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62章 数十回目の魔王城襲撃騒動

860. 侍従達への特殊手当

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 ルーサルカの婚約者役をアベルに頼もうと思う。そう告げた瞬間、魔王城は氷点下以下の極寒の地に変わった。歯の根が合わない、がちがちと震える侍従達はコボルトなので一応自前の毛皮を持っている。しかし寒さに動けなくなり、廊下に蹲った。

「アスタロト、民が死ぬぞ」

 さすがに魔王ルシファーは平然としていた。正確に表現するなら、寒さを遮断する結界を張ったのだ。こっそり両手を引っ込めて袖で暖を取っているのは見逃して欲しい。結界をじわじわと侵食しそうな冷たさに、曖昧な笑みを浮かべて説得を試みる。

「いっそ全員凍ればいいのですよ」

「問題ありすぎる発言だ、アスタロト大公」

 夜中の騒動で、当直以外で眠っていた侍従が多かったのは幸いだ。一歩間違えば客人や文官を含めて凍り付いた可能性がある。徐々に結界を広げて魔王城を包み始めると、諦めた様子でアスタロトが溜め息をついた。冷気を発していた彼が魔法を解除したことで、暖かさが戻ってくる。

「夜番だった侍従に、冷気手当てを出そう」

「わかりました」

 そこはすぐに同意してもらえたので、話がついた。予備費の支出書類にささっと理由を書いて署名し、押印しておく。トラブルの手当ては早いほどいい。忘れたころ支給すると、逆に反感を買うのが人の複雑な心理だった。

「アベルを選んだ理由だが、やさなくていいから冷静に聞いてくれ」

 ちゃんとした理由があると示すルシファーへ、アスタロトが渋々頷いた。目の前の氷になった紅茶を一瞬で解凍して沸かし、口元へ運ぶ。隣の部屋で眠っているリリスは真っ先に結界で包んだため、寒さを感じていないだろう。

 彼女の結界を優先したため、僅かに遅れて手が冷えたルシファーは紅茶を温めてから、その温度で自分の手の暖を取り始めた。飲まずに両手でカップを包み込み、背を丸めた姿は小動物のようである。

「まず、彼は女好きだが見境のない獣じゃない。今回は理由を説明して仕事として依頼し、同行してもらう。宿泊の部屋はもちろん分ける。オレとリリス以外は、男性のみの部屋と女性のみの部屋を用意する予定だから同衾の心配はない」

 当たり前だと言わんばかりの態度で、アスタロトが頷く。婚約破棄や解消は、一般的な魔族にとって恥である。そのため婚約したら結婚するのが当然という考え方があった。婚約者同士なら同じ部屋で寝るのも珍しくないのだが、今回は人数が多いことを理由に部屋を分ける予定である。

 あくまでも「魔王妃殿下のお披露目」が目的であり「魔王による視察と仲裁」が仕事なのだ。婚前旅行とはわけが違う。側近達に相応の緊張感を求めるのは、至極当然だった。しかし歓待の宴で、魔王や魔王妃の側近が婚約者なしとなれば、群がる求婚者の群れは引きを切らない。

 ぎりぎりのところで、偽物でもいいから婚約者役を設定しよう……となるわけだが。義父の多少粘着質な愛情は、近づく異性を凍らせて砕きかねなかった。

「危険すぎます」

「そんなに心配なら分身を影に入れておけばいいだろ。数千年くらい前にオレが被害……いや、守ってもらった術だ」

 視察中に騒動を起こした魔王を監視するため、彼の影の中に自分の一部を潜ませたことがあった。それを持ち出したルシファーへ、アスタロトは頷く。相手の同意が術の発動条件だが「あなたを守るためです」と曖昧に説明して同意を貰えばいいだろう。

「そうしましょう」

「じゃ、そういうことで。これからリリスの隣で寝るぞ」

 嬉しそうに目を輝かせたルシファーは、部屋を出る前にくるりと振り返った。そして余計な一言を無邪気に放つ。

「ルーサルカがもっと幼い頃に来たら、抱っこして一緒に寝れただろうに」

 気の毒だなと本心から告げる無神経な純白の魔王へ、吸血鬼王はそれはそれは美しい笑みを浮かべた。背筋を走った本能的な恐怖に慌てるが間に合わない。凍り付いた足を必死に解凍しながら逃げ回る魔王の姿を見た侍従達は、そっと犬の手で目を隠し、耳を塞いだ。我々は何も見なかった……そう呟きながら、コボルトは冷気に身を震わせる。

 翌朝、自室として使用する客間の前でドアに手を伸ばして凍り付いた魔王の姿を、廊下に差し込んだ朝日が照らしていたとか、いないとか。彼らは冷気手当てに追加された「口止め料」を手に、ふかふかの毛皮の手で口も押えた。
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