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68.その選択肢はなかった(SIDEセティ)

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*****SIDE セティ



 冷え切った手足を温め、汚れを落とし、安心からウトウトする子供にスープと魚を食べさせた。あまりに眠そうなので、途中で食事を切り上げる。そっとベッドに横たえると、不安そうにこちらを見つめる瞳が揺らいだ。

「大丈夫、オレが守る」

 黒髪に接吻け、頬を手で包み、隣に滑り込んだ。そこで思い出し、以前に購入した犬のぬいぐるみを取り出す。以前は見かけなかったが、ここ十年ほどで人間の間に流行った人形だ。リアルさは追及されず、ただ柔らかくて愛らしい姿の布袋だった。中に綿を詰めたらしく、ふわふわして抱き心地がいいだろう。

「これをやろう、さっきの狼だ」

 正確には犬だ。ずっと収納に入れて忘れていた人形は、灰色だった。見た目が地味なのに高価すぎて売れ残ったのを、かなり前に買い取ったのだ。眷属の狼のようで見捨てられなかった。懐かしいぬいぐるみを、イシスは優しく撫でた。怖がるかと心配する前に、強く抱きしめる。

 コートに使う毛皮を使った高価なぬいぐるみは、ふわふわと抱き心地が良い。耳を撫でたり顔をうずめたりしていたイシスが、笑顔で礼を言った。

「ゆっくり眠れ。オレはひとつだけ仕事を片付けるから」

「うん……」

 まだ不安そうだが、ベッドの端に腰掛けて眠るまで見守る。長めの黒髪を撫でてやり、寝息が深くなるのを待つ。それから温め直した食事を廊下に押しだした。部屋自体を結界で包む。魔物や人間の魔力程度では破れないが、神族が相手ならばいくら用心してもしたりなかった。

「ゲリュオン」

 廊下で召喚の魔法を使うと、大柄なごつい男がぼやく。

「やっと可愛い兎を手懐けたところだったのに」

 むすっとした顔だったが、オレの厳しい表情を見て文句を引っ込めた。傷のある顔を歪めて、心配そうに視線を合わせる。

「ちょっかい、出されたのか?」

「ああ。潰す間、イシスを頼む」

 左側の扉に手を這わせ、頑丈な結界が複数張られた状態を確認したゲリュオンは溜め息を吐いた。言いたいことはわかっている。これだけ保護して不安なのか? だろう。どれだけ手配しても、手の届かない距離は心配だった。

「眠らせたんだよな? じゃあ連れてけばいいじゃねえか」

 呆れた態度を隠そうとしないゲリュオンの言葉に、ぱちりと目を見開く。言われた内容を頭の中で繰り返し、それから「なるほど」と呟いた。それは盲点だった。

 安全な場所に置いていく選択肢しか浮かばなかったが、連れて行けば常に守れる。見せたくない光景は遮断するなり眠らせればいい。なぜ今まで思いつかなかったのか。

「連れて行こう」

「そうしてくれ。で? 俺は加勢していいのか」

 思わぬことを言われ、ゲリュオンの顔をじっくり観察した。この男、何を考えている。まさかイシスを狙っているのか?

「狙ってねえ。親友の嫁に手を出す馬鹿なら、一発殴ってやろうと思ってな」

 拳を見せてにかっと笑う。その表情に嘘はない。笑うと歯が見えるが、前歯が1本欠けているのを、この男はわざと治さなかった。そういやオレが殴って折ったな。

 結界を解いて部屋に戻りながら、ベッドの上で眠るイシスに頬が緩む。

「えれぇ可愛いの抱いてるな」

 ゲリュオンの複雑そうな顔に、意味を尋ねると「あんたがあれを買う姿を想像した」らしい。確かにイシスが抱いていると可愛いが、オレが持っても様にならない。肩を竦めて、ぬいぐるみごとイシスを抱き上げた。
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