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36章 視察旅行は危険がいっぱい

486. 2人ともお茶菓子抜きです

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 ルキフェルの『大発見』は、すぐに幹部会議の対象となった。今回は大公と魔王の5人に加え、召喚者3人も当事者として参加させる。内容次第でリリスの側近達に説明することとなり、彼女達は今日の分の勉強を続けてもらう予定だ。

「部屋を用意させましょう」

 さすがに魔王の私室でこのまま会議を行う気はなく、ルキフェルを追って駆け付けたベールが手配を始めた。ベリアルとアデーレが準備に走り、謁見の間近くの応接室に移動する。

 頭数に数えなくても、リリスは当然魔王の腕の中が定位置だ。泣いて騒いだせいで赤い目元を魔法陣で治癒してもらい、はふん……と可愛い欠伸をひとつした。

 地方に遠征中のベルゼビュートに呼び出しを送り、全員が集まるまでの時間をリリスに費やす。先ほどのご機嫌斜めな癇癪かんしゃくの理由が不明のままだった。黒髪を優しく撫でて注意を引くと、リリスはお人形片手に顔をあげる。

「さっきはどうして機嫌がわるかったんだ?」

 最近は膝の上に向かい合って座り、ぎゅっと両手で抱き着くことが増えたリリスのために、少し裾の長いワンピースにした。パニエでスカートを膨らます一方、間違っても下着が見えないよう注意する。寒さ対策もかねて子供用のタイツを履かせた完全防備で、リリスは小さな足をぶらぶらと揺らす。

「やだったの」

「何が嫌だったか、説明して欲しい。気づかないで、またオレが嫌なことしないように教えてくれるか?」

 首をかしげて答えを待つルシファーへ、リリスは予想外の言葉を返した。

「抱っこ」

「……抱っこ、が嫌な…の、か?」

 毎日抱っこして普通に生活していたから、それが日常のルシファーにとって、衝撃の告白だった。確かに前は3歳頃から保育園に通わせたから、抱っこの時間は減ったが……今は保育園の必要もないので連れ歩いている。片時も離さず抱っこするルシファーを、鬱陶うっとうしいと感じたのか。

 ショック過ぎて言葉が途切れ途切れになる挙動不審な魔王が、口元を押さえて俯いた。どうしよう、人前だけど泣きそう……。そんな会話に気づいたアスタロトが、呆れ顔で溜め息を吐く。

 言葉を端折はしょって結論だけを告げるリリスは幼いから諦めるとして、数万年を生きた魔王が幼女の言葉で一喜一憂しては困る。無粋を承知で口を挟んだ。

「リリス嬢、途中を省かずきちんと説明しなさい。ルシファー様も聞き出す努力を惜しまない」

 仕事ならばきっちりこなすのだが、リリス事案となれば周囲が見えなくなる。悪く表現するなら猪突猛進ちょとつもうしん、最高の表現だと一途いちずだろうか。ここ数十年で、魔王の補佐の重要性が変わったのは事実だった。

「リリス嬢は抱っこされるのは構わないけれど、たまには一緒に手を繋いで歩きたかったのでしょう?」

「うん」

「先日新しい靴も買ったばかりですから、履いて出掛けたかったならそう言えばいいのですよ」

「わかったぁ、ごめんねパパ」

 本当に最後の結論だけを突きつけていた事実に、ルキフェルが苦笑いする。ベールが用意したお菓子を食べながら、手元の資料の並び替えや最終チェックを始めた。研究資料はある程度纏めてあるが、他者に説明する順番も大事だ。

「ルシファー様はリリス嬢の言葉に過剰反応しすぎです。嫌いになれば、リリス嬢ははっきり言いますよ」

「……え、嫌われた?」

「言葉尻を捉えず、最後まで聞いて判断してください。手を繋いでお散歩がしたいそうです」

 気分は保育園の先生である。かつてのドライアド達の苦労を思い出し、アスタロトが砕いた説明をした。青ざめていたルシファーの顔色が、ようやく明るくなる。

「そうか、散歩したいなら一緒に行こう。赤い靴か? 黒い靴、サンダルもいいな」

「しゃんだる!」

「気に入ったなら、別のも買おう。アスタロト、靴屋を呼べ」

 突然回復したルシファーの命令に、側近はぴしゃりと雷を落とした。

「ダメです。今月は使いすぎですから、来月にしてください。それとこれから会議です」

「……けち」

「アシュタのけちぃ」

 ルシファーの真似をしたリリスが唇を尖らせる。可愛いと呟きながら、ルシファーがその尖った唇を指で押し戻した。

「2人ともお茶菓子抜きです」

 漫才のようなやり取りに、アベルはソファの片隅で笑いを堪える。魔力が高い魔族は恐い、すぐに人を殺す。そんな話を植え付けられて怯えたが、彼らもただの人――大きな力を揮うが、自分達と同じように優しさや情けを持っていた。

 きちんと誠実に対応すれば問題ない。気持ちが軽くなって、用意されたお茶に手を伸ばした。

「ねえ、何か吹っ切れたの?」

 書類整理の手を止めず、ルキフェルはぼそっとアベルに声をかけた。一瞬だけ視線を寄こすが、すぐにまた資料を睨みつける。

「先日の会議での無礼と、今回の姫様への失礼をお詫びしました。君にも迷惑をかけてごめんなさい」

 素直に頭を下げると「別にいいよもう」と早口で返される。しかし乱暴だった資料の扱いが少し穏やかになって、彼の指先が丁寧に資料を積み重ねた。

「本当に次はないからね」

「うん、ありがとう」

 素で応じてもルキフェルは態度を変えない。あれだけ怖かった子供に笑顔で礼が言える今を、アベルは心地よく感じていた。この先、大きな問題があっても乗り越えられると――そう思った。
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