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第十九章 滅びゆく風の音
第75話 北国ツガシエ崩壊への序章
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盛装した国王は、予想外の返答に驚いて声が出なかった。自国の貴族ならば、即座に爵位返上を命じる事例だ。北の大国ツガシエの国王に晩餐に招かれ「明日にしてくれ」と使者を追い返すなど、他国の王族であっても考えられない状況だった。
それを行ったのが、サークレラの公爵家当主だという。王族に連なる血筋とはいえ、あくまでも一貴族家でしかない。
厳しい冬を越すため、ツガシエは大量の黒い油を求めていた。以前はリュジアンの産出物だったが、今のリュジアンはサークレラの自治領であり、事実上の属国扱いだ。彼らの機嫌を損ねることで、国益が損なわれる可能性があった。
屈辱であろうと、気に入らない状況だろうと、笑顔で乗り切るしかない。8か国になった大陸の国々の中で、サークレラは最強の立場なのだから。
使者の持ちかえった口上を聞き、国王グリゴリーは頭を抱えた。北の国は領土は大きいが、耕作できる作付面積は小さく酪農にも不向きだ。食料も冬の燃料も、すべて他国に頼る必要があった。鉱石類が多少出たことろで、焼け石に水だった。
隣国リュジアンのように温泉でもあれば、まだ観光で客を呼ぶこともできる。しかし火山はあれど、ツガシエの国土から温泉は湧き出ていない。見渡す限り雪が覆う大地は、まさに不毛の地だった。
「わかった。ご苦労……明日、公爵家を迎えに行け」
使者に立った侯爵家の次男は、言いづらそうに言葉を探す。口を開きかけて躊躇う仕草に、国王が促すとようやく話し始めた。豪華な赤い絨毯に膝をついたまま、俯いて口を開く。
「公爵家の方々は、王族以上の生活をされています。王家の晩餐に呼ばれることに興味や栄誉を感じる様子もありませんでした。公爵閣下が奥方様のために王位継承権を返上したという噂は本当かもしれません。我が国の流儀で無理を通せば、我らもリュジアンの二の舞になるかと……」
「それほどか」
驚きに目を瞠る主君へ、決定的な現実を突きつける。
「入手困難な今の季節に、生の苺や果物を使った菓子を持参しております。その上、奥方様は苺に飽きたと仰せでした。彼らの経済力も魔道具などの装備も、我らの基準では推し量れません」
絶句した国王を他所に、隣で聞いていた宰相が口元を緩めた。
「ならば簡単です。サークレラの公爵家を取り込んでしまえば良いでしょう。マスカウェイル公爵をツガシエで操ることができれば、黒い油も食料も思いのままですよ。陛下」
「なるほど」
侯爵家の次男は驚きに目を見開く。この方々は何を言ったのだろう。彼らの恐ろしさは伝え聞いているはずなのに、この国を滅ぼしかねない愚かな発言の理由がわからない。マスカウェイル公爵家に手出しすれば、リュジアンの惨事がツガシエにも降りかかると理解できないのか。
呆然とする使者へ、宰相は笑顔で畳み掛けた。
「明日はきちんとお連れしなさい。晩餐の準備は整えておきます。わかりましたね?」
丁寧な口調で淡々と言い聞かせる宰相の鋭い眼差しに、ごくりと喉が鳴った。同時に彼は悟る。この国はもう滅びの道を歩き始めたのだ、と。
それを行ったのが、サークレラの公爵家当主だという。王族に連なる血筋とはいえ、あくまでも一貴族家でしかない。
厳しい冬を越すため、ツガシエは大量の黒い油を求めていた。以前はリュジアンの産出物だったが、今のリュジアンはサークレラの自治領であり、事実上の属国扱いだ。彼らの機嫌を損ねることで、国益が損なわれる可能性があった。
屈辱であろうと、気に入らない状況だろうと、笑顔で乗り切るしかない。8か国になった大陸の国々の中で、サークレラは最強の立場なのだから。
使者の持ちかえった口上を聞き、国王グリゴリーは頭を抱えた。北の国は領土は大きいが、耕作できる作付面積は小さく酪農にも不向きだ。食料も冬の燃料も、すべて他国に頼る必要があった。鉱石類が多少出たことろで、焼け石に水だった。
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「わかった。ご苦労……明日、公爵家を迎えに行け」
使者に立った侯爵家の次男は、言いづらそうに言葉を探す。口を開きかけて躊躇う仕草に、国王が促すとようやく話し始めた。豪華な赤い絨毯に膝をついたまま、俯いて口を開く。
「公爵家の方々は、王族以上の生活をされています。王家の晩餐に呼ばれることに興味や栄誉を感じる様子もありませんでした。公爵閣下が奥方様のために王位継承権を返上したという噂は本当かもしれません。我が国の流儀で無理を通せば、我らもリュジアンの二の舞になるかと……」
「それほどか」
驚きに目を瞠る主君へ、決定的な現実を突きつける。
「入手困難な今の季節に、生の苺や果物を使った菓子を持参しております。その上、奥方様は苺に飽きたと仰せでした。彼らの経済力も魔道具などの装備も、我らの基準では推し量れません」
絶句した国王を他所に、隣で聞いていた宰相が口元を緩めた。
「ならば簡単です。サークレラの公爵家を取り込んでしまえば良いでしょう。マスカウェイル公爵をツガシエで操ることができれば、黒い油も食料も思いのままですよ。陛下」
「なるほど」
侯爵家の次男は驚きに目を見開く。この方々は何を言ったのだろう。彼らの恐ろしさは伝え聞いているはずなのに、この国を滅ぼしかねない愚かな発言の理由がわからない。マスカウェイル公爵家に手出しすれば、リュジアンの惨事がツガシエにも降りかかると理解できないのか。
呆然とする使者へ、宰相は笑顔で畳み掛けた。
「明日はきちんとお連れしなさい。晩餐の準備は整えておきます。わかりましたね?」
丁寧な口調で淡々と言い聞かせる宰相の鋭い眼差しに、ごくりと喉が鳴った。同時に彼は悟る。この国はもう滅びの道を歩き始めたのだ、と。
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