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26章 禁じられた魔術

356. それぞれに譲れない覚悟

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※流血表現があります。
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 呼吸が細くて、今にも途切れてしまいそうだった。失えないのに、失いそうな現実に感情が黒く染まっていく。リリスがいない世界に価値なんて見いだせない。

「あなたが無理なら、誰が癒せるのですか」

 言い聞かせるアスタロトの掠れた声に、脳裏に浮かんだのは自ら禁止した魔術だった。あの頃のオレは本当に大切な存在がいなかったのだと、今更ながらに気づく。誰を犠牲にしようと、どんなに卑怯な方法だろうと、失えない者のためにすべてを捧げる覚悟を知らなかった。

 もしリリスを助ける手段がこれしかないなら、オレは世界も自らを含めたすべての種族の生命を生贄にするだろう。この魔法陣は完成直前に封印したため、足りない部分が残っている。

 赤い血がついたリリスに頬ずりし、ルシファーは己の指先を噛みちぎった。そこから垂れる血を使って、空中に巨大な魔法陣を複数重ねながら作り上げていく。決して使われぬよう封印した魔法陣の知識をかき集め、足りない部分を再構築した。

 近づこうとしたイポスが、リリスの近くに膝をつく。

「離れて、いろ」

 絞りだした警告だが、この魔術は足りなくなった魔力を周囲から集めていく。無制限に設定した魔力量が足りなければ、世界の果てまで逃げても吸い尽くされるのだから、多少離れたところで意味がない。それでも口にしたのは、最後の理性の欠片だった。

 今ならわかる。誰にでも優しい魔王の偶像は、裏を返せば『唯一がいないからどれでも同じ』を意味していた。誰でも同じ価値だから、誰にでも優しく寛大に振る舞える。

 アスタロトが強引にイポスを引きずって数歩下がった。魔王の血で錬成された魔法陣が大地に刻み込まれる。鏡写しの魔法陣が宙に赤黒く浮かんだ。2つの魔法陣に挟まれた状態で、ルシファーの背が盛り上がり最後の4枚も解放される。

 ぞっとするほどの、本能が恐怖にマヒする強大な魔力が周囲の気温を下げていく。背を引き裂いて強引に呼びだした翼が赤く濡れ、ぽたりと魔法陣に血を加えた。それが発動の合図となり、魔法陣が歯車のようにカチリと音を立てて動き出す。

 代償は惜しまない。

 魔法陣の間に冷たい渦が巻き起こった。手近な魔力源であるルシファーの背の翼が1枚ずつカウントするように消えていく。それでも収まらない魔力の吸収は、それだけ大きな力を動かす魔術であると示していた。

 空に浮かぶ魔法陣を読み解けたのは、以前に一度完成間近のこれを見たからだ。時間を強制的に巻き戻し、世界を再構築する魔術――番を喪ったベールの嘆きを見かねたルシファーが開発し、あまりの魔力消費量の大きさに封印された禁術だった。

「リリス、戻って……お願いだから、ぜんぶ……やるから」

 自覚なく涙を零しながら、腕の中の少女に縋る。魔王の象徴である翼がまた1枚消えた。残る翼は半分になり、それらも薄く透き通るような状況だ。すべて飲み込むのも時間の問題だろう。

「……申し訳ございません」

 許されないと知るから、先に謝る。

 この魔術は世界を滅ぼす鍵だ。魔王を滅ぼし、世界を吸収して、なお足りぬと叫ぶ強欲な魔術を成功させれば、リリスは黄泉返よみがえるかもしれない。しかし誰もいない、何もない世界に生き返ってどうするのか。

 かつて同じ状況になり、断腸の思いで番の復活を諦めたベールが転移した。一緒に転移したルキフェルが絶句する。禍々しい稲妻が上下を繋ぐ魔法陣を解析して、ルキフェルは青ざめた。

 すでに発動している魔法陣は、リリスのために世界を捧げるルシファーの祈りだった。

 アスタロトは静かに目を閉じると、ひとつ深呼吸して右手に剣を召喚する。もし止められるなら、恨まれようと術を停止させる。無理ならば己の命を捧げ、魔術の被害を少しでも食い止める覚悟だった。そもそも魔王ルシファーが滅びたなら、その先の世界に彼は興味などない。

 アスタロトにとって優先すべきは、魔王ルシファーの生存だ。リリスのために彼を喪うことは出来ない。虹色の剣に何を思ったか、ルキフェルが短剣を取り出した。すたすた歩いて結界の縁に立つと、己の手首を無造作に切り裂く。

「ルキフェルっ!」

 番を喪った記憶が過り、ベールが駆け寄って手首をつかむ。止血しようと力を籠め、静かに見上げる水色の瞳に苦笑して膝をついた。

「足りるかも、知れないから」

 自分が血と魔力を捧げれば、2人とも助けられるかも知れない。ルキフェルのまっすぐな言葉に、アスタロトは息を飲んだ。主を選んだアスタロトと、両方とも選びたいルキフェルの違いが胸に突き刺さる。

「ならば、お供しましょう」

 同様に覚悟を決めたベールは、ルキフェルの短剣に己の手首を近づける。躊躇いもなく切り裂いたベールの血が魔法陣の上に落ちた。
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