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01.何も持たない無力な皇帝陛下
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「陛下をお見かけしなかったか?」
「さきほど、お庭にいらっしゃいましたわよ」
額に二本の角が生えた青年が、険しい表情で問いかける。銀髪の彼は礼を言って、足早に駆けて行った。その姿を見送り、答えたリリンは穏やかに微笑む。
「あらあら、陛下はまたお稽古から逃げたのかしら」
おほほと笑って、彼女は長い黒髪をかき上げた。あまり叱られるようなら助けてあげなくては……と後を追う。庭に降りると、花を両手に抱えた幼女がいた。髪色は銀に近いが虹色と表現するのが正しい。背を向けているが、青や赤に色を変える瞳の美しい御子だった。
魔族が住むゲヘナ国の皇帝陛下、本人である。名をエウリュアレ・アレスター・アルシエル・ゲヘナ――数百年を生きる魔族の中で、見た目通りの年齢の幼女は珍しかった。
「ベリァル、これあげる」
鈴が鳴るような声で、舌ったらずに配下の名を呼ぶ幼女は、手にした花を差し出す。青い色の花は、この地を守護すると伝えられる品種だった。名をアリスターという。その花の名は、皇帝のミドルネームに使われるほど価値があった。
無造作に摘んだ花を、飾りもなく差し出す。受け取ってもらえないなどと考えたこともなかった。愛されて育った子ども特有の傲慢さで、相手の動きを待つ。
膝を突いた青年ベリアルが、顰めっ面を緩めて微笑んだ。握られたアリスターの花を両手で受け取り、大切そうに胸元に飾る。その姿に幼女エウリュアレは微笑んだ。
「似合う」
にこにこと笑う象牙色の肌の幼女に、ベリアルは視線を合わせたまま話し始めた。
「エウリュアレ陛下、お作法の時間でしたよね」
「うん」
悪びれるでもなく頷く。まだ3歳前後のエウリュアレは、陛下と呼ばれたことに頬を膨らませた。
「エリュだもん」
呼び方が気に入らないのなら、とベリアルは辛抱強く話を続けた。後ろでひとつに結ばれた銀髪が風に揺れる。
「エリュ様、お作法を習うことを私と約束したはずです」
「ごめ、しゃい」
ようやく叱られていると理解したエリュは、しゅんと肩を落とした。
「エリュ様、どうしてお作法の部屋を出てしまったんですの?」
助け舟を出したのは、黒髪の美女リリンだった。もじもじと手にした花を弄りながら、小声で話す。
「先生待ってたら、お外で皆が呼んでたの。青いお花、綺麗だから」
摘んで皆に渡そうと思った、と。エウリュアレは俯いた。約束を破ったのは悪いことで、自分がしたこと。皆に迷惑をかけたと気づいたのだろう。
「そうですか、私にも一本いただけますか?」
「うん」
小さな手が握り締めた花は少し萎れ始めていた。それを受け取り、気づかれないよう花に生気を送り込む。元気になった青い花へ、嬉しそうに顔を寄せる幼女は愛らしかった。
「お作法を習うのでしたら、私もご一緒しますから戻りましょう。ベリアル、それでいいわね?」
「私は問題ありません」
エウリュアレは手を伸ばして、握っていた花をベリアルに託した。
「皆にあげて」
「分かりました。エリュ様からのお気持ちに、皆も喜ぶでしょう。さあ、頑張ってください。おやつに甘いクッキーを用意します」
「うん、頑張る」
大好きなおやつの約束にうきうきしながら、リリンと手を繋いで歩く幼女から威厳も魔力も感じられない。ただの人間の子どもにしか見えなかった。それでも……魔族にとって大切な子どもだ。
魔力はほぼゼロ、当然魔法は使えない。運動能力は人間の幼児並で、優れた知能の持ち主でもない。エウリュアレは一般的な魔族の子と比較しても、何も持たない幼女だった。ただ……唯一無二の価値が、彼女の玉座を支えている。無能で幼い皇帝陛下、その存在は間違いなく国の中心だった。
「さきほど、お庭にいらっしゃいましたわよ」
額に二本の角が生えた青年が、険しい表情で問いかける。銀髪の彼は礼を言って、足早に駆けて行った。その姿を見送り、答えたリリンは穏やかに微笑む。
「あらあら、陛下はまたお稽古から逃げたのかしら」
おほほと笑って、彼女は長い黒髪をかき上げた。あまり叱られるようなら助けてあげなくては……と後を追う。庭に降りると、花を両手に抱えた幼女がいた。髪色は銀に近いが虹色と表現するのが正しい。背を向けているが、青や赤に色を変える瞳の美しい御子だった。
魔族が住むゲヘナ国の皇帝陛下、本人である。名をエウリュアレ・アレスター・アルシエル・ゲヘナ――数百年を生きる魔族の中で、見た目通りの年齢の幼女は珍しかった。
「ベリァル、これあげる」
鈴が鳴るような声で、舌ったらずに配下の名を呼ぶ幼女は、手にした花を差し出す。青い色の花は、この地を守護すると伝えられる品種だった。名をアリスターという。その花の名は、皇帝のミドルネームに使われるほど価値があった。
無造作に摘んだ花を、飾りもなく差し出す。受け取ってもらえないなどと考えたこともなかった。愛されて育った子ども特有の傲慢さで、相手の動きを待つ。
膝を突いた青年ベリアルが、顰めっ面を緩めて微笑んだ。握られたアリスターの花を両手で受け取り、大切そうに胸元に飾る。その姿に幼女エウリュアレは微笑んだ。
「似合う」
にこにこと笑う象牙色の肌の幼女に、ベリアルは視線を合わせたまま話し始めた。
「エウリュアレ陛下、お作法の時間でしたよね」
「うん」
悪びれるでもなく頷く。まだ3歳前後のエウリュアレは、陛下と呼ばれたことに頬を膨らませた。
「エリュだもん」
呼び方が気に入らないのなら、とベリアルは辛抱強く話を続けた。後ろでひとつに結ばれた銀髪が風に揺れる。
「エリュ様、お作法を習うことを私と約束したはずです」
「ごめ、しゃい」
ようやく叱られていると理解したエリュは、しゅんと肩を落とした。
「エリュ様、どうしてお作法の部屋を出てしまったんですの?」
助け舟を出したのは、黒髪の美女リリンだった。もじもじと手にした花を弄りながら、小声で話す。
「先生待ってたら、お外で皆が呼んでたの。青いお花、綺麗だから」
摘んで皆に渡そうと思った、と。エウリュアレは俯いた。約束を破ったのは悪いことで、自分がしたこと。皆に迷惑をかけたと気づいたのだろう。
「そうですか、私にも一本いただけますか?」
「うん」
小さな手が握り締めた花は少し萎れ始めていた。それを受け取り、気づかれないよう花に生気を送り込む。元気になった青い花へ、嬉しそうに顔を寄せる幼女は愛らしかった。
「お作法を習うのでしたら、私もご一緒しますから戻りましょう。ベリアル、それでいいわね?」
「私は問題ありません」
エウリュアレは手を伸ばして、握っていた花をベリアルに託した。
「皆にあげて」
「分かりました。エリュ様からのお気持ちに、皆も喜ぶでしょう。さあ、頑張ってください。おやつに甘いクッキーを用意します」
「うん、頑張る」
大好きなおやつの約束にうきうきしながら、リリンと手を繋いで歩く幼女から威厳も魔力も感じられない。ただの人間の子どもにしか見えなかった。それでも……魔族にとって大切な子どもだ。
魔力はほぼゼロ、当然魔法は使えない。運動能力は人間の幼児並で、優れた知能の持ち主でもない。エウリュアレは一般的な魔族の子と比較しても、何も持たない幼女だった。ただ……唯一無二の価値が、彼女の玉座を支えている。無能で幼い皇帝陛下、その存在は間違いなく国の中心だった。
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