学も一から勉強し直しているとか?」
「ええ。留学先の情報はいくらでも欲しいですから」
それにしては取り寄せる本の知識が偏ってるけど、そこは指摘しないでおこう。アンリは「そう」と曖昧に濁して笑った。
「そこまでして東開大陸に行きたいの?」
「ご安心ください。今のところ留学しか考えていません。それに僕は病弱で通しています。東開大陸はこの大陸とは別の医学が発達していますから、体質改善を望んだ僕が向かっても不思議ではない。兄上の治世が落ち着く頃、丈夫になった弟として帰ってきますよ」
「本当かな。私は弟を取られてしまう気がするけどね」
予知能力はないのに、そう思った。この子はもう帰ってこないかも知れない。悪い意味か、いい意味か。判断できなくても、強くそう感じていた。
「兄上もご存じの通り、僕は意外と強いから平気です」
「そうあって欲しいね」
兄アンリの疑い深い言葉に、ルイは軽く応じた。数年くらい異国で羽を伸ばすだけ。そんなに心配するなんて、兄上は弟想いな方だ。
微笑みあった兄弟は、お茶と茶菓子が尽きるまで雑談に興じた。
「助けて!」
戻るなり、抱きしめたココを差し出す。咄嗟に受け止めたキエの前で、アイリーンは膝を突いて……ゆくりと床に倒れた。伏せた彼女の顔色が悪い。叫んで起こしたい衝動を堪えたキエは、まず神獣のココを受け取って膝の上に寝かせた。
倒れた彼女を抱き上げたいが、神獣の保護を優先する。巫女であるアイリーンの顔色の悪さは、霊力を振り絞った影響だ。この症状は知っている。休めば改善するはず。だが、やや冷たいココの状態は急を要した。転移した小部屋の外を窺い、大急ぎでココを運び出す。
廊下を足早に進んで、アイリーンの宮にある私室へ寝かせた。取って返し、大切な末っ子姫を連れて再び部屋に入る。
沸かした聖地の水に霊力を流し込んで、禊と温めを同時に行うよう準備した。そっと神狐を横たえる。頭が沈まぬよう支えながら、何度も白い狐の毛皮に湯をかけ続けた。駆け付けた隠密にココを預けて立ち上がる。少し足元がふらついた。霊力を注ぎ過ぎたか。
「気を付けて、ココ様の霊力吸収が強く働いているわ」
足りなくなった霊力を周囲から集めようとする神獣の特性に注意するよう促し、無言で頷いた仲間に彼を任せた。ベッドに横たわるアイリーンの頬は、霊力の不足で青ざめている。残った霊力を注いで頬を赤く染める頃、キエはようやく安堵の息をついた。
「大丈夫そうだわ。良かった……」
ベッドに俯せに倒れ込んだキエに、見守る同僚達が顔を見合わせた。フルール大陸で何が起き、禍狗がどんな状態なのか。改めて調査し直す必要がある。祓い巫女として頂点に立つアイリーンの霊力が足りなくなるほどの事態――もうなりふり構っていられる状況ではなかった。
ああ、またこの夢なのね。
アイリーンの意識が宿った獣は、ぶるりと身を震わせた。花が咲く場所で、手足を伸ばして風の息吹を感じる。ここは封鎖されていない場所だった。それがただただ嬉しい。
お願い、誰かこの身を抱き締めて。愛していると頭を撫で、昔のように名を呼んでよ――僕の名は『・・・』。
切ないほどの願いに、アイリーンは痛む胸を押さえて丸まった。これ以上私の心をかき乱さないで。あなたがどこにいるかさえ分からない私は、何も出来ないのだから。
……物語はまだ紡がれ続ける
12
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説
私の手からこぼれ落ちるもの
アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。
優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。
でもそれは偽りだった。
お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。
お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。
心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。
私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。
こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら…
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。
❈ ざまぁはありません。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃
紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。
【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?
朱音ゆうひ
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!
「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」
王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。
不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。
もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた?
他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした
葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。
でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。
本編完結済みです。時々番外編を追加します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる