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66章 ドラゴンの逆鱗

900. 無理してる気がするの

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「承知いたしました」

 事態の報告はイポスから書類が出る。状況を調べるために文官を派遣すれば、住民から見た事件概要も把握できた。この場でルシファーに尋ねる必要はない。普段から温厚な彼をここまで怒らせるなら、よほどのことをしたのだろう。巨大なドラゴンの上に魔法陣を描き、魔王城の地下牢へ転送した。

 基本的に魔族に裁判の制度はないが、関係者が申し開きをする場を開くことが出来る。親族が反論して無罪を訴えるにしても、現行犯で身柄を確保することは法で定められた手順だった。

 淡々と従う側近に頷き、彼に任せようとしたルシファーの腕をリリスが引っ張る。じっと見上げてくる大きな瞳が、何かを訴えていた。

「リリスは不満か?」

「ううん。そうじゃなくて……ルシファーが無理してる気がするの」

 それが気に入らないと呟くリリスの唇が少し尖る。言われて首をかしげた。無理をしている、自覚はなかった。リリスは何を言いたいのか。不思議そうに見つめ返すルシファーの姿に、アスタロトは思い当たる点があった。

 僅か十数年しか一緒にいなかったが、リリスはそれだけルシファーを見つめて生きてきた。自分の生殺与奪を預けた庇護者という以上に、ルシファーの感情や仕草を知る証拠だ。婚約者であり未来の妻となるリリスの金瞳が魔王を捉える。

「そんな顔をしないで教えて欲しいわ」

「……酷いお顔ですよ、ルシファー様」

 理解できないと顔に書いて不思議そうなルシファーは自覚がない。世界が終わるような悲壮な雰囲気を漂わせ、無表情を貼り付けた魔王に、側近は手助けの一言を送った。

 かつて同じ言葉を告げたことがある。魔王位に就いた後、魔族は二つに割れて争った。ルシファー容認派と別の魔王を擁立しようとする派閥の争いだ。その時に無表情で敵を排除したルシファーへ、アスタロトが向けた言葉だった。一言一句変わらぬ響きに、ルシファーが目を見開く。

「そう、か。悪かった。あとで……そう、2人きりになったら話す」

 不器用ながら寄り添う姿勢を見せたルシファーへ、リリスは嬉しそうに頷いた。アスタロトは自分の役目は終わったとばかりに一礼し、足元の影に入ろうとして気づいたように声をかける。

「アベル、少しいいですか」

「え、あの、その……いや、仕事が」

 もごもごと口の中で言い訳じみた声をこもらせるが、抵抗する間もなく足元の影に吸い込まれる。背に負った剣のベルトががちゃがちゃと音を立てた。魔剣が大きいため、腰に下げるより背負った方が扱いやすいと先ほど背負い直したばかりだ。

 地面の感触が曖昧になり引き込まれる姿に、慌てたルーサルカが手を握って引っ張った。抵抗する娘から引き剥がそうと強く吸い込まれ、アベルが痛いと騒ぐ。

 ここにアンナがいたら「手を離した方が本当のお母さん」と呟いたかもしれない。しかし誰も知らないその逸話が生かされることはなく、ルーサルカごと影に吸い込まれてしまった。

「……えっと。助けた方がいいの?」

 シトリーが首をかしげるが、相手は大公アスタロトである。吸血鬼王に勝てるはずがない。何より、ルーサルカが危害を加えられる心配がないので、ルーシアは首を横に振った。

「平気よ、たぶん、きっと」

 後ろに不安が多少滲み、それを自ら打ち消すルーシア。続いた翡翠竜の断言が後押しした。

「ルーサルカちゃんがいれば、アベルも無事帰ってくるよ」

 確かにルーサルカが他者を見捨てるわけがないし、いっそこれを機に仲が進展して婚約してしまえばいい。レライエは頷きながら心の中で思った。魔王妃リリスに仕える一番大変な部分って、リリスの我が侭より魔王や大公の横暴さに慣れる事かもしれない。

 彼女の声にならない本音は……ある意味、真理そのものだった。
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