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64章 己の立場を自覚すること

884. 気づく前にモテ期終了

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 シトリーは今回の騒動の後、グシオンから婚約の申し出があったらしい。未熟な半人前だからと断ろうとした彼女に、後見役に就いたベールは淡々と言い聞かせた。

「半人前? そんなことを気にしていたら、一生結婚できなくなります」

 大公達ですら、いまだに己が完璧だと思っていない。それこそが向上心の一端を担う感情であり、前向きに物事へ取り組む一助となっていた。その感情を未熟と切り捨てたら、一生満足できない。シトリーは兄にも相談し、婚約を受けることにした。

 グシオンは好ましく思うし、彼以上に自分を大切にしてくれる相手を思いつかない。何より、彼と一緒にいると楽しかった。誰か別の女性が彼の隣に立つのを想像すると、全身の毛が逆立つような怒りと嫌悪感を覚えた。それが答えだと笑ったシトリーは、リリスとルシファーへ正式な婚約報告を行う。

 温泉街を治める一族との婚約とあり、群衆は大いに盛り上がった。昨夜の魔王負傷の噂を上書きするのに最適の祝い事は、あっという間に温泉街を湧かせる。発表タイミングが良かったこともあり、シトリーは胸を撫でおろした。これで主君の噂も上書きで消せる。

 こうして現状、婚約者の定まらない大公女はルーサルカ1人となった。つまり様々な種族や貴族から縁談が舞い込むモテ期が来る。優秀な女性を己の一族に引き入れたいと思うのは自然な考え方で、魔王や魔王妃の覚えが目出度いとあれば、なおさら欲しくなるものだ。

 当人は自覚なく、異世界から召喚された元勇者に口説かれていた。アベルは彼女に寄せられる秋波に気づいて牽制する。しかしルーサルカ本人はまったく無自覚に笑顔を振りまき、そのたびにファンを量産する結果となった。

「ルカは鈍いのかしら」

「いっそ気づいてて焦らしてる、と言われた方が納得できる」

 リリスとルシファーは静観を決め込む。普段しっかりしていて、大公女達の姉役で纏めに回るルーサルカだが、色恋に関してはまったくの奥手だった。奥手と表現するのは少し違うのだろう。自分が恋愛対象として見られる自覚が皆無だ。

「じれったいわね」

「ちょっかい出すとこじれるから、我慢だぞ」

「わかった」

 素直に頷くリリスだが、言い聞かせておかないとくちばしを突っ込んで騒動を大きくしただろう。その辺、育ての親であるルシファーは気づいていた。リリスはおせっかいを焼きたくて、そわそわしている。一番危険な状態だった。大抵この兆候を見落として、騒動が大きくなるのだ。

 学習能力が働いたルシファーにより、リリスは暴走を免れていた。気になって野次馬をするのは、2人とも「くっついてくれたら」と応援に回った結果である。義父アスタロトが暴れたら、全力で妨害して阻止する覚悟を決めたルシファーは、ルーサルカとアベルの不器用な恋を見守った。

「……アシュタ、怒らないかしら」

「絶対許さないだろうな。実力行使するようなら、オレが止めに入るよ」

 実力差がありすぎる大公の暴走は、魔王ルシファーが止めるしかない。きっちり覚悟を示した婚約者に、リリスの頬が緩んだ。首に手を回して引き寄せ、頬と鼻の頭に唇を押し当てる。目を瞬かせるルシファーだが、くすくす笑いながら数回唇を重ねた。

 魔王と魔王妃のいちゃつく姿を目撃したカップルが、無言で両手を合わせて拝む。以前リリスやルシファーが世話を焼いたカップルが成婚、または婚約成立となったため、彼らは末永い幸せの象徴になっていた。そんな話は魔王城上層部が知るはずもなく、一部の地域で宗教のように広がり始めている。

 後日彼らがその話を知って「なぜ?」と首をかしげるのは、成婚後の出来事だった。もちろん、今の時点ではまったく気づいていない。噂や伝説を振りまきながら、ルシファーはリリスの腰に手を回して抱き寄せた。

「いけっ!」

「そこよ。キスしちゃえ」

 すっかり野次馬の立場が気に入った2人だが、当然ながら一番目立つのも彼らである。棚の陰からアベルとルーサルカを見守る様子に、集まった貴族や求婚者は諦めて肩を落とした。魔王と魔王妃が応援するカップルなら、成立確定――ルーサルカのモテ期は自覚する前に、ルシファー達により強制終了となった。
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