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本編
39.そんなつもりじゃなかったの
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筆頭公爵家嫡男との婚約は、まるで夢のようだった。御伽噺に出てくるような、素敵な王子様に見える。フォンテーヌ公爵家の輝く金髪は、正当な血筋の証だ。緑の瞳は鋭く厳しいが、それもまた美貌を際立たせた。
見合いで顔を合わせた時から、マリュス侯爵令嬢アドリーヌは心を躍らせる。家同士の政略結婚、それは貴族の義務だった。理解しているが、相手が理想の男性である幸運に酔いしれる。シルヴェストルが自分を愛してくれたら、どれほど素晴らしいか。
まだ10歳だった彼女が夢見るのは、当然だろう。だがこの時点で、シルヴェストルには理想の女性像があった。隣国から嫁いだ末の王女であるディアナとその娘コンスタンティナ。彼の母と妹だ。
公爵夫人ディアナに敵わないのは仕方ない。諦めるしかない。美しい姿と豊かな才能、穏やかで優しい性格にアドリーヌも魅了された。これほど素晴らしい女性が義母となることに、感謝すら浮かぶ。
だが……コンスタンティナは別だった。私より二つも年下のくせに、礼儀作法も勉学も優秀だ。シルヴェストルと同じ、公爵家の血を証明する金髪を揺らして緑の瞳を埋め込んだ顔立ちは、兄と同様に美しかった。これほど完璧な家族がいたら、私が霞んでしまう。
義母ディアナの訃報が舞い込んだのは、婚約から3年後の春だった。驚きと同時に悲しくて、少しだけ安心した。これでシルヴェストルは私を見てくれるかも。気を引こうと必死に勉強し、礼儀作法を学び、ダンスを覚えた。シルヴェストルは季節や祝いの贈り物を欠かさない。だけれど、私を好きなわけではなかった。好きだから気づいてしまう。
彼の目はいつも妹を追っていた。悔しくて悲しくて、心が悲鳴をあげた。未来の王太子妃として教育を受けるコンスタンティナは、日々洗練されていく。追いつけない現実に打ちのめされ、ある日気づいた。友人同士の根拠のない噂に、コンスタンティナは感情がなくて怖いと嘘を混ぜる。あっという間に広がる噂に焦ったものの、気分が良かった。
最高の淑女と呼ばれる人形姫が、噂ひとつで地位を落とした気がする。彼女の義姉になる私の嘘は、徐々に辛辣さを帯びていった。誰も止めないのは、皆が信じているから。大丈夫、皆も言ってるから叱られたりしない。噂を流せば、回り回って知らない話も飛び込んだ。
――人形姫は婚約破棄されるらしい。
なんて不名誉。王家に捨てられた公爵令嬢なんて、最低だわ。噂に乗りながら、アドリーヌは口元を扇で隠した。弧を描いた唇を覆った扇の下で、本音が覗く。
あの子に勝ったわ。私こそフォンテーヌ公爵家に相応しい。王太子殿下があの子を捨てたら、表面上は優しくしてあげなくちゃ。だって、可哀想な格下なんだもの。未来の公爵夫人として、器を大きく見せるチャンスだ。噂が鎮まったら、修道院へ放り込めばいい。
迎えたあの日、少しだけ……意地悪のつもりでシルヴェストルを引き止めた。婚約破棄に彼が間に合わないよう腕を掴み「怖いです」と縋る。
「うるさい!」
突き飛ばされた私は、兄エミールに助け起こされた。混乱するアドリーヌの目に飛び込んだのは――転がり落ちるコンスタンティナの首。
違うわ、私が望んだのは……こんな、恐ろしい結末じゃない。嫌よ、こんなの違う!
早朝に起きてダンスの練習をしたアドリーヌは、朝食の席でカトラリーを落とした。蘇ったのは、恐ろしい記憶。無作法を咎めるはずの両親や兄も、動揺を隠し切れない。兄エミールが向ける眼差しに、軽蔑の色が浮かんだ。隠しようのない罪と感情に揺さ振られ、アドリーヌは気を失った。
違うの、そんなつもりじゃなかったわ。少し苦しめばいいと思っただけなのに。
見合いで顔を合わせた時から、マリュス侯爵令嬢アドリーヌは心を躍らせる。家同士の政略結婚、それは貴族の義務だった。理解しているが、相手が理想の男性である幸運に酔いしれる。シルヴェストルが自分を愛してくれたら、どれほど素晴らしいか。
まだ10歳だった彼女が夢見るのは、当然だろう。だがこの時点で、シルヴェストルには理想の女性像があった。隣国から嫁いだ末の王女であるディアナとその娘コンスタンティナ。彼の母と妹だ。
公爵夫人ディアナに敵わないのは仕方ない。諦めるしかない。美しい姿と豊かな才能、穏やかで優しい性格にアドリーヌも魅了された。これほど素晴らしい女性が義母となることに、感謝すら浮かぶ。
だが……コンスタンティナは別だった。私より二つも年下のくせに、礼儀作法も勉学も優秀だ。シルヴェストルと同じ、公爵家の血を証明する金髪を揺らして緑の瞳を埋め込んだ顔立ちは、兄と同様に美しかった。これほど完璧な家族がいたら、私が霞んでしまう。
義母ディアナの訃報が舞い込んだのは、婚約から3年後の春だった。驚きと同時に悲しくて、少しだけ安心した。これでシルヴェストルは私を見てくれるかも。気を引こうと必死に勉強し、礼儀作法を学び、ダンスを覚えた。シルヴェストルは季節や祝いの贈り物を欠かさない。だけれど、私を好きなわけではなかった。好きだから気づいてしまう。
彼の目はいつも妹を追っていた。悔しくて悲しくて、心が悲鳴をあげた。未来の王太子妃として教育を受けるコンスタンティナは、日々洗練されていく。追いつけない現実に打ちのめされ、ある日気づいた。友人同士の根拠のない噂に、コンスタンティナは感情がなくて怖いと嘘を混ぜる。あっという間に広がる噂に焦ったものの、気分が良かった。
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――人形姫は婚約破棄されるらしい。
なんて不名誉。王家に捨てられた公爵令嬢なんて、最低だわ。噂に乗りながら、アドリーヌは口元を扇で隠した。弧を描いた唇を覆った扇の下で、本音が覗く。
あの子に勝ったわ。私こそフォンテーヌ公爵家に相応しい。王太子殿下があの子を捨てたら、表面上は優しくしてあげなくちゃ。だって、可哀想な格下なんだもの。未来の公爵夫人として、器を大きく見せるチャンスだ。噂が鎮まったら、修道院へ放り込めばいい。
迎えたあの日、少しだけ……意地悪のつもりでシルヴェストルを引き止めた。婚約破棄に彼が間に合わないよう腕を掴み「怖いです」と縋る。
「うるさい!」
突き飛ばされた私は、兄エミールに助け起こされた。混乱するアドリーヌの目に飛び込んだのは――転がり落ちるコンスタンティナの首。
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違うの、そんなつもりじゃなかったわ。少し苦しめばいいと思っただけなのに。
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