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本編
13.淡い恋心が散った日のこと
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ふぅ……溜め息を吐いて、バルリング帝国の皇太子は振り続けた剣を鞘に納める。汗をかいて、気持ちの整理は出来た。
今朝目覚めた寝室で、カールハインツは震える手で己を抱きしめた。急いで己の姿を鏡で確認し、夢枕に立った女神様の言葉を繰り返す。
――5年間の猶予を与えましょう。あなたが本当に反省し、後悔したならば未来は変えられます。選ばれし鍵は、冤罪に散った愛しく美しいあの子です。この温情に二度目はありませんよ。
しっかり釘を刺された。前回、ジュベール王国で見た光景は、悪夢だった。美しい公爵令嬢が人前で辱められ、その首を落とされた。淑女の髪を切る行為は、バルリング帝国でもジュベール王国でも同じ意味を持つ。ご令嬢、ご夫人へ向けた最大の侮辱だった。
長く美しい髪を保つことは貴族女性の嗜みとされ、腰まで伸ばすのは当然とされる。その髪を切り落とされるのは、罪人のみ。それも重大犯罪を犯した死刑囚への罰だった。
王太子が高々と掲げた断罪理由は、抱き寄せた浮気相手への虐め。事実であったとしても、髪を切る理由にはならない。その上、首まで落とした。野蛮すぎる行いに目眩がして、あの場で動けずに目を見開く。
未来の王妃、王太子妃として育てられた淑女は、涙も落とさず死んだ。駆け寄る父と兄の慟哭を、その悲しみを……国王が踏み躙る。あの謝罪はなんだ? 己の息子を断罪する方が先であろう。呆然とした。
この程度の男が、我が帝国の隣国を治める執政者だというのか? 曖昧にぼかした謝罪、気を失った王妃も含め、あり得ない事態に言葉も出なかった。側近に促され、足早に王宮を後にする。宿泊予定をキャンセルし、カールハインツは急ぎ自国へ駆け戻った。馬車ではない、騎乗での移動も苦にならない。
王国と交流を持ち続けることは、危険だ。我が帝国を滅ぼす獅子身中の虫であろう。城に駆け戻ったその足で、皇帝である父に面会を申し出た。夜通し駆けたカールハインツの体は疲労を訴える。だが今、この興奮をそのまま伝えなくてはならない。使命感に背を押されていた。
父は息子の突然の帰国に何かを察し、無礼な面会を許した。事情を一気に語り終えた皇太子に、ただ一言返す。
「お前は、そのご令嬢を守らなかったのか」
責めるのとも違う。問うているような、諭す響きだった。全身が震える。フォンテーヌ公爵家は、現当主の妹が皇弟に嫁いでいた。皇太子にとっての叔母だ。父の言葉は鋭かった。
バルシュミーデ皇家に連なる親族が害された時、お前は守らずに何をしていた。助けられず、抗議すら後回しに。ただ逃げ帰ったのか。
突きつけられた事実に震える。15歳から18歳になるまで過ごした王国の現状に、混乱してしまった。いずれ帝国を率いる皇太子として、誰より冷静に判断を下せる皇帝にならなければいけない。その自分が幼子のように逃げ帰っただけ。失望されて当然だ。
コンスタンティナ嬢の母君が亡くなられて、すぐの頃だった。王宮から帰る彼女が難儀をしている場面に通りかかり、送って行ったことがある。透き通るように美しい少女に一目惚れし、父に婚約したいと連絡をした。その時点で、すでにジュベール王国のアンドリューと婚約しており諦めた。
あの日の僅かな会話を思い出す。小さな声で礼を言い、ぎこちなく微笑んだ彼女の口元、伏せた睫毛、震えていた指先。守りたいと思ったあの恋心を、諦めと同時に殺した。あの場で奪って逃げればよかったのに。
断罪される彼女の味方となり、彼女を連れ帰れば……すべてが後の祭り。耳に残る公爵の叫びと後悔を思い出し、拳を握るカールハインツは決意を新たに一歩を踏み出した。
私は前回間違えた。女神様に許されたやり直しが出来るなら、今度こそ彼女を守りたい。隣に立つ権利はないけれど、私が持つ能力と権力の全てを使って――必ず守り抜いてみせる。
今朝目覚めた寝室で、カールハインツは震える手で己を抱きしめた。急いで己の姿を鏡で確認し、夢枕に立った女神様の言葉を繰り返す。
――5年間の猶予を与えましょう。あなたが本当に反省し、後悔したならば未来は変えられます。選ばれし鍵は、冤罪に散った愛しく美しいあの子です。この温情に二度目はありませんよ。
しっかり釘を刺された。前回、ジュベール王国で見た光景は、悪夢だった。美しい公爵令嬢が人前で辱められ、その首を落とされた。淑女の髪を切る行為は、バルリング帝国でもジュベール王国でも同じ意味を持つ。ご令嬢、ご夫人へ向けた最大の侮辱だった。
長く美しい髪を保つことは貴族女性の嗜みとされ、腰まで伸ばすのは当然とされる。その髪を切り落とされるのは、罪人のみ。それも重大犯罪を犯した死刑囚への罰だった。
王太子が高々と掲げた断罪理由は、抱き寄せた浮気相手への虐め。事実であったとしても、髪を切る理由にはならない。その上、首まで落とした。野蛮すぎる行いに目眩がして、あの場で動けずに目を見開く。
未来の王妃、王太子妃として育てられた淑女は、涙も落とさず死んだ。駆け寄る父と兄の慟哭を、その悲しみを……国王が踏み躙る。あの謝罪はなんだ? 己の息子を断罪する方が先であろう。呆然とした。
この程度の男が、我が帝国の隣国を治める執政者だというのか? 曖昧にぼかした謝罪、気を失った王妃も含め、あり得ない事態に言葉も出なかった。側近に促され、足早に王宮を後にする。宿泊予定をキャンセルし、カールハインツは急ぎ自国へ駆け戻った。馬車ではない、騎乗での移動も苦にならない。
王国と交流を持ち続けることは、危険だ。我が帝国を滅ぼす獅子身中の虫であろう。城に駆け戻ったその足で、皇帝である父に面会を申し出た。夜通し駆けたカールハインツの体は疲労を訴える。だが今、この興奮をそのまま伝えなくてはならない。使命感に背を押されていた。
父は息子の突然の帰国に何かを察し、無礼な面会を許した。事情を一気に語り終えた皇太子に、ただ一言返す。
「お前は、そのご令嬢を守らなかったのか」
責めるのとも違う。問うているような、諭す響きだった。全身が震える。フォンテーヌ公爵家は、現当主の妹が皇弟に嫁いでいた。皇太子にとっての叔母だ。父の言葉は鋭かった。
バルシュミーデ皇家に連なる親族が害された時、お前は守らずに何をしていた。助けられず、抗議すら後回しに。ただ逃げ帰ったのか。
突きつけられた事実に震える。15歳から18歳になるまで過ごした王国の現状に、混乱してしまった。いずれ帝国を率いる皇太子として、誰より冷静に判断を下せる皇帝にならなければいけない。その自分が幼子のように逃げ帰っただけ。失望されて当然だ。
コンスタンティナ嬢の母君が亡くなられて、すぐの頃だった。王宮から帰る彼女が難儀をしている場面に通りかかり、送って行ったことがある。透き通るように美しい少女に一目惚れし、父に婚約したいと連絡をした。その時点で、すでにジュベール王国のアンドリューと婚約しており諦めた。
あの日の僅かな会話を思い出す。小さな声で礼を言い、ぎこちなく微笑んだ彼女の口元、伏せた睫毛、震えていた指先。守りたいと思ったあの恋心を、諦めと同時に殺した。あの場で奪って逃げればよかったのに。
断罪される彼女の味方となり、彼女を連れ帰れば……すべてが後の祭り。耳に残る公爵の叫びと後悔を思い出し、拳を握るカールハインツは決意を新たに一歩を踏み出した。
私は前回間違えた。女神様に許されたやり直しが出来るなら、今度こそ彼女を守りたい。隣に立つ権利はないけれど、私が持つ能力と権力の全てを使って――必ず守り抜いてみせる。
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