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75章 バランスが崩れる兆し

1033. 思わぬラッキー事故

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 狩りの獲物は広い場所で専門家が捌くもの。それが魔族の通例になりつつあるのは、専門家が捌いた方が綺麗で価値が上がるからだ。当然ながら素人が血抜きしてもうまくいかない。その点を考慮し、新鮮なうちに獲物は収納へしまった。

 野営があればその場で捌いて食べることもあるため、基礎教育の一環としてルーサルカもアベルもやり方は学んでいる。今回は幼子に分類される子狼のアミーがいるので、血生臭い状況を避けたのもあった。しかし鼻のいい魔獣は臭いに釣られて集まる。

「しまうのが遅かったみたい」

 大量の食糧をアベルに渡したりしていたため、地面にかなり血が垂れた。この場で次の狩りをしてもいいが、大型がくると面倒だ。

「移動しようか。大勢でも楽しいだろ」

「獲物は狩ったし、ピクニックに変更したらいいわ」

 食べ終えた食器を片付け、デートプランを変更する。無理に2人きりでなくても、デートはデートだ。そう言い切ったアベルに、ルーサルカの好感度は高まっていた。いやらしいこともしないし、アミーを構う様子をみても子供好きみたい。

 生んだ子供と一緒の未来を想像して頬を赤く染める少女は、足元の注意が疎かになっていた。地表に飛び出した木の根に躓き、転びかけた彼女をアベルが支える。咄嗟に伸ばしたルーサルカの腕がアベルの首に回り、支えようとしたアベルが少し屈んだ。

 ちゅ……。

 触れるだけの事故、アベルにとって幸運な事故だった。真っ赤になったルーサルカが両手で口元を隠すが、耳や首筋まで赤い。そしてこの事故は、偶然見てしまったある男に衝撃を与えた。

「私の娘に……なにをっ!」

 魔王ルシファーの決断があと少し早ければ、防げたかもしれない事故だった。逆に許可が遅ければ見なくてよかった光景でもある。転移した直後、眼前で行われたキスシーンにアスタロトは膝から崩れ落ちた。

「あ、お義父様。倒れたとこを支えてもらっただけですから」

 慌てた様子で両手を振って言い訳するルーサルカに、アスタロトはゆらりと身を起こした。真っ赤な顔で動きの止まった獲物を照準に収める。さあ、どうやって死にたい?

「あ、あの……ルカに触れてしまいました。すみません」

 怒りに表情が消えたアスタロトの纏う黒い気配に気づかぬまま、アベルは慌てて頭を下げた。かっと頭に上った血が、すっと落ちる。

 この時点でアベルは取り乱した状態で、魔力の感知が出来ていなかった。これが幸いした形だ。もし気づいていたら悲鳴をあげて逃げただろう。言い訳も謝罪もせず逃げれば、後ろから撃たれるのは必定だった。まじめな性格が功を奏し、アベルが素直に頭を下げたことはアスタロトの頭を冷やした。

 これは不幸な事故だった。当事者にとって幸運でしかない事実を覆いつくし、アスタロトは大きく深呼吸する。ここでアベルを攻撃すれば、狭量を責められるでしょうね。自嘲するアスタロトは気づいていなかった。もし過去の彼なら、もう半年前なら確実にアベルを殺しただろう。

 本人達が思うより、アベルは認められているのだ。そうでなければ、キスシーンを目撃した瞬間に消し炭だった。言い訳を聞いてやろう。そう思った時点で、アスタロトは彼をルーサルカの婚約者として認めている証拠だった。

「お義父様、このあたりでピクニックに向いている場所はありませんか?」

 話を逸らすようなルーサルカに微笑みかけ、人狼の親子も視野に入れる。ここはアスタロトの領地の目の前で、地図を取り出さなくても地形は頭に入っていた。子供が喜び、娘が行ったことのない場所……風を見るように目を細め、季節を確認する。

「この先に美しい景色がありますよ」

 寒い季節にだけ咲く、美しい赤い花。自然に群生したその花木は、いつの間にか草原を半分ほど埋め尽くした。あの場所なら、ルーサルカも喜ぶでしょう。
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