【書籍化進行中、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)

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02.近づかないで、触れないで

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 数日経っても、何も思い出せなかった。だが父と兄はそれでいいと言う。家族構成に母は含まれず、幼い頃に亡くなったと聞いた。

 彼らを見ても懐かしさは感じない。けれど、嫌悪感もなかった。ただ、じわりと胸が痛くなるだけ。その感情の意味がわからず、私は部屋に閉じこもった。

 外へ出たいとは思わない。怖いと感じるから、扉の向こうに興味はなかった。目覚めた時にいたエプロン姿の女性は、我が家の侍女らしい。母が早くに亡くなり、家を取り仕切ってきた人のようだ。テキパキと掃除や私の世話をこなす。

 私が拒めばそれ以上勧めない父や兄と違い、彼女は散歩や屋敷内を歩くことを勧めた。足腰が弱って歩けなくなる、そう心配そうに眉を寄せる。外見年齢は父と兄の間くらい? 三十後半くらいかも。サーラと名乗った彼女は、姉のように親身だった。

「あの……サーラ、忙しくなければ、その……屋敷を案内してくれる?」

 自室の中を歩けるようになった私は、恐る恐るサーラに頼んだ。部屋を片付ける彼女はぴたりと動きを止め、それから嬉しそうに笑う。厳しい表情が多いけれど、こんなに優しそうな笑顔なのね。

「もちろんです、お嬢様。参りましょう」

 着替えを済ませて深呼吸した。部屋の外には、父のつけた護衛が立っている。騎士の視線を避けるように、頭にヴェールを被った。これはサーラの提案だ。手を引かれてゆっくり、数歩進んでは立ち止まる。焦ったい動きでも、手を繋いだサーラは文句を言わなかった。

 知らない侍女が頭を下げる。視線を避けて俯いた。なぜかしら、すごく怖い。他人の視線が恐怖だった。後ろに離れてついてくる騎士の足音も、涙が出そうなほど怖いの。理由がわからない恐怖に、震えながら必死で前に進んだ。

 長い廊下の先、突き当たりにバルコニーがあった。大きなガラス扉を開いて、手すりに身を預ける。しがみつくような姿勢で、深呼吸した。窓から見て知っていたけれど、ここは二階だ。広がる庭は低く、色鮮やかな絨毯のようだった。

 思ったより風がぬるい。そう感じた自分に疑問を持った。私が知っている風はもっと冷たかったの? ならば季節は冬だったのかしら。今は春を過ぎて初夏に差し掛かっていた。庭の木々が鮮やかさを増し、花々が誇らしげに色を競う。

 感じた違和感を振り払うように、足腰に力を入れた。ここからまた部屋に戻らなくては……そう思うのに、踏み出した足は震えていた。ぷるぷると頼りない膝から力が抜ける。

「お嬢様? 急に動き過ぎたでしょうか」

 心配そうにサーラが支えるも、後ろに尻餅をついた。その上に覆い被さる形で、私は倒れ込む。

「ご、ごめんなさい……すぐ、どくから」

 体を起こそうとするも、力が抜けていく。どうしよう、半泣きの私を見かねたのか。騎士が手を伸ばした。

「失礼いたします。私がお運びしても?」

「ひっ……い、や……こな、で」

 伸ばされた男性の大きな手、剣を扱う稽古でついたタコ、大柄な体の影。すべてが恐怖を増幅させた。近づかないで、触れないで。私をどうするつもりなの?!

 叫びたいのに、喉に声が張り付いた。そんな私を、サーラが慌てて抱きしめる。後ろに下がるよう騎士に頼み、背中をぽんぽんと叩いて落ち着かせてくれた。

「大丈夫です、お嬢様。今度こそ、私がお側におりますから」

 今度こそ――その言葉が気になったけれど、私はここで気を失ったみたい。何も聞けないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
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