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71章 北の大地は危険な噂の宝庫
986. 他人任せの決断は狡い?
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今度首をかしげたのはイザヤだった。実験のつもりで、英語で話した内容はちゃんと聞き取れている。アンナに目配せすると、にっこり笑った。
「ルキフェル様、こちらは分かります? 『フランス語だけど』」
「フランス語と英語の違いが分からないけどね」
肩を竦めて返答され、アンナとイザヤは再び考えこんだ。今の現象への説明が思い浮かばない。目の前の黒髪の女性は英語やフランス語が通じないが、片言の日本語を話す。しかしルキフェルは聞き取れなかった。
イザヤが英語で、アンナはフランス語で話しかけても通じるのに? その間にある違いはなんだろう。日本人の言語が通じているから、てっきりこの世界は日本語だと思って……この世界? ここは異世界で、自分達は召喚された。
あれ? だったら彼女達はどうやって、この世界に来たんだろう。いまの人族に召喚魔法陣はないのに。
振り返ったさきで、黒髪の女性は不安そうな顔をしている。言葉が通じない上に、中庭を犬の尻尾や竜の角をつけた人が歩いているのだから、さぞ怖いだろう。驚かさないよう出来るだけゆっくりとした日本語で、アンナは話しかけた。
「お名前は?」
「リアナ」
よくわからないけど、多分女性の名前だろう。首をかしげるアンナに、リアナは自分を指差しもう一度リアナと繰り返した。
「この世界にどうやって来たの?」
文章が複雑すぎたのか、リアナは困った顔で黙り込んだ。もう一度ゆっくりと砕いて繰り返した。何回か言葉を変更しながら試すと、ようやくリアナが反応する。
「戦い、みな、ダメ」
大きく手を振って範囲を広く示す彼女に、イザヤが唇を噛みしめた。世界大戦――大きな戦い、みんながダメ……死ぬ。そう示したリアナの姿、大量に銃火器を持った者が落下した事実。確かに戦争が起きたのだろう。規模は不明だが、すくなくとも落下した人々は同じ世界出身の可能性があった。
「ルキフェル閣下、落下した者が手にしていた武器を確認できますか? もしかしたら彼らがこの世界にきた理由が分かるかもしれません」
「……いいよ。調べるのは好きだから」
得意というより、調査や実験が好きと言い切ったルキフェルは立ち上がった。それから振り返り、リアナを指差す。
「それが騒動起こさないように監視して。無理なら牢に戻すこと。僕の責任になっちゃう」
しっかり釘を刺してから踵を返した。周囲の魔族を見て身を震わせるリアナの姿に、イザヤとアンナは途方に暮れた。あの牢に戻すのは人道的に問題がある気がするけど、これから仕事なのに連れ歩くわけに行かない。仮にも魔族に危害を加えた集団の1人、罪人として転送された人族なのだ。
彼女が牢内の仲間を連れ出し、幼い子供やか弱い種族に攻撃したらと想像するだけで、アンナは背筋が凍る思いだった。
「アンナさん? イザヤさんも……どうなさいましたの」
通りがかった侍女長アデーレに、アンナは助けを求めた。手短に事情を説明し、リアナを安全に隔離する方法を仰ぐ。話を聞き終えたアデーレは不思議そうに尋ねた。
「この人族に利用価値はあるの?」
利用価値という単語に、アンナは何も返せない。同じ世界から来たとして片言で言葉が通じなくて、でも目の前で人が死ぬのは嫌だった。そう、アンナがぶつかったのは「人が死ぬのは嫌」な自分の感情だ。見知った人が死ぬことが滅多にない平和な世界で生まれ育った彼女にとって、病気や事故はともかく……処刑や殺人は他人事だった。
だから死なせたくないと思う。名前まで知ってしまって、もう簡単に切り離せなかった。しかし自分達の新婚生活を犠牲にしてまで、彼女を養う気もない。牢に戻したらいずれ処刑されるから、自分の手で戻したくなかった。誰かが命じてくれたら……諦められる。都合の良いことを考える醜さを突きつけられ、アンナは唇を噛みしめた。
「利用価値はありません」
キッパリ言い切った兄イザヤの言葉を、否定できない。有益な情報を持つわけじゃなく、リアナ自身に特殊能力もなさそうだった。
「そう。ならば私が片付けておきます」
リアナに言葉が通じなくてよかった。そんなことを考えてしまうアンナは、自己嫌悪に身を焦がす。決断すら他人任せだなんて、私は狡い――そんなアンナに、アデーレは肩を竦めた。
「ルキフェル様、こちらは分かります? 『フランス語だけど』」
「フランス語と英語の違いが分からないけどね」
肩を竦めて返答され、アンナとイザヤは再び考えこんだ。今の現象への説明が思い浮かばない。目の前の黒髪の女性は英語やフランス語が通じないが、片言の日本語を話す。しかしルキフェルは聞き取れなかった。
イザヤが英語で、アンナはフランス語で話しかけても通じるのに? その間にある違いはなんだろう。日本人の言語が通じているから、てっきりこの世界は日本語だと思って……この世界? ここは異世界で、自分達は召喚された。
あれ? だったら彼女達はどうやって、この世界に来たんだろう。いまの人族に召喚魔法陣はないのに。
振り返ったさきで、黒髪の女性は不安そうな顔をしている。言葉が通じない上に、中庭を犬の尻尾や竜の角をつけた人が歩いているのだから、さぞ怖いだろう。驚かさないよう出来るだけゆっくりとした日本語で、アンナは話しかけた。
「お名前は?」
「リアナ」
よくわからないけど、多分女性の名前だろう。首をかしげるアンナに、リアナは自分を指差しもう一度リアナと繰り返した。
「この世界にどうやって来たの?」
文章が複雑すぎたのか、リアナは困った顔で黙り込んだ。もう一度ゆっくりと砕いて繰り返した。何回か言葉を変更しながら試すと、ようやくリアナが反応する。
「戦い、みな、ダメ」
大きく手を振って範囲を広く示す彼女に、イザヤが唇を噛みしめた。世界大戦――大きな戦い、みんながダメ……死ぬ。そう示したリアナの姿、大量に銃火器を持った者が落下した事実。確かに戦争が起きたのだろう。規模は不明だが、すくなくとも落下した人々は同じ世界出身の可能性があった。
「ルキフェル閣下、落下した者が手にしていた武器を確認できますか? もしかしたら彼らがこの世界にきた理由が分かるかもしれません」
「……いいよ。調べるのは好きだから」
得意というより、調査や実験が好きと言い切ったルキフェルは立ち上がった。それから振り返り、リアナを指差す。
「それが騒動起こさないように監視して。無理なら牢に戻すこと。僕の責任になっちゃう」
しっかり釘を刺してから踵を返した。周囲の魔族を見て身を震わせるリアナの姿に、イザヤとアンナは途方に暮れた。あの牢に戻すのは人道的に問題がある気がするけど、これから仕事なのに連れ歩くわけに行かない。仮にも魔族に危害を加えた集団の1人、罪人として転送された人族なのだ。
彼女が牢内の仲間を連れ出し、幼い子供やか弱い種族に攻撃したらと想像するだけで、アンナは背筋が凍る思いだった。
「アンナさん? イザヤさんも……どうなさいましたの」
通りがかった侍女長アデーレに、アンナは助けを求めた。手短に事情を説明し、リアナを安全に隔離する方法を仰ぐ。話を聞き終えたアデーレは不思議そうに尋ねた。
「この人族に利用価値はあるの?」
利用価値という単語に、アンナは何も返せない。同じ世界から来たとして片言で言葉が通じなくて、でも目の前で人が死ぬのは嫌だった。そう、アンナがぶつかったのは「人が死ぬのは嫌」な自分の感情だ。見知った人が死ぬことが滅多にない平和な世界で生まれ育った彼女にとって、病気や事故はともかく……処刑や殺人は他人事だった。
だから死なせたくないと思う。名前まで知ってしまって、もう簡単に切り離せなかった。しかし自分達の新婚生活を犠牲にしてまで、彼女を養う気もない。牢に戻したらいずれ処刑されるから、自分の手で戻したくなかった。誰かが命じてくれたら……諦められる。都合の良いことを考える醜さを突きつけられ、アンナは唇を噛みしめた。
「利用価値はありません」
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「そう。ならば私が片付けておきます」
リアナに言葉が通じなくてよかった。そんなことを考えてしまうアンナは、自己嫌悪に身を焦がす。決断すら他人任せだなんて、私は狡い――そんなアンナに、アデーレは肩を竦めた。
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