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55章 海の嘆きと森の歌

770. 遊び疲れて日が暮れて

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 日が傾いて、月が昇り空が暗くなる頃――ようやく魔力の供給に終わりが見える。大公3人がかりで説得されたルシファーは、羽を4枚は残すことを義務付けられた。そのため、結界の使用で薄くなった6枚と追加の2枚分を流した時点で終了となる。

 広げていた翼を畳んで消し、ルシファーは海風に湿った髪をかき上げた。途中で邪魔になり、髪飾りや王冠はすべて外してしまった。さらさらと流れる長い髪を無造作に一つに結ぶ。

「思ったより怠い」

 疲れたとぼやくが、ほとんど自業自得だった。言い出したのが魔王ルシファー自身であり、他の魔族を巻き込んで実験を始めた経緯がある。砂浜に直接ぺたんと座れば、アスタロトが溜め息をついて敷物を用意した。少し厚手の絨毯にリリスが腰を下ろし、手招きする。

「ルシファー、ここ来て」

 自分の膝を叩くお姫様の笑顔に、怠い身体を引きずるようにして絨毯へ転がる。ルシファーの頭を膝に乗せたリリスは、まだ海辺で遊ぶ魔族に目を細めた。

 海に魔力を流す作業の最中に駆け付けた家族連れも多く、子供が波で遊び、父母と一緒に笑っている。魔王軍の精鋭たちも羽目を外し、海水に飛び込んだり、魚を追いかける者も出た。海が綺麗に透き通ったあたりから、緊迫感は楽観に取って代わる。

 手を繋いで魔力を流す方法が広まれば、魔族特有の前向き思考で彼らは状況を楽しんだ。塩辛い海水を掛け合ったり、魔王が流す魔力と海の間に挟まってみたり、どさくさ紛れにリリスの手を握って海へ投げ飛ばされる者まで出た。なお不埒者へは、少女達からの追撃もあったらしい。

「皆、楽しそうね」

「海は管轄外だからな、初めて接した者も多いだろう」

 微笑ましいとルシファーも表情を和らげた。見上げるとリリスの黒髪が視界に入り、その先に夜空が広がる。光る星が見える時間帯になり、ベールが「一時撤退」の命令を魔王軍に下した。経過を監視する数班を残し、魔王軍が城門前に移動を開始する。

 魔力を使いすぎた者や、泳ぎ疲れてぐったりした者を担いで帰っていく様子は、戦後の光景そのものだった。実際に戦闘が行われても、ここまで負傷者は多くないだろう。人族との戦以上の疲れを見せる精鋭たちが姿を消すと、指揮官であるベールが続いた。

 家族連れがぽつぽつ残るものの、ほとんどは森の領域へ引き上げる。波に吠えて立ち向かっていた魔獣の子も、親の背に乗せられたり咥えて運ばれた。ルキフェルも日本人や転移できない一部の種族を連れて先に戻っている。エルフやドライアドが森のゲートを作り、安全に森の中に魔族を導いた。

 徐々に人影が減る海辺で、波の音を聞きながら寝転がる魔王を膝枕する魔王妃の斜め後ろで、少女達とアスタロトが控える。アデーレから転送で送られてきた軽食を食べ終わる頃、周囲はすっかり夜の暗さに包まれていた。

「静かになっちゃった」

 近くで休む少女達を振り返ったリリスは、くすくす笑いながら金の瞳を瞬かせる。明るい月光が降り注ぐ海は、夜空の色を映した紺色だ。それでも穢れていた黒より格段に明るく生命力に満ちた色をしていた。

「毎年海に遊びに来るのも楽しそうですね」

「イベントになりそう」

 自分たちも楽しんだ少女は、濡れた手足をタオルで拭って寛いでいる。魔の森の脅威が消えたことで、急に平和になった感覚が眠気を誘った。

「城に帰るか」

「後始末が大変ですが、明日にしましょう」

 アスタロトの提案に誰も異論がない。ベルゼビュートが飛び込んでから、ずっと忙しく走り回った彼と彼女らは、敷物を片付けてルシファーの近くに集まった。民が森に引き上げるまで待つと決めたルシファーの意思を尊重した側近たちを連れ、転移魔法陣で包み込む。

 彼らが消えた後の海は波を白く泡立たせ……やがて海からいくつかの小さな生き物が顔を見せる。巧みに波の間に隠れながら、彼らは海辺へ近づいた。
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