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72章 世界の異物を取り除くか

1005. 意外な結末には裏が?

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 肌を掠めた剣先に舌打ちし、一歩踏み込む。臆病風に吹かれて引く女ではない。予想していたアスタロトは、逆に舞うような足捌きで後ろに下がった。鼻先を横切った刃が、遅れた金髪の一部を切り裂く。

 ぱらぱらと落ちた髪を、アスタロトが一瞬で焼き尽くした。魔王含め、上位魔族の髪や爪は焼き払うのが作法だ。うっかり残すと悪用され、かつてそれで苦戦したことがあった。

 さすがにその間は邪魔をせず、ベルゼビュートも汗でしっとり重くなった巻毛をかき上げる。

「どうしました? もう疲れたのですか」

「あんた、その丁寧を装った口調やめなさいよ。俺になったら全然話し方違うくせに」

「……私では不満ですか」

 すっと周囲の温度が下がった。錯覚なのに、まるで実際そう感じたように肌が粟立つ。晒した両腕をさすりながら、ベルゼビュートが溜め息をついた。

「いえ、『俺』よりマシね」

 うっかり藪を突くところだった。一人称が俺に変わった時のアスタロトは口調だけじゃなく、性格も残忍さが全面にでる。うっかりこんな場所で俺を引きずり出せば、人族どころか魔の森の一部を消失する羽目に陥る。せっかく休ませた魔王を呼び出す気はない。

 聖剣を構え直したベルゼビュートが、フェンシングのように突き中心の攻撃に変えた。踏み出した足にしっかり力を込めて蹴り、その勢いを上手に攻撃に生かす。体術に関して自信のある彼女ならではの攻撃だった。

「っ、やりますね」

 すべてをかわしてるくせに、よく言うわ。優雅な足捌きで避けるものの、いくつかが髪や袖をかすめる。服に傷がついたと嘆くフリの男に、精霊女王は攻撃の手を休めない。

 アスタロトが横に大きく払った剣の余波が、遥か向こうの建物を壊した。すでに周囲は土煙に覆われ、ほとんど見通せない。危険を察知した魔族は大急ぎで離脱していた。少し離れた森の手前で、持ち帰った獲物を分配する魔獣の姿が見える。

「まだまだいけるでしょう? アスタロト」

「反撃に出ますよ」

 わざわざ宣言して、アスタロトが前に踏み出した。いくつかの攻撃を食らうことを承知で、一気に距離を詰める。右腕に2箇所、左肩に1箇所、そして脇腹を掠めた傷が血を滲ませた。それでも突きをかわされたことで、ベルゼビュートは舌打ちする。間近に迫った男を牽制するため、左手に短剣を呼び出した。

 長い聖剣を引き戻していては間に合わない。そう判断した彼女は、あっさりと聖剣を手離す。落ちて甲高い音を立てる聖剣に、アスタロトが僅かに気を逸らした。

「えいっ!」

 振りかざした短剣を突き立てる。ぐさっと手応えがあり、ベルゼビュートは焦って柄を離した。

「嘘、刺さったの?」

「どうやら鈍っていたようで」

 腹部へ向けられた攻撃を、かろうじて左腕で防いだ。盾にした腕に刺さる短剣は刃を半分ほど埋め、おそらく骨に当たって止まっただろう。手応えから判断したベルゼビュートは、乱れた髪を直しながら近づく。

「やだ、思ったより深いわ。大人しくしてなさい」

 互いに倒すことが目的ではないため、ここで戦闘終了だ。周囲は余波で荒れ野と化していた。それらを無視して、目の前の傷に手を翳す。ベルゼビュートの治癒能力の高さを知るアスタロトは、短剣の柄を握ったが抜かなかった。

 彼女の治癒により短剣が押し出される。だから手を添えているだけでよかった。

「事務仕事ばかりしてるからよ」

 たまには辺境で苦労しなさい。そう言い聞かせるベルゼビュートは、年長者振った口調で苦笑いするが、アスタロトが肩をすくめた。

「では私がしばらく外回りしますので、書類の署名を……」

「あたくし、用事を思い出したわ」

 治癒を終えたと逃げるベルゼビュートの肩を掴み、吸血鬼王は満面の笑みで言い放った。

「まだ手が痛いようなので、しばらく事務処理を手伝っていただきます」

 がくりと肩を落としたベルゼビュートに、小さな精霊が寄ってきて慰める。

「放っておけばよかった」

 吐き捨てた彼女は忘れている。数千年前も同じ捨て台詞をしたことを。覚えているアスタロトは、次回もこの手を使えそうですねと笑った。
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