2 / 159
第2話 あの靴、気に入ってたのに!
しおりを挟む
国を滅ぼすほどの禍々しい存在と聞いている。ぞくりと背筋が凍る思いで動きを止めた。でも、ひとつくらい砕けても問題ないはずよ。そう思いながらアイリーンは奥まで分け入った。
ほら、何も起きていないわ。自分にそう言い聞かせる。
けもの道が残されているのは、ここが神獣の住まう地だから。庇護された動物も住んでいるし、水辺へ向かう道は常に踏みしめられていた。鳥居代わりの大木の間を抜けると、そこは美しい水辺だ。
湖というほどの大きさはなく、沼のように濁っていない。でも池と呼ぶには深かった。透き通った水は濃青色をしており、どこまでも深く、覗くと吸い込まれそうだ。事実、落ちた侍女が浮かんでこなかった逸話が残っていた。
芝が広がる水辺に腰掛け、アイリーンは靴を脱いだ。水辺の縁に腰掛け、膝まで水に浸す。
泉のように水が湧き出るようで、ぽこっと空気の泡が混じった。たまに大きな泡が混じり、縦横に歪みながら水面を揺らす。この景色がアイリーンはお気に入りだった。出来たら兄や姉にも見せたいのだけれど、禁足地に誘うわけにも行かない。
「もったいないわ」
これほどの景色なのに、私以外に見てくれる人がいないなんて。そう思う反面、アイリーンは理解していた。人が来たら、こんな綺麗な景色はあっという間に壊されてしまう。自然の美しい景色を作るのは気が遠くなる月日が必要だけれど、壊すのは一瞬だから。
『今日は早かったね』
ぽんと目の前に出たのは、愛らしい小狐だ。アイリーンの膝によじ登り、まるで猫のように丸くなった。全体に白い毛並みは、野生の動物ならばすぐ捕食されそうだった。額に愛らしい模様が刻まれており、薄青に光る。彼は神々の末席に座す神遣いだった。
「うん、ちょっと」
わざと言わずに濁したアイリーンを見上げ、ころんと寝転んだ小狐はけらけらと笑う。その仕草は飼い猫に似て、憎めない愛らしさがあった。思わず、ふかふかの胸から腹にかけてを撫でまわしてしまう。
『悪戯がバレたんでしょ。でもあれは白蛇様なんだけどね』
「そうよね。可愛いじゃないの。なぜ叱られるのかしら」
仲間を得たと思って唇を尖らせたアイリーンに、小狐はぐっと肉球を押し付けた。頬をぐりぐりと押されて、アイリーンがのけぞる。
『リン、そういうとこだよ。人は蛇や龍を嫌うの、知ってるくせに』
「私は、ただ白蛇様に日向ぼっこの場所を提供しただけよ。その後、白蛇様が中に入っちゃったの」
壺が飾られた部屋は滅多に人が来ない。だから神獣である白蛇様のお昼寝に使えると思ったのだ。実際、場所を見た白蛇も喜んだ。思う存分寛いだ後、狭い壺の入り口から潜り込み、中で休んでいただけ。偶然、掃除当番の侍女が壺を持ち上げなければ、何も問題はなかった。
寛いでいた白蛇が驚いて、にゅっと顔を出したのが始まり。侍女のシシィは悲鳴を上げて壺ごと白蛇を放り出す。念のために式紙を付けておいて良かった。アイリーンは居心地悪そうに小声で呟く。
「……次からは気を付けるわ」
『次がある前提なんだね。まあいいけど、白蛇様は無事だったの?』
「ええ。すぐに式紙を使ってお帰ししたわ」
『ふーん、それでも叱られて追い回されてるわけ』
「しょうがないわ」
おどけた仕草で肩を竦める。ぐらりと大地が揺れた。飛び起きた小狐が水の中を覗き、まん丸い目が大きく見開かれる。
『やばい、出て来るぞ』
「え? 何が……」
ぶくぶくと大きな泡が噴き出して、ぼこっと大きな泡で水面が溢れた。慌てて飛びのいたアイリーンの靴が、転がって水に流される。
「ああ、あの靴気に入ってたのに!」
『そんなのいい。さっさと逃げろっ!』
普段は弟のような気軽な口をきく狐の叫びに、アイリーンは背を向けて走り出した。
ほら、何も起きていないわ。自分にそう言い聞かせる。
けもの道が残されているのは、ここが神獣の住まう地だから。庇護された動物も住んでいるし、水辺へ向かう道は常に踏みしめられていた。鳥居代わりの大木の間を抜けると、そこは美しい水辺だ。
湖というほどの大きさはなく、沼のように濁っていない。でも池と呼ぶには深かった。透き通った水は濃青色をしており、どこまでも深く、覗くと吸い込まれそうだ。事実、落ちた侍女が浮かんでこなかった逸話が残っていた。
芝が広がる水辺に腰掛け、アイリーンは靴を脱いだ。水辺の縁に腰掛け、膝まで水に浸す。
泉のように水が湧き出るようで、ぽこっと空気の泡が混じった。たまに大きな泡が混じり、縦横に歪みながら水面を揺らす。この景色がアイリーンはお気に入りだった。出来たら兄や姉にも見せたいのだけれど、禁足地に誘うわけにも行かない。
「もったいないわ」
これほどの景色なのに、私以外に見てくれる人がいないなんて。そう思う反面、アイリーンは理解していた。人が来たら、こんな綺麗な景色はあっという間に壊されてしまう。自然の美しい景色を作るのは気が遠くなる月日が必要だけれど、壊すのは一瞬だから。
『今日は早かったね』
ぽんと目の前に出たのは、愛らしい小狐だ。アイリーンの膝によじ登り、まるで猫のように丸くなった。全体に白い毛並みは、野生の動物ならばすぐ捕食されそうだった。額に愛らしい模様が刻まれており、薄青に光る。彼は神々の末席に座す神遣いだった。
「うん、ちょっと」
わざと言わずに濁したアイリーンを見上げ、ころんと寝転んだ小狐はけらけらと笑う。その仕草は飼い猫に似て、憎めない愛らしさがあった。思わず、ふかふかの胸から腹にかけてを撫でまわしてしまう。
『悪戯がバレたんでしょ。でもあれは白蛇様なんだけどね』
「そうよね。可愛いじゃないの。なぜ叱られるのかしら」
仲間を得たと思って唇を尖らせたアイリーンに、小狐はぐっと肉球を押し付けた。頬をぐりぐりと押されて、アイリーンがのけぞる。
『リン、そういうとこだよ。人は蛇や龍を嫌うの、知ってるくせに』
「私は、ただ白蛇様に日向ぼっこの場所を提供しただけよ。その後、白蛇様が中に入っちゃったの」
壺が飾られた部屋は滅多に人が来ない。だから神獣である白蛇様のお昼寝に使えると思ったのだ。実際、場所を見た白蛇も喜んだ。思う存分寛いだ後、狭い壺の入り口から潜り込み、中で休んでいただけ。偶然、掃除当番の侍女が壺を持ち上げなければ、何も問題はなかった。
寛いでいた白蛇が驚いて、にゅっと顔を出したのが始まり。侍女のシシィは悲鳴を上げて壺ごと白蛇を放り出す。念のために式紙を付けておいて良かった。アイリーンは居心地悪そうに小声で呟く。
「……次からは気を付けるわ」
『次がある前提なんだね。まあいいけど、白蛇様は無事だったの?』
「ええ。すぐに式紙を使ってお帰ししたわ」
『ふーん、それでも叱られて追い回されてるわけ』
「しょうがないわ」
おどけた仕草で肩を竦める。ぐらりと大地が揺れた。飛び起きた小狐が水の中を覗き、まん丸い目が大きく見開かれる。
『やばい、出て来るぞ』
「え? 何が……」
ぶくぶくと大きな泡が噴き出して、ぼこっと大きな泡で水面が溢れた。慌てて飛びのいたアイリーンの靴が、転がって水に流される。
「ああ、あの靴気に入ってたのに!」
『そんなのいい。さっさと逃げろっ!』
普段は弟のような気軽な口をきく狐の叫びに、アイリーンは背を向けて走り出した。
2
お気に入りに追加
85
あなたにおすすめの小説
拝啓、私を追い出した皆様 いかがお過ごしですか?私はとても幸せです。
香木あかり
恋愛
拝啓、懐かしのお父様、お母様、妹のアニー
私を追い出してから、一年が経ちましたね。いかがお過ごしでしょうか。私は元気です。
治癒の能力を持つローザは、家業に全く役に立たないという理由で家族に疎まれていた。妹アニーの占いで、ローザを追い出せば家業が上手くいくという結果が出たため、家族に家から追い出されてしまう。
隣国で暮らし始めたローザは、実家の商売敵であるフランツの病気を治癒し、それがきっかけで結婚する。フランツに溺愛されながら幸せに暮らすローザは、実家にある手紙を送るのだった。
※複数サイトにて掲載中です
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
私の手からこぼれ落ちるもの
アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。
優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。
でもそれは偽りだった。
お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。
お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。
心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。
私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。
こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら…
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。
❈ ざまぁはありません。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
別れてくれない夫は、私を愛していない
abang
恋愛
「私と別れて下さい」
「嫌だ、君と別れる気はない」
誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで……
彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。
「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」
「セレンが熱が出たと……」
そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは?
ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。
その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。
「あなた、お願いだから別れて頂戴」
「絶対に、別れない」
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる