上 下
615 / 1,397
46章 消えた記憶を取り戻せ

610. 記憶の戻し方なんて知らない

しおりを挟む
 仮眠室代わりに使っている部屋に逃げ込み、リリスをベッドに寝かせる。乱れた黒髪を丁寧に梳いて直し、ドレスの裾の汚れを浄化した。小さな何かを見つけては直し、ルキフェルは無言でリリスの世話を焼き続ける。止まったら何かが失われると恐れるように……。

「ルキフェル……」

「わ、かって……るけどっ、僕」

 可愛い妹としてリリスを甘やかしてきた。彼女が幸せになる姿を見たくて、寂しそうだったルシファーが微笑むのが嬉しくて……だからっ! ぽろりと涙が頬を零れ落ちる。負けた時みたいな悔しさがこみあげて、ぎゅっと拳を握りしめた。

「どうしよう。記憶なんて、何すれば戻るの? 形がないんだよ」

 感情や記憶は形がない。壊れた物は直せばいいけど、元から形のない物をどうやって戻したらいい? たくさん過去の話をしたら思い出してくれるんじゃないか。リリスが一生懸命話しかけたら、刺激されないかな。考える側から、否定される恐怖で喉が詰まった。

 前に記憶喪失になった獣人を診たことがある。数千年前のあの頃、僕は自分の魔法陣の技術に溺れていた。記憶がきえたなら、失くす前の日に時間を巻き戻せばいいと簡単に考えたのだ。複雑な時間軸を刻んだ魔法陣を使い、大量の魔力を代償に獣人の時間を数十日巻き戻した。

 一言で言うなら失敗だった。失くした記憶の最終日から、さらに昔へさかのぼっただけ。現在時点からの逆行が出来なかった記憶は、対象者の貴重な記憶をさらに奪う。あれこれと魔法陣を改良したけれど、2度目の許可はでなかった。

 本人が、これ以上家族を忘れたくないと泣いたのだ。貴重な記憶は失われたら戻らない。同時に死者に時間巻き戻しの魔法陣は適用できない。すべて、世界の理に背く行為だった。

 粉々に砕かれたのは僕のプライドではなく、優しく美しい思い出なのだから。

「記憶は失われる場合と、一時的に思い出せない場合があります。どちらか確認してから嘆いても、遅くないのではありませんか」

 長く生きた分だけ落ち着いていられるが、ベールは素直に感情を吐き出したルキフェルを招き寄せた。泣きたいのに我慢する子供を引き寄せて、顔が見えないよう抱き締める。腕の中でルキフェルがわずかに震えていた。彼の水色の髪を撫でる己の手もまた……同じように震えが止まらない。

 今までのルシファーならば、数十年単位の記憶がなくても不自由はしなかった。多少覚えていない事件があったとしても、アスタロトやベールが側近としてカバーすればいい話だ。実務も数十年で変わることはなく、日付等の処理に慣れる時間があればよかった。

 しかし――今回はそんな単純な話ではない。

 魔王妃リリスと育んだ感情や愛情を失ったルシファーが、事情を説明されて彼女の存在を受け止めるだろうか。数万年前から必要性を理解しながら積極的に得ようとしなかった伴侶を、彼はどう扱うか迷うはずだ。

 小説を読むように、我々の話を理解する。その反面、実感がない己の言動を聞いても、内心で反発するだけだ。今のルシファーにリリスを会わせることは、彼らの今後を破綻させる。

「ルキフェル、分かっていると思いますが」

「うん。リリスを会わせちゃいけないね」

 そう呟いたルキフェルは、零れた涙をすべてベールの服に吸い込ませてから顔をあげた。ぎこちないながらも笑おうとする頬を、両手で包み込む。

「無理をしないでください。私の前で笑う必要はありません」

「……笑顔でも作らないと、無理」

 顔がくしゃくしゃになって泣いてしまう。弱々しい声で強がるルキフェルに、後ろから白い手が伸ばされた。遠慮がちに裾を握る手に振り向くと、リリスが赤い瞳でぎこちなく微笑んだ。
しおりを挟む
感想 851

あなたにおすすめの小説

【完結】聖女と結婚ですか? どうぞご自由に 〜婚約破棄後の私は魔王の溺愛を受ける〜

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264) 「アゼリア・フォン・ホーヘーマイヤー、俺はお前との婚約を破棄する!」 「王太子殿下、我が家名はヘーファーマイアーですわ」  公爵令嬢アゼリアは、婚約者である王太子ヨーゼフに婚約破棄を突きつけられた。それも家名の間違い付きで。  理由は聖女エルザと結婚するためだという。人々の視線が集まる夜会でやらかした王太子に、彼女は満面の笑みで婚約関係を解消した。  王太子殿下――あなたが選んだ聖女様の意味をご存知なの? 美しいアゼリアを手放したことで、国は傾いていくが、王太子はいつ己の失態に気づけるのか。自由に羽ばたくアゼリアは、魔王の溺愛の中で幸せを掴む!  頭のゆるい王太子をぎゃふんと言わせる「ざまぁ」展開ありの、ハッピーエンド。 ※2022/05/10  「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過 ※2021/08/16  「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過 ※2021/01/30  完結 【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう

【完結】もう結構ですわ!

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
 どこぞの物語のように、夜会で婚約破棄を告げられる。結構ですわ、お受けしますと返答し、私シャルリーヌ・リン・ル・フォールは微笑み返した。  愚かな王子を擁するヴァロワ王家は、あっという間に追い詰められていく。逆に、ル・フォール公国は独立し、豊かさを享受し始めた。シャルリーヌは、豊かな国と愛する人、両方を手に入れられるのか!  ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/11/29……完結 2024/09/12……小説家になろう 異世界日間連載 7位 恋愛日間連載 11位 2024/09/12……エブリスタ、恋愛ファンタジー 1位 2024/09/12……カクヨム恋愛日間 4位、週間 65位 2024/09/12……アルファポリス、女性向けHOT 42位 2024/09/11……連載開始

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完結】幼な妻は年上夫を落としたい ~妹のように溺愛されても足りないの~

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
この人が私の夫……政略結婚だけど、一目惚れです! 12歳にして、戦争回避のために隣国の王弟に嫁ぐことになった末っ子姫アンジェル。15歳も年上の夫に会うなり、一目惚れした。彼のすべてが大好きなのに、私は年の離れた妹のように甘やかされるばかり。溺愛もいいけれど、妻として愛してほしいわ。  両片思いの擦れ違い夫婦が、本物の愛に届くまで。ハッピーエンド確定です♪  ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/07/06……完結 2024/06/29……本編完結 2024/04/02……エブリスタ、トレンド恋愛 76位 2024/04/02……アルファポリス、女性向けHOT 77位 2024/04/01……連載開始

死に戻りの魔女は溺愛幼女に生まれ変わります

みおな
恋愛
「灰色の魔女め!」 私を睨みつける婚約者に、心が絶望感で塗りつぶされていきます。  聖女である妹が自分には相応しい?なら、どうして婚約解消を申し込んでくださらなかったのですか?  私だってわかっています。妹の方が優れている。妹の方が愛らしい。  だから、そうおっしゃってくだされば、婚約者の座などいつでもおりましたのに。  こんな公衆の面前で婚約破棄をされた娘など、父もきっと切り捨てるでしょう。  私は誰にも愛されていないのだから。 なら、せめて、最後くらい自分のために舞台を飾りましょう。  灰色の魔女の死という、極上の舞台をー

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

[完結]いらない子と思われていた令嬢は・・・・・・

青空一夏
恋愛
私は両親の目には映らない。それは妹が生まれてから、ずっとだ。弟が生まれてからは、もう私は存在しない。 婚約者は妹を選び、両親は当然のようにそれを喜ぶ。 「取られる方が悪いんじゃないの? 魅力がないほうが負け」 妹の言葉を肯定する家族達。 そうですか・・・・・・私は邪魔者ですよね、だから私はいなくなります。 ※以前投稿していたものを引き下げ、大幅に改稿したものになります。

処理中です...