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46章 消えた記憶を取り戻せ

610. 記憶の戻し方なんて知らない

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 仮眠室代わりに使っている部屋に逃げ込み、リリスをベッドに寝かせる。乱れた黒髪を丁寧に梳いて直し、ドレスの裾の汚れを浄化した。小さな何かを見つけては直し、ルキフェルは無言でリリスの世話を焼き続ける。止まったら何かが失われると恐れるように……。

「ルキフェル……」

「わ、かって……るけどっ、僕」

 可愛い妹としてリリスを甘やかしてきた。彼女が幸せになる姿を見たくて、寂しそうだったルシファーが微笑むのが嬉しくて……だからっ! ぽろりと涙が頬を零れ落ちる。負けた時みたいな悔しさがこみあげて、ぎゅっと拳を握りしめた。

「どうしよう。記憶なんて、何すれば戻るの? 形がないんだよ」

 感情や記憶は形がない。壊れた物は直せばいいけど、元から形のない物をどうやって戻したらいい? たくさん過去の話をしたら思い出してくれるんじゃないか。リリスが一生懸命話しかけたら、刺激されないかな。考える側から、否定される恐怖で喉が詰まった。

 前に記憶喪失になった獣人を診たことがある。数千年前のあの頃、僕は自分の魔法陣の技術に溺れていた。記憶がきえたなら、失くす前の日に時間を巻き戻せばいいと簡単に考えたのだ。複雑な時間軸を刻んだ魔法陣を使い、大量の魔力を代償に獣人の時間を数十日巻き戻した。

 一言で言うなら失敗だった。失くした記憶の最終日から、さらに昔へさかのぼっただけ。現在時点からの逆行が出来なかった記憶は、対象者の貴重な記憶をさらに奪う。あれこれと魔法陣を改良したけれど、2度目の許可はでなかった。

 本人が、これ以上家族を忘れたくないと泣いたのだ。貴重な記憶は失われたら戻らない。同時に死者に時間巻き戻しの魔法陣は適用できない。すべて、世界の理に背く行為だった。

 粉々に砕かれたのは僕のプライドではなく、優しく美しい思い出なのだから。

「記憶は失われる場合と、一時的に思い出せない場合があります。どちらか確認してから嘆いても、遅くないのではありませんか」

 長く生きた分だけ落ち着いていられるが、ベールは素直に感情を吐き出したルキフェルを招き寄せた。泣きたいのに我慢する子供を引き寄せて、顔が見えないよう抱き締める。腕の中でルキフェルがわずかに震えていた。彼の水色の髪を撫でる己の手もまた……同じように震えが止まらない。

 今までのルシファーならば、数十年単位の記憶がなくても不自由はしなかった。多少覚えていない事件があったとしても、アスタロトやベールが側近としてカバーすればいい話だ。実務も数十年で変わることはなく、日付等の処理に慣れる時間があればよかった。

 しかし――今回はそんな単純な話ではない。

 魔王妃リリスと育んだ感情や愛情を失ったルシファーが、事情を説明されて彼女の存在を受け止めるだろうか。数万年前から必要性を理解しながら積極的に得ようとしなかった伴侶を、彼はどう扱うか迷うはずだ。

 小説を読むように、我々の話を理解する。その反面、実感がない己の言動を聞いても、内心で反発するだけだ。今のルシファーにリリスを会わせることは、彼らの今後を破綻させる。

「ルキフェル、分かっていると思いますが」

「うん。リリスを会わせちゃいけないね」

 そう呟いたルキフェルは、零れた涙をすべてベールの服に吸い込ませてから顔をあげた。ぎこちないながらも笑おうとする頬を、両手で包み込む。

「無理をしないでください。私の前で笑う必要はありません」

「……笑顔でも作らないと、無理」

 顔がくしゃくしゃになって泣いてしまう。弱々しい声で強がるルキフェルに、後ろから白い手が伸ばされた。遠慮がちに裾を握る手に振り向くと、リリスが赤い瞳でぎこちなく微笑んだ。
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