上 下
550 / 1,397
41章 溺愛の弊害

547. 子を守る親の覚悟

しおりを挟む
※流血表現があります。
***************************************






 必死にリリスが引っ張る。体重をかけるようにして引く先は、茂みになっていた。何も見えない、たいした魔力も感じない場所に何があるのか。疑問が浮かびながらも、ルシファーにリリスの願いを断る選択肢はなかった。

「わかった。行くからちゃんと歩きなさい、転ぶぞ」

 注意されても、リリスの意識は茂みに向かっている。手を離しそうなリリスの小さな手をしっかり掴み、一緒に茂みに分け入った。ローブに触れる葉が避けるように動く。魔の森だからなのか、ルシファーだからなのか。いつものことなので、ルシファーは大して気にしなかった。

 ある地点を過ぎると、突然足元の葉が絡みつく。その先へ進む者を拒むように、茂みの枝や葉が行く手を遮った。繋いだ手の先で、リリスが手を伸ばしている。

「リリス、おいで」

 じたばたする幼女を抱き上げた。森が抵抗する状態で、このまま踏み込めばリリスが危険だ。彼女の願いを叶えることは重要だが、それ以上にリリスの安全が最優先だった。茂みに埋まりそうな小柄な子供は、高い視点になって目標物を見つけたらしい。

「あそこ! パパ、あの子!」

 リリスが指さす先に、傷だらけの蛇が倒れていた。10mほどの蛇は、身体の大半を血に濡らす。赤黒い血は傷口からまだ流れ出ており、ぬらぬらと全身が艶めかしく蠢いた。僅かでも前に進もうとする蛇の鱗や皮は剥された痕が痛々しい。

「ユルルングルか!」

 親蛇だろう。父か母か、外見では区別できない。連れ去られた我が子を求める親の執念に、背筋がぞくりと震えた。これほどの愛情を注ぐ親から子を奪おうとしたのか。己の命が尽きようとしているのに、それでも我が子を取り返そうとする深く強い感情に心は揺さぶられた。

 留めようとしていた枝を振り払って駆け寄り、膝をついて蛇の頭へ手を伸ばす。リリスを下ろせば、泣きそうな顔でぺたんと座り込んだ。小さな手で必死に手招きする。

「パパ、早く!! 黒くなっちゃう」

「少し待て。落ち着かせる必要がある」

「うん」

 幻獣と呼ばれる種族の中で、虹蛇ユルルングルは特殊な位置づけをされてきた。毒を浄化して水を蘇らせ、荒ぶる天候を操る。広範囲ではないが、様々な種族の命を救ってきたユルルングルは魔力を弾く特性が強い。

 差し出された手を判断できず、虹蛇はシャーと威嚇いかくしながら噛みついた。魔力を弾く特性ゆえ、結界すら通過する。尖った牙が肌に突き刺さっても、ルシファーは瞬きひとつで痛みを隠した。腕に抱くリリスが怖がらないよう、彼女が自分の所為だと悔やまないよう。細心の注意を払う。

「落ち着け、ユルルングル。余を覚えているか? ルシファーだ」

 噛まれた右腕から、太い牙が抜ける。滴る赤い血にちろちろと舌が這う。銀に近い瞳が申し訳なさそうに細められた。数回顔を合わせた程度だが覚えていたらしい。ほっとしながら、ユルルングルを撫でてやった。

「酷い傷だ、動くな」

「我が、むすめ……」

 傷ついた喉が言葉を紡ぐと、それだけで蛇の身体から赤黒い血が流れる。喉を突かれたのか。眉をひそめて「触れるぞ」と声掛けした。ぐったり倒れた蛇の喉は上から下へ貫かれていた。硬い鱗に弾かれて切り落とすことができず、上から体重をかけて突いたのだろう。

 酷い傷痕だ。生きているのが不思議なほどの傷に手を乗せ、大量の魔力を流し込む。

「痛むが我慢しろ」

 強制的に内側から修復しなくては保たない。親が死ねば、子蛇も長くは生きられない。幻獣や神獣の類は、番や血の繋がりを最上とする生き物だった。強制的に繋がりを奪われれば、発狂したり自害する者も少なくない。繁殖能力も低いため、彼らは魔族の中でも保護対象とされてきた。

 ばたん、苦しそうにユルルングルの尾が揺れる。激痛を堪えようと震える肌は、皮が剥がれて内側の筋肉や内臓の一部が露出していた。まずは内側を修復し、最後に外を整える。優先順位を決めて魔力を注ぐ。

「痛いの、飛んでけ、飛んでけ」

 隣に座ったリリスが血塗れの蛇に手をかざす。言いつけを守り触れはしないが、ぎりぎりの位置で撫でるように動かした。ふわりとリリスの魔力が声に乗る。動かす手の動きに従って、血塗れの肌に鱗が数枚生えた。そのままリリスはお呪いを唱えながら手をかざす。こちらは問題ないと内臓へ注力した。

 押し返される抵抗に似た感触がふっと途絶える。外側はまだ痛々しいながら、体内の魔力循環は戻ってきた。まだ魔力を操れる段階にない身体で、親蛇は子を探そうと動く。

「まだ動くな」

「我が君、娘が……大切な我が子が」

 訴える蛇の頭を引き寄せ、膝の上に乗せた。ゆっくり撫でる。瞬くことがない蛇の瞳がぽろりと涙を零した。痛々しい姿に手を触れたことで、今度は外側へ癒しの魔力を注ぐ。

「落ち着け。そなたの娘はベルゼビュートが癒した。アスタロトが犯人を捕らえて粛清する。親であるなら子のために生きることを考えよ」

 撫でながら言い聞かせ、蛇の美しかった鱗を思い浮かべる。爬虫類特有の柔らかな皮と虹色に陽光を弾く鱗、銀の瞳が魔王と同じだと嬉しそうに語る穏やかな性質――どこまでも優しく慈悲深いユルルングルの姿を魔法に投影した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

身勝手な理由で婚約者を殺そうとした男は、地獄に落ちました【完結】

小平ニコ
ファンタジー
「おい、アドレーラ。死んだか?」 私の婚約者であるルーパート様は、私を井戸の底へと突き落としてから、そう問いかけてきました。……ルーパート様は、長い間、私を虐待していた事実が明るみになるのを恐れ、私を殺し、すべてを隠ぺいしようとしたのです。 井戸に落ちたショックで、私は正気を失い、実家に戻ることになりました。心も体も元には戻らず、ただ、涙を流し続ける悲しい日々。そんなある日のこと、私の幼馴染であるランディスが、私の体に残っていた『虐待の痕跡』に気がつき、ルーパート様を厳しく問い詰めました。 ルーパート様は知らぬ存ぜぬを貫くだけでしたが、ランディスは虐待があったという確信を持ち、決定的な証拠をつかむため、特殊な方法を使う決意をしたのです。 そして、すべてが白日の下にさらされた時。 ルーパート様は、とてつもなく恐ろしい目にあうことになるのでした……

呪われた子と、家族に捨てられたけど、実は神様に祝福されてます。

光子
ファンタジー
前世、神様の手違いにより、事故で間違って死んでしまった私は、転生した次の世界で、イージーモードで過ごせるように、特別な力を神様に授けられ、生まれ変わった。 ーーー筈が、この世界で、呪われていると差別されている紅い瞳を宿して産まれてきてしまい、まさかの、呪われた子と、家族に虐められるまさかのハードモード人生に…! 8歳で遂に森に捨てられた私ーーキリアは、そこで、同じく、呪われた紅い瞳の魔法使いと出会う。 同じ境遇の紅い瞳の魔法使い達に出会い、優しく暖かな生活を送れるようになったキリアは、紅い瞳の偏見を少しでも良くしたいと思うようになる。 実は神様の祝福である紅の瞳を持って産まれ、更には、神様から特別な力をさずけられたキリアの物語。 恋愛カテゴリーからファンタジーに変更しました。混乱させてしまい、すみません。 自由にゆるーく書いていますので、暖かい目で読んで下さると嬉しいです。

幼馴染み達が寝取られたが,別にどうでもいい。

みっちゃん
ファンタジー
私達は勇者様と結婚するわ! そう言われたのが1年後に再会した幼馴染みと義姉と義妹だった。 「.....そうか,じゃあ婚約破棄は俺から両親達にいってくるよ。」 そう言って俺は彼女達と別れた。 しかし彼女達は知らない自分達が魅了にかかっていることを、主人公がそれに気づいていることも,そして,最初っから主人公は自分達をあまり好いていないことも。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

猫耳幼女の異世界騎士団暮らし

namihoshi
ファンタジー
来年から大学生など田舎高校生みこ。 そんな中電車に跳ねられ死んだみこは目が覚めると森の中。 体は幼女、魔法はよわよわ。 何故か耳も尻尾も生えている。 住むところも食料もなく、街へ行くと捕まるかもしれない。 そんな状況の中みこは騎士団に拾われ、掃除、料理、洗濯…家事をして働くことになった。 何故自分はこの世界にいるのか、何故自分はこんな姿なのか、何もかもわからないミコはどんどん事件に巻き込まれて自分のことを知っていく…。 ストックが無くなりました。(絶望) 目標は失踪しない。 がんばります。

【完結】虐げられた令嬢の復讐劇 〜聖女より格上の妖精の愛し子で竜王様の番は私です~

大福金
ファンタジー
10歳の時、床掃除をしている時に水で足を滑らせ前世の記憶を思い出した。侯爵家令嬢ルチア 8さいの時、急に現れた義母に義姉。 あれやこれやと気がついたら部屋は義姉に取られ屋根裏に。 侯爵家の娘なのに、使用人扱い。 お母様が生きていた時に大事にしてくれた。使用人たちは皆、義母が辞めさせた。 義母が連れてきた使用人達は私を義母と一緒になってこき使い私を馬鹿にする…… このままじゃ先の人生詰んでる。 私には 前世では25歳まで生きてた記憶がある! 義母や義姉!これからは思い通りにさせないんだから! 義母達にスカッとざまぁしたり 冒険の旅に出たり 主人公が妖精の愛し子だったり。 竜王の番だったり。 色々な無自覚チート能力発揮します。 竜王様との溺愛は後半第二章からになります。 ※完結まで執筆済みです。(*´꒳`*)10万字程度。 ※後半イチャイチャ多めです♡ ※R18描写♡が入るシーンはタイトルに★マークをいれています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約破棄され、聖女を騙った罪で国外追放されました。家族も同罪だから家も取り潰すと言われたので、領民と一緒に国から出ていきます。

SHEILA
ファンタジー
ベイリンガル侯爵家唯一の姫として生まれたエレノア・ベイリンガルは、前世の記憶を持つ転生者で、侯爵領はエレノアの転生知識チートで、とんでもないことになっていた。 そんなエレノアには、本人も家族も嫌々ながら、国から強制的に婚約を結ばされた婚約者がいた。 国内で領地を持つすべての貴族が王城に集まる「豊穣の宴」の席で、エレノアは婚約者である第一王子のゲイルに、異世界から転移してきた聖女との真実の愛を見つけたからと、婚約破棄を言い渡される。 ゲイルはエレノアを聖女を騙る詐欺師だと糾弾し、エレノアには国外追放を、ベイリンガル侯爵家にはお家取り潰しを言い渡した。 お読みいただき、ありがとうございます。

処理中です...