上 下
934 / 1,397
68章 学習能力のない逆恨み

929. 守る覚悟と試練

しおりを挟む
 震えながら戻ったアベルは、ルシファーの前で剣を落とした。手から滑り落ちた剣が抗議するように甲高い金属音を立てる。追いかける形で膝をついたアベルに、ルーサルカが駆け寄った。

「アベル」

「ルーサルカ、触れるな」

 ルシファーの鋭い声に、ルーサルカは伸ばした手を震わせた。困惑した表情でルシファーを見るが、彼はアベルから視線を離さない。何が起きたのか、すぐ人族を殺さなかったから咎められるの? 泣きそうなルーサルカにリリスが首を横に振った。

「大丈夫だから、少し離れて」

 言われるまま数歩下がる。それでもルーサルカはアベルの背中を見つめていた。視線を離したら、消えてしまいそうな気がする。

「立て、アベル。魔王の護衛が膝をつくなど許さぬ」

 鋭い言葉にのろのろと顔を上げ、アベルは立ち上がった。返り血に濡れた赤い指が震えているのを、ルシファーは無造作に掴む。じわりと伝わる熱に、アベルの震えが徐々に収まった。

「……希望するなら護衛は首にするぞ」

 魔王の護衛に就く以上、人族との戦いは避けられない。勇者がいてもいなくても、彼らは関係なく魔族や魔王を敵対者と見做して襲い掛かるだろう。その時、護衛が躊躇うことは許されなかった。襲われたのが抗う力を持たない魔族だった時、相手が人族だからと剣を落とすわけにいかないのだ。

 もしルーサルカが襲われて、人族に傷つけられたら? アンナやイザヤに剣を向けたら……やはり反撃すると思う。そこに前世界の観念を持ち込んだら動けなくなる。

 答えを出す時間を与えて、ルシファーは視線を上げた。ルキフェルは魔法陣で翻弄する戦いに飽きて、竜化した手で獲物を引き裂く。残酷な笑みを浮かべたベルゼビュートの足元に、手足を切り落とされた人族が散らかっていた。どちらも容赦や情けは感じられない。

 敵であるなら一切手加減しない。手を伸ばして協力を求めるなら握り返す。当たり前の切り替えを、人族は苦手とした。手を伸ばして握り返されたくせに、裏切って殺すのは人族くらいだ。アベルはひとつ大きく息を吸い込み、己の頬をぱちんと両手で叩いた。

 気合を入れ直した彼は、先ほど手を離した柄をしっかりと握って立ち上がる。

「すみません。取り乱しました」

 護衛としてやっていく覚悟を決めたのか。人族の行いに傷つき嫌悪し、憎んでも……殺すことは別だったのだ。アベル達日本人にとって、殺人は禁忌だった。その考えを知らずとも彼の葛藤に決断を迫ったルシファーは、穏やかに頷く。

「殺すのが嫌なら強くなれ」

 矛盾したようだが、ひとつの真理だった。圧倒的な強さを手に入れれば、殺さずに退けることが出来る。逃がしたことにより何度も襲われようと、強ければ問題にならない。魔族にとって強さは何より優先された。強ければ、アベルが不殺を貫いても誰も咎めない。

「もう、心配させないでよ」

 むっとした口調でルーサルカが言い放つ。心配の裏返しだと察して、アベルは素直に謝った。

「ルシファーったら優しいんだから」

 見透かしたリリスの呟きと同時に、彼女はぎゅっとルシファーに抱き着いた。足元でまだ子犬サイズのヤンが尻尾を振る。

「ねえ、ルシファー。ベルゼが僕の獲物を横取りした」

「何よ、その前にあたくしが手をつけた獲物を裂いたのはルキフェルじゃない」

 まるっきり子供のケンカを繰り返す大公2人に、ルシファーは呆れ顔で窘める。

「半分にしろと言っただろう」

「「だって奇数だったんだもん(の)」」

 上手に半分に出来なかった理由をハモった大公の言葉に、緊迫した面持ちで見守っていた大公女達はくすくす笑い出す。場の緊張は一気に解れたが……呻く残骸が散らばる惨状はそのままだった。そして返り血に濡れた護衛や手を赤く汚した魔王の姿に、リリスが右手で空を指さす。

「綺麗にしてあげるわ」

 勢いをつけて振り下ろしたリリスの手を止める間もなく、バケツをひっくり返す勢いで水が落下する。雨と呼ぶには乱暴な水流でびしょ濡れになった一行は、思い思いに顔を見合わせた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼馴染み達が寝取られたが,別にどうでもいい。

みっちゃん
ファンタジー
私達は勇者様と結婚するわ! そう言われたのが1年後に再会した幼馴染みと義姉と義妹だった。 「.....そうか,じゃあ婚約破棄は俺から両親達にいってくるよ。」 そう言って俺は彼女達と別れた。 しかし彼女達は知らない自分達が魅了にかかっていることを、主人公がそれに気づいていることも,そして,最初っから主人公は自分達をあまり好いていないことも。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

呪われた子と、家族に捨てられたけど、実は神様に祝福されてます。

光子
ファンタジー
前世、神様の手違いにより、事故で間違って死んでしまった私は、転生した次の世界で、イージーモードで過ごせるように、特別な力を神様に授けられ、生まれ変わった。 ーーー筈が、この世界で、呪われていると差別されている紅い瞳を宿して産まれてきてしまい、まさかの、呪われた子と、家族に虐められるまさかのハードモード人生に…! 8歳で遂に森に捨てられた私ーーキリアは、そこで、同じく、呪われた紅い瞳の魔法使いと出会う。 同じ境遇の紅い瞳の魔法使い達に出会い、優しく暖かな生活を送れるようになったキリアは、紅い瞳の偏見を少しでも良くしたいと思うようになる。 実は神様の祝福である紅の瞳を持って産まれ、更には、神様から特別な力をさずけられたキリアの物語。 恋愛カテゴリーからファンタジーに変更しました。混乱させてしまい、すみません。 自由にゆるーく書いていますので、暖かい目で読んで下さると嬉しいです。

勇者がアレなので小悪党なおじさんが女に転生されられました

ぽとりひょん
ファンタジー
熱中症で死んだ俺は、勇者が召喚される16年前へ転生させられる。16年で宮廷魔法士になって、アレな勇者を導かなくてはならない。俺はチートスキルを隠して魔法士に成り上がって行く。勇者が召喚されたら、魔法士としてパーティーに入り彼を導き魔王を倒すのだ。

【完結】お花畑ヒロインの義母でした〜連座はご勘弁!可愛い息子を連れて逃亡します〜

himahima
恋愛
夫が少女を連れ帰ってきた日、ここは前世で読んだweb小説の世界で、私はざまぁされるお花畑ヒロインの義母に転生したと気付く。 えっ?!遅くない!!せめてくそ旦那と結婚する10年前に思い出したかった…。 ざまぁされて取り潰される男爵家の泥舟に一緒に乗る気はありませんわ! ★恋愛ランキング入りしました! 読んでくれた皆様ありがとうございます。 連載希望のコメントをいただきましたので、 連載に向け準備中です。 *他サイトでも公開中 日間総合ランキング2位に入りました!

デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢、前世の記憶を駆使してダイエットする~自立しようと思っているのに気がついたら溺愛されてました~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
デブだからといって婚約破棄された伯爵令嬢エヴァンジェリンは、その直後に前世の記憶を思い出す。 かつてダイエットオタクだった記憶を頼りに伯爵領でダイエット。 ついでに魔法を極めて自立しちゃいます! 師匠の変人魔導師とケンカしたりイチャイチャしたりしながらのスローライフの筈がいろんなゴタゴタに巻き込まれたり。 痩せたからってよりを戻そうとする元婚約者から逃げるために偽装婚約してみたり。 波乱万丈な転生ライフです。 エブリスタにも掲載しています。

美少女に転生して料理して生きてくことになりました。

ゆーぞー
ファンタジー
田中真理子32歳、独身、失業中。 飲めないお酒を飲んでぶったおれた。 気がついたらマリアンヌという12歳の美少女になっていた。 その世界は加護を受けた人間しか料理をすることができない世界だった

猫耳幼女の異世界騎士団暮らし

namihoshi
ファンタジー
来年から大学生など田舎高校生みこ。 そんな中電車に跳ねられ死んだみこは目が覚めると森の中。 体は幼女、魔法はよわよわ。 何故か耳も尻尾も生えている。 住むところも食料もなく、街へ行くと捕まるかもしれない。 そんな状況の中みこは騎士団に拾われ、掃除、料理、洗濯…家事をして働くことになった。 何故自分はこの世界にいるのか、何故自分はこんな姿なのか、何もかもわからないミコはどんどん事件に巻き込まれて自分のことを知っていく…。 ストックが無くなりました。(絶望) 目標は失踪しない。 がんばります。

処理中です...