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38.アウエンミュラーの面影
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結婚式以来のきちんとした装いで、執事ベルントの案内で歩く。屋敷内なので、基本的にエスコートは不要だった。斜め後ろに控えるアンネと他の侍女達が従い、廊下をぞろぞろと移動する。
「この絵……」
「はい。偶然、旦那様が見つけて購入されました」
かつてアウエンミュラー侯爵家の玄関ホールに飾られていた、有名な画家の手による絵画だ。子供の頃から見慣れた絵は、母が亡くなって数日後に消えた。尋ねても父は答えず、二度と見ることはなかった。そう、売られていたのね。
こうして大公家に飾られることで、見知らぬ人達の手を渡り歩くこともない。自分の手元にないのは寂しいけれど、ヴィクトール様ならいつか買い取らせてくれるかも知れないわ。母と一緒に見た絵を見つけたことで、私は気持ちが安らぐのを感じた。
「有名な画家ツェーザルの名作、月光の少女はアウエンミュラーのご令嬢がモデルと伺っております」
「ええ、お母様がモデルになられたの。月光の青と赤毛が紫がかった特徴的な色使いが、とても好きだったわ」
「よろしければ、お嬢様が滞在なさっている客間に飾らせていただきます」
執事の提案に、首を横に振った。
「いいえ、ここで見る方がいいわ」
周囲に風景画が数枚飾られている。ギャラリーのようなこの場所なら、楽しく見られるわ。もう亡くなったお母様の若い頃のお姿は、明るい時間帯に人目のある場所じゃないと……泣いてしまうから。
失礼しましたと一礼し、ベルントは何も聞かなかった。私の眦に光る涙を見ないフリで、踵を返して案内を続ける。アンネや侍女も口を開かなかった。その沈黙と響く靴音が気遣いに思えて、嬉しい。無視されるのではなく、こんな風に気遣われることもあるのね。
食堂の前で足を止め、扉がゆっくりと開いた。中を見回し、まだヴィクトール様がいらしてないことにほっとする。居候の身で、屋敷の主を待たせるわけに行かないもの。
大きなテーブルではなく、小ぶりな円卓に用意されたカトラリーに首を傾げた。立派なテーブルがあるのに、こちらは使わないのね。距離が近いけど、気になさらないのかしら。30歳近くになっても独身と聞いて、女性嫌いなのかと考えた。だから赤面の理由が、女性が近くにいるせいなら納得できる。
立派な花瓶が飾られた大きく長いテーブルの脇を通り、ベルントが引いた椅子に腰掛けた。円卓には二人分のカトラリーが並ぶ。綺麗に磨かれたナイフが5本、少なくともフルコースに準じる晩餐だわ。ナイフの数でおおよその料理の品数が分かる。
シルバーはすべて並べる必要はなくて、スープなどの時に添えて運ばれることもあった。だけどナイフを後から運ぶことはまずないはず。おおよその当たりをつけた頃、ヴィクトール様が到着された。
「レディーをお待たせして申し訳ありません。失礼のお詫びにこちらを」
さっと差し出されたのは、棘を落とした一輪の薔薇だった。純白の美しい大輪の薔薇は、開き切る少し手前。とてもよい香りがした。
「ありがとうございます」
お礼を言って受け取ろうとしたら、侍女のアンネに手渡された。そのまま髪に飾られてしまう。
「とてもお似合いですわ」
「本当に、素敵です」
口々に褒めてくれる侍女が、ヴィクトール様の合図で下がる。アンネも一緒に頭を下げて部屋の隅へ移動した。少し心細いわ。きゅっと手を丸め、指先でナプキンの端を掴む。
「ローザリンデ嬢、ひとつお願いがあるのですが……口にすることをお許しいただけますか?」
何かを乞うような口振りに、ごくりと喉が動いた。何を要求されても頷く覚悟はあるわ。私はアウエンミュラー女侯爵になる身、アルブレヒツベルガー大公閣下の願いならば何なりと。緊張を誤魔化すように自らに言い聞かせ、私は笑顔を作った。
「この絵……」
「はい。偶然、旦那様が見つけて購入されました」
かつてアウエンミュラー侯爵家の玄関ホールに飾られていた、有名な画家の手による絵画だ。子供の頃から見慣れた絵は、母が亡くなって数日後に消えた。尋ねても父は答えず、二度と見ることはなかった。そう、売られていたのね。
こうして大公家に飾られることで、見知らぬ人達の手を渡り歩くこともない。自分の手元にないのは寂しいけれど、ヴィクトール様ならいつか買い取らせてくれるかも知れないわ。母と一緒に見た絵を見つけたことで、私は気持ちが安らぐのを感じた。
「有名な画家ツェーザルの名作、月光の少女はアウエンミュラーのご令嬢がモデルと伺っております」
「ええ、お母様がモデルになられたの。月光の青と赤毛が紫がかった特徴的な色使いが、とても好きだったわ」
「よろしければ、お嬢様が滞在なさっている客間に飾らせていただきます」
執事の提案に、首を横に振った。
「いいえ、ここで見る方がいいわ」
周囲に風景画が数枚飾られている。ギャラリーのようなこの場所なら、楽しく見られるわ。もう亡くなったお母様の若い頃のお姿は、明るい時間帯に人目のある場所じゃないと……泣いてしまうから。
失礼しましたと一礼し、ベルントは何も聞かなかった。私の眦に光る涙を見ないフリで、踵を返して案内を続ける。アンネや侍女も口を開かなかった。その沈黙と響く靴音が気遣いに思えて、嬉しい。無視されるのではなく、こんな風に気遣われることもあるのね。
食堂の前で足を止め、扉がゆっくりと開いた。中を見回し、まだヴィクトール様がいらしてないことにほっとする。居候の身で、屋敷の主を待たせるわけに行かないもの。
大きなテーブルではなく、小ぶりな円卓に用意されたカトラリーに首を傾げた。立派なテーブルがあるのに、こちらは使わないのね。距離が近いけど、気になさらないのかしら。30歳近くになっても独身と聞いて、女性嫌いなのかと考えた。だから赤面の理由が、女性が近くにいるせいなら納得できる。
立派な花瓶が飾られた大きく長いテーブルの脇を通り、ベルントが引いた椅子に腰掛けた。円卓には二人分のカトラリーが並ぶ。綺麗に磨かれたナイフが5本、少なくともフルコースに準じる晩餐だわ。ナイフの数でおおよその料理の品数が分かる。
シルバーはすべて並べる必要はなくて、スープなどの時に添えて運ばれることもあった。だけどナイフを後から運ぶことはまずないはず。おおよその当たりをつけた頃、ヴィクトール様が到着された。
「レディーをお待たせして申し訳ありません。失礼のお詫びにこちらを」
さっと差し出されたのは、棘を落とした一輪の薔薇だった。純白の美しい大輪の薔薇は、開き切る少し手前。とてもよい香りがした。
「ありがとうございます」
お礼を言って受け取ろうとしたら、侍女のアンネに手渡された。そのまま髪に飾られてしまう。
「とてもお似合いですわ」
「本当に、素敵です」
口々に褒めてくれる侍女が、ヴィクトール様の合図で下がる。アンネも一緒に頭を下げて部屋の隅へ移動した。少し心細いわ。きゅっと手を丸め、指先でナプキンの端を掴む。
「ローザリンデ嬢、ひとつお願いがあるのですが……口にすることをお許しいただけますか?」
何かを乞うような口振りに、ごくりと喉が動いた。何を要求されても頷く覚悟はあるわ。私はアウエンミュラー女侯爵になる身、アルブレヒツベルガー大公閣下の願いならば何なりと。緊張を誤魔化すように自らに言い聞かせ、私は笑顔を作った。
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