【完結】虚

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)

文字の大きさ
上 下
3 / 135
序章

3.ただの水なのに……

しおりを挟む
 微笑んだ美女の顔を食い入るように見つめ、オレは震える手でコップを握ろうとする。しかし力が入らず、うまく持ち上げられなかった。震える腕と手首で引き寄せ、置いたまま口を付ける。顎や腕を使って傾けたコップの水が喉に流れ込んだ。

「うっ、げほっ……」

 喉は思ったより炎症していたようだ。うまく開かず喉に流れた水に噎せた。コップを支える腕が滑って、半分ほどを零す。もったいない……テーブルに口をつけて啜ろうとしたオレを手で止め、彼女は再びコップに水を満たした。

 たぷんと揺れる表面は、コップの縁まで満たした水の位置を示す。今度は傾けずに口を付けて啜る。行儀が悪いとか、人目は気にならなかった。一口ずつ噛むようにして飲み込む。喉に流れた水は甘く感じられ、じわりと目の奥が熱くなった。

 ただの水だ。それなのに、これほどうまい。ゆっくり飲んでいくと、コップを傾けなくては飲めなくなった。また零す可能性があるので、コップをずらして手元に引き寄せる。手の震えは収まらず、このままでは引っ繰り返す気がした。

「食事もだけど……先に治療かしら」

 淡々とした声で美女は近くの椅子に腰を下ろした。ふと……臭いが気になる。余裕が出来てきたんだろうか。ここにはオレを傷つける者はなく、急に獣のような自分の風体が恥ずかしくなった。ぐぅと腹が鳴る。彼女は笑うでもなく、ぱちんと指を鳴らした。

「スープを運んで」

「はい、承知いたしました」

 聞こえた声は柔らかく、女性のようだ。振り返る前に扉の閉まる音がした。

 ここは食堂なのだろうか。いくつもの間接照明が壁に用意され、中央にシャンデリアが据えられている。窓は大きく、日差しをたっぷりと室内に取り入れる作りだった。綺麗に整えられたテーブルクロスは真っ白で、オレが零した水のシミと汚れや血がべっとりと汚す。

「まずは食べて飲みなさい。その後治療して入浴……そうね。話は最後にしましょう」

 まだ喉が痛くて頷くだけ。水を飲んだだけで、すごく楽になった。ずきずきと痛む手足すら、座っただけで痛みが遠のいた気がする。どれだけ過酷な状況に置かれていたのか。

「お待たせいたしました」

 目の前の美女が頷くと、侍女らしき女性がワゴンを持ち込む。猫耳がついたメイド服の女性は、汚いオレの姿を見ても眉を顰めなかった。だが同情の色もない。穏やかな笑みを浮かべたまま、目の前に料理を置いた。

 美女が指示した通りのスープだ。とろりとしたポタージュのような見た目で、牛乳の甘い香りがする。ごくりと喉が鳴った。スプーンを置かれるも、手に取る余裕がない。両手で皿を傾け、口に流し込んだ。熱くもなく冷たくもない。温かな液体が喉を開き、食道を通過して、胃に溜まるまで。温度で体のどこまで到達したか、分かる気がした。

 皿を戻すと、心得たようにメイドはスープを継ぎ足した。無言でまた飲む。最後に食事をしたのは一週間ほど前だった。その時でさえ、海水に木の根を浮かべたようなスープだ。あれ以来、水も食事も断たれた。オレは死ぬことだけを望まれて……っ!

 顔を上げる。3杯目を注ぐメイドの向こうで、黒髪の毛先をくるりと指で巻く美女に視線を合わせた。

「っ、あ……つら、が」

「話は最後だと言ったのに、せっかちね」

 くすっと笑った彼女は、オレの体に残る傷へ指を触れる。突き刺さったガラスが抜け、傷が盛り上がった。塞がった傷の上は瘡蓋が貼りついた状態に見える。

「まだ体力がないのよ、これ以上の治療は出来ないけど」

 魔法なのか? 痛みが消えたオレは慌てて口を開いた。まだ喉が痛むが、声は出せそうだ。このままでは仲間がオレの代わりに殺される! あいつらのために、オレが死ななきゃいけなかったんだ。

「……あ、仲間が……殺され、げほっ」

 無理に絞り出した声に、喉は耐えられなかった。激痛が走って咳き込む。先ほど飲んだスープを吐いてしまいそうで、慌てて口を押えた。

「仲間? ああ、気にしなくても大丈夫よ。落ち着きなさい。ちゃんと説明してあげるわ」

 何とも言えない表情でそう告げる彼女に、オレは疑問を持たずに頷いた。なぜだろう、疑う気持ちは沸いてこない。あれだけ裏切られて、殺されかけたってのに。まだ誰かを信じるなんてな。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

弟に裏切られ、王女に婚約破棄され、父に追放され、親友に殺されかけたけど、大賢者スキルと幼馴染のお陰で幸せ。

克全
ファンタジー
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。

はずれスキル『本日一粒万倍日』で金も魔法も作物もなんでも一万倍 ~はぐれサラリーマンのスキル頼みな異世界満喫日記~

緋色優希
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて異世界へやってきたサラリーマン麦野一穂(むぎのかずほ)。得たスキルは屑(ランクレス)スキルの『本日一粒万倍日』。あまりの内容に爆笑され、同じように召喚に巻き込まれてきた連中にも馬鹿にされ、一人だけ何一つ持たされず荒城にそのまま置き去りにされた。ある物と言えば、水の樽といくらかの焼き締めパン。どうする事もできずに途方に暮れたが、スキルを唱えたら水樽が一万個に増えてしまった。また城で見つけた、たった一枚の銀貨も、なんと銀貨一万枚になった。どうやら、あれこれと一万倍にしてくれる不思議なスキルらしい。こんな世界で王様の助けもなく、たった一人どうやって生きたらいいのか。だが開き直った彼は『住めば都』とばかりに、スキル頼みでこの異世界での生活を思いっきり楽しむ事に決めたのだった。

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

処理中です...