上 下
472 / 1,397
35章 勇者や聖女なんて幻想

469. お前ら臭いぞ

しおりを挟む
「だいじょぶ、パパ。我慢できるんだから」

 先に1枚食べさせようとしたルシファーの手を押し戻しながら、リリスが言い放った。しかしその視線が焼き菓子に釘付けなのは事実で、アデーレはわざと後ろを向いてお茶の用意を始める。普段は音をさせないのに、今はカップの音をわざと響かせた。よく気が付く侍女である。

 そこでルシファーは指先に力を込めて、ぱきんと焼き菓子を割った。

「ああ、割れてしまった。これでは皿に戻せないな~。もったいない、リリスが食べてくれないか?」

「……パパ困ってるの?」

「すごく困っている。割れた焼き菓子を皿に戻すなど、お行儀が悪いだろう」

 少しだけ考えて、アデーレの背中を見る。ルシファーの手の中で2つに割れた焼き菓子を見て、最後にイポス達が来るだろう廊下を見た。まだ誰の姿もない。今ならば間に合うぞと焼き菓子を近づけると、ひとつを自分の口に放り込み、残ったひとつをルシファーの口に押し込んだ。

「ほへへ、らいりょーふ(これで大丈夫)」

 証拠隠滅しょうこいんめつ成功だと笑うリリスの可愛さに、ルシファーがぎゅっと強く娘を抱き締める。頬ずりしているところに、転移魔法陣が開いた。終点をルシファーに設定したらしい。側近達の報告かと顔を上げると、なぜか返り血塗れの4人が立っていた。

 漂う鉄錆びた臭いに顔を顰め、思わず本音で呟く。

「お前らくさいぞ」

「やっぱり! ベルゼビュートのせいだからね!!」

 ルキフェルが地団太を踏んで癇癪を起す。かなり我慢していたのだろう。アスタロトは手早く自分の汚れを洗い落として、さっさと彼らから離れた。溜め息をついたベールが自分とルキフェルに浄化魔法陣を展開する。残されたベルゼビュートも、口を尖らせながら自らを浄化した。

 先に浄化してから帰ってくればいいのに……と思ったが口にしない程度の分別はもっている。発言したが最後、巻き込まれて当事者にされてしまう。経験を積んだ分、ルシファーも賢くなったのだ。

「なによ、あたくしの所為じゃないわ!」

 文句を言いながら黒いドレスに一瞬で着替えると、用意されていた椅子に座る。椅子が足りなくなるので、アデーレが新しい椅子とテーブルを並べ始めた。いつの間にやらアスタロトが手伝いに入ったので、すぐに準備が整う。

 全員がルシファーを囲む定位置に座ったのを確認して、仲裁のために声をかけた。

「どうした?」

「まずはご報告を」

 アスタロトが淡々とガブリエラ国の末路を語る。王都に残っていた人族はすべて処分し、建物もすべて粉々に壊したこと。跡地は完全な土の状態に戻したが、あっという間に魔の森に飲み込まれ同化しつつあることを説明した。すでに魔の森の木々が芽吹き始めたというのだから、成長の早さに驚く。

「どこで血塗れになったんだ?」

 今の説明の中に、彼らが血塗れになる原因が見当たらない。返り血なのは間違いないが、何を倒したらあんな大惨事になるのか。尋ねるルシファーへ、唇を尖らせたルキフェルが答えた。

「ベルゼビュートが爆発させたの!」

 短すぎて状況がよくわからない。

「数名の貴族が民に紛して隠れておりました。捕らえた獲物を持ち帰って遊ぶと言い出したルキフェルと、数人の分け前を望んだベルゼビュートが争った結果、獲物の入った空間が破裂しました。その近くにいた我々もとばっちりを受けまして……」

 ベールの説明でようやく状況が見えた。ルキフェルは自分の獲物を横取りされ、ベルゼビュートはお裾分け程度の感覚でちょっかいを出したのだろう。どちらもどちらだが、まあ……両方とも精神年齢が低いからな。自分のことを棚に上げて苦笑いするルシファーが肩を竦めた。

 中に入っていた人間えものが破裂したため、近くにいた4人が血を浴びてしまったのだろう。物騒な報告が終わる少し前、イザヤは妹を連れて戻ってきた。

「お待たせした」

 戻ってきたのはイザヤの方が早かった。同じ1階の部屋なので、庭を突っ切って近道したらしい。イポスが彼女らを見つけたのは3階の勉強部屋なので、支度をして下りてくるまでまだ時間がかかりそうだった。

 抱きかかえてきた妹を、優しい手つきで椅子の上に下したイザヤは頭をさげる。

「いや、早かったぞ」

 好意的な相手には好意的に。つねに鏡のように感情を返してきたルシファーの穏やかな対応に、イザヤは丁重に応じた。

「大事な時間を分けてもらう以上、待たせるのはこちらが悪い」

 言葉遣いは荒いが、考え方はアベルよりしっかりしていた。驚いた様子のアスタロトとベールが顔を見合わせる。その仕草で彼らの認識がわかった。無口なイザヤは何を考えているか分からないと思われていたのだろう。

 イザヤに対する、彼らの評価が一変した瞬間だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

前略、旦那様……幼馴染と幸せにお過ごし下さい【完結】

迷い人
恋愛
私、シア・エムリスは英知の塔で知識を蓄えた、賢者。 ある日、賢者の天敵に襲われたところを、人獣族のランディに救われ一目惚れ。 自らの有能さを盾に婚姻をしたのだけど……夫であるはずのランディは、私よりも幼馴染が大切らしい。 「だから、王様!! この婚姻無効にしてください!!」 「My天使の願いなら仕方ないなぁ~(*´ω`*)」  ※表現には実際と違う場合があります。  そうして、私は婚姻が完全に成立する前に、離婚を成立させたのだったのだけど……。  私を可愛がる国王夫婦は、私を妻に迎えた者に国を譲ると言い出すのだった。  ※AIイラスト、キャラ紹介、裏設定を『作品のオマケ』で掲載しています。  ※私の我儘で、イチャイチャどまりのR18→R15への変更になりました。 ごめんなさい。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

【完】前世で種を疑われて処刑されたので、今世では全力で回避します。

112
恋愛
エリザベスは皇太子殿下の子を身籠った。産まれてくる我が子を待ち望んだ。だがある時、殿下に他の男と密通したと疑われ、弁解も虚しく即日処刑された。二十歳の春の事だった。 目覚めると、時を遡っていた。時を遡った以上、自分はやり直しの機会を与えられたのだと思った。皇太子殿下の妃に選ばれ、結ばれ、子を宿したのが運の尽きだった。  死にたくない。あんな最期になりたくない。  そんな未来に決してならないように、生きようと心に決めた。

【完結】虐げられた令嬢の復讐劇 〜聖女より格上の妖精の愛し子で竜王様の番は私です~

大福金
ファンタジー
10歳の時、床掃除をしている時に水で足を滑らせ前世の記憶を思い出した。侯爵家令嬢ルチア 8さいの時、急に現れた義母に義姉。 あれやこれやと気がついたら部屋は義姉に取られ屋根裏に。 侯爵家の娘なのに、使用人扱い。 お母様が生きていた時に大事にしてくれた。使用人たちは皆、義母が辞めさせた。 義母が連れてきた使用人達は私を義母と一緒になってこき使い私を馬鹿にする…… このままじゃ先の人生詰んでる。 私には 前世では25歳まで生きてた記憶がある! 義母や義姉!これからは思い通りにさせないんだから! 義母達にスカッとざまぁしたり 冒険の旅に出たり 主人公が妖精の愛し子だったり。 竜王の番だったり。 色々な無自覚チート能力発揮します。 竜王様との溺愛は後半第二章からになります。 ※完結まで執筆済みです。(*´꒳`*)10万字程度。 ※後半イチャイチャ多めです♡ ※R18描写♡が入るシーンはタイトルに★マークをいれています。

処理中です...