10 / 114
本編
10.スマラグドスの母なる大地
しおりを挟む
掴んだ布を引っ張る形で、姫を手元に奪おうとした。だが、その手は布を掴んだまま、持ち主から離れる。悲鳴を上げた騎士の右手は、肘の下で切り落とされていた。布に残った手首が揺れる。
「汚い手で触れないでください」
ぼやいた声は男だった。掛け声もなく身を起こした彼は、口笛を吹く。音で呼ばれた愛馬が駆け寄った。将軍ルードルフの馬と並走する健脚は栗毛、手綱を引き寄せて飛び移る。頭まで被っていた布が後ろへ吹き飛んだ。
「すべて切り捨てます、逃がさないでくださいね。ボス」
「わかっている」
口調は嫌味なほど丁寧で、整った顔の貴族然としたカミルは、ルードルフをボスと呼称した。彼らの主君は皇帝ではなく、一族の総領であるルードルフだ。にやりと笑う二人は、あっという間に追っ手を減らした。隠れて並走した部下も合流し、公爵家が差し向けた追っ手はすべて片付ける。
文字通り、全滅だった。聞き出す必要のある情報も、手加減する理由もない。ただ邪魔な障害物を除去しただけの話だ。
「それじゃ、先行する馬車に合流しましょう」
深夜に屋敷を出た彼らは、足の遅い馬車を連れていた。アンネリースの乳母エラに嘆願され、ルードルフが許可を出したのだ。そのため、夜明け前の脱出予定が早まった。結論から言えば、大正解だろう。
速度が出せず、街道沿いを走るしかない馬車は、足手纏いだった。女も騎乗するスマラグドスの民にとって、面倒を増やす材料だ。それでも、総領の決断に誰も文句を言わない。この結束こそが、一族の強みだった。
そもそも、スマラグドスは家名ではない。放牧を生業とする一族の総称だった。いつしか騎乗の腕を買われ、戦いへ赴くようになる。傭兵稼業を始めてみれば、思いがけぬ大金が手に入った。その金で、放牧に必要な領地を手に入れる。
傭兵で稼いだ金を注ぎ込んだ土地は、山や草原を中心に一つの国を形成するほどの面積があった。農耕を中心に発展する帝国と、上手に住み分けた形だ。農業に向かない土地でも、放牧には十分すぎる草が生える。
一族の中でも屈強な男達が、出稼ぎとして皇帝ウルリヒと契約を交わした。これがジャスパー帝国最強の将軍、誕生の事情である。
膝で馬を操り、大きな剣を振って戦う。二人の足元には、倒された騎士が転がった。街道から外れていることもあり、そのまま放置する。勝手に獣が片付けてくれるだろう。
「合流するぞ」
「はい」
そんなに心配しなくとも、もう領地内に入った頃ですけれどね。口に出さず、器用に表情で呆れたと表明する副官を急かす。ルードルフの愛馬は背に乗る主人の興奮を受け、ぶるりと身震いして駆け出した。
街道を進ませたのは、馬車と護衛達。街道沿いに降りて囮となったのが、スマラグドスの傭兵達。留まって追っ手を処理するのが、隊長と副長だ。分担された役割をそれぞれに果たし、彼らは損傷なく己の領地へ戻った。
「汚い手で触れないでください」
ぼやいた声は男だった。掛け声もなく身を起こした彼は、口笛を吹く。音で呼ばれた愛馬が駆け寄った。将軍ルードルフの馬と並走する健脚は栗毛、手綱を引き寄せて飛び移る。頭まで被っていた布が後ろへ吹き飛んだ。
「すべて切り捨てます、逃がさないでくださいね。ボス」
「わかっている」
口調は嫌味なほど丁寧で、整った顔の貴族然としたカミルは、ルードルフをボスと呼称した。彼らの主君は皇帝ではなく、一族の総領であるルードルフだ。にやりと笑う二人は、あっという間に追っ手を減らした。隠れて並走した部下も合流し、公爵家が差し向けた追っ手はすべて片付ける。
文字通り、全滅だった。聞き出す必要のある情報も、手加減する理由もない。ただ邪魔な障害物を除去しただけの話だ。
「それじゃ、先行する馬車に合流しましょう」
深夜に屋敷を出た彼らは、足の遅い馬車を連れていた。アンネリースの乳母エラに嘆願され、ルードルフが許可を出したのだ。そのため、夜明け前の脱出予定が早まった。結論から言えば、大正解だろう。
速度が出せず、街道沿いを走るしかない馬車は、足手纏いだった。女も騎乗するスマラグドスの民にとって、面倒を増やす材料だ。それでも、総領の決断に誰も文句を言わない。この結束こそが、一族の強みだった。
そもそも、スマラグドスは家名ではない。放牧を生業とする一族の総称だった。いつしか騎乗の腕を買われ、戦いへ赴くようになる。傭兵稼業を始めてみれば、思いがけぬ大金が手に入った。その金で、放牧に必要な領地を手に入れる。
傭兵で稼いだ金を注ぎ込んだ土地は、山や草原を中心に一つの国を形成するほどの面積があった。農耕を中心に発展する帝国と、上手に住み分けた形だ。農業に向かない土地でも、放牧には十分すぎる草が生える。
一族の中でも屈強な男達が、出稼ぎとして皇帝ウルリヒと契約を交わした。これがジャスパー帝国最強の将軍、誕生の事情である。
膝で馬を操り、大きな剣を振って戦う。二人の足元には、倒された騎士が転がった。街道から外れていることもあり、そのまま放置する。勝手に獣が片付けてくれるだろう。
「合流するぞ」
「はい」
そんなに心配しなくとも、もう領地内に入った頃ですけれどね。口に出さず、器用に表情で呆れたと表明する副官を急かす。ルードルフの愛馬は背に乗る主人の興奮を受け、ぶるりと身震いして駆け出した。
街道を進ませたのは、馬車と護衛達。街道沿いに降りて囮となったのが、スマラグドスの傭兵達。留まって追っ手を処理するのが、隊長と副長だ。分担された役割をそれぞれに果たし、彼らは損傷なく己の領地へ戻った。
49
お気に入りに追加
431
あなたにおすすめの小説
【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。
yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~)
パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。
この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。
しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。
もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。
「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。
「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」
そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。
竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。
後半、シリアス風味のハピエン。
3章からルート分岐します。
小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。
表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。
https://waifulabs.com/
あなたに忘れられない人がいても――公爵家のご令息と契約結婚する運びとなりました!――
おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※1/1アメリアとシャーロックの長女ルイーズの恋物語「【R18】犬猿の仲の幼馴染は嘘の婚約者」が完結しましたので、ルイーズ誕生のエピソードを追加しています。
※R18版はムーンライトノベルス様にございます。本作品は、同名作品からR18箇所をR15表現に抑え、加筆修正したものになります。R15に※、ムーンライト様にはR18後日談2話あり。
元は令嬢だったが、現在はお針子として働くアメリア。彼女はある日突然、公爵家の三男シャーロックに求婚される。ナイトの称号を持つ元軍人の彼は、社交界で浮名を流す有名な人物だ。
破産寸前だった父は、彼の申し出を二つ返事で受け入れてしまい、アメリアはシャーロックと婚約することに。
だが、シャーロック本人からは、愛があって求婚したわけではないと言われてしまう。とは言え、なんだかんだで優しくて溺愛してくる彼に、だんだんと心惹かれていくアメリア。
初夜以外では手をつけられずに悩んでいたある時、自分とよく似た女性マーガレットとシャーロックが仲睦まじく映る写真を見つけてしまい――?
「私は彼女の代わりなの――? それとも――」
昔失くした恋人を忘れられない青年と、元気と健康が取り柄の元令嬢が、契約結婚を通して愛を育んでいく物語。
※全13話(1話を2〜4分割して投稿)
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです
モブでも認知ぐらいしてほしいと思ったのがそもそもの間違いでした。
行倉宙華
恋愛
普通の女子大生の私が転生した先は、前世でプレイしていた乙女ゲーム「キングダム・レボリューション」の世界だった。
転生したキャラクターはゲーム中に名前も出てこないモブだけど、全然いい!
だって、私は味方や敵もひっくるめて、キングダム・レボリューション、通称ダムレボの世界が大好きなんだもん!
しかし、このゲームはネットでは悲恋革命と呼ばれるくらい選択肢を少しでも間違えると問答無用で悲恋へと誘われる。
クリアが極めて困難と言われていた。
おまけに、登場人物それぞれの背景であるトラウマの過去エピソードは重いものばかり。
プレイをすればするほど病むって言われてたっけな。
転生したなら私の願いはただ一つ。
登場人物達には普通に恋をして、失恋とかして、普通に幸せになってもらいたい。
トラウマなんて作らせない!
そして、あわよくば顔見知り程度に!
そんな物語の進行とか完全無視で、私は登場人物達の幸せを最優先で動いていたんだけど……
これは自分の行いで物語があらぬ方向に進もうとするのを、今度は自分で必死に軌道修正しようとする話である。
「違う! そうじゃない! そこまで望んでないってば!!」
麗しの王子殿下は今日も私を睨みつける。
スズキアカネ
恋愛
「王子殿下の運命の相手を占いで決めるそうだから、レオーネ、あなたが選ばれるかもしれないわよ」
伯母の一声で連れて行かれた王宮広場にはたくさんの若い女の子たちで溢れかえっていた。
そしてバルコニーに立つのは麗しい王子様。
──あの、王子様……何故睨むんですか?
人違いに決まってるからそんなに怒らないでよぉ!
◇◆◇
無断転載・転用禁止。
Do not repost.
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる