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64.戦地へ向かうエル様を見送る

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 腫れが治ったため、軽く粉を叩く程度の化粧で整える。昨夜は砦や屋敷が騒がしかった。一晩中誰かが歩く音や話す声が響き、戦争が始まるのだと実感する。

 アルドワン王国が弱くても狙われなかった理由は、その血筋の古さだ。古代ルドワイヤン帝国の正統な後継者、その肩書きは下手な武力より効果があった。絶やしてしまえば、二度と取り戻せない。

 ただの古代帝国ならば、その血脈を守る気はなかっただろう。だが古代遺跡から出土する様々な道具は、文化水準の高さを窺わせる。それも現代よりずっと高度な文明だった。その遺跡を護る扉の開閉や守護像を制御する役割は、アルドワン王国が担っている。

 だから、滅亡の心配はなかった。でも、逆に言えば……誰か一人が生きていれば血は繋がる。今回のロラン帝国が攻め込んだ理由はわからない。私の家族を傷付ける可能性が高いなら、絶対に許さないんだから!

 まだ夜明け前だけれど、支度を整えて降りる。エル様はすでに鎧を着用していた。全身を覆う金属の鎧を想像したが、少し違う。半分ほどは革製だった。軽さを重視したのかしら。いいえ、戦場で交換するのかも。

「エル様」

 名を呼んだけれど、次の言葉に迷った。おはようはおかしいし、いってらっしゃいも違う。ご武運を? それとも、生きて戻ってくださいと伝えるべき?

「おいで、アン」

 呼ばれて駆け寄ったら、抱き上げられて額にキスをもらった。顔が近くて嬉しい。エル様の頬にお返しをする。周囲の人が見ているけれど、気にならなかった。

「腫れは引いたな。いつも通り可愛い」

「あの……気をつけて。無理をしないでください。それと……」

「安心しろ、今回は大規模な戦闘にならない。蹴散らして帰ってくるだけだ。末姫の夫は立派な男だと示してやろう」

 心配させないよう、わざと笑って話すエル様が頬に口付ける。私はぎゅっと抱きついた。

「ケガをしたら、許しません」

「ああ、承知した」

 可愛くない言葉が溢れて、一緒に涙も出そう。ぐっと堪えているから、顔を上げることが出来なかった。分かっていると言いながら、何度も髪を撫でる手がいつもより硬い。革製の手袋越しの触れ合いは、エル様から終わらせた。

「行ってくる」

「ご武運を」

 泣いたらいけない。笑顔で送らないと、心配させてしまうから。口角を持ち上げて、眦を下げて、少しだけ目を細める。自分に言い聞かせて笑顔を作った。

 馬に乗った騎士がずらりと並び、幌のかかった荷馬車も準備された。馬に飛び乗り、手を振って門をくぐるエル様を見送る。怖いし嫌だ。それでも、私は勇敢な逸話をもつエル様の婚約者だから、最後まで笑顔で手を振り続けた。

 騎士の後ろに荷馬車、最後に兵士が続く。全員が見えなくなったところで、クロエがハンカチを差し出した。ぽろぽろと涙が落ちる。

「なんで戦争なんて起きるの?」

 ぽつりと溢れた声に、誰も返事をしなかった。
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