【完結】愛してないなら触れないで

綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)

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26.利用できる価値が私にあるかしら

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 揺れの少ない馬車は、とても乗り心地が良かった。馬車に乗る経験自体が少ないけれど、今まで乗ったどの馬車より楽だわ。横たえられた身を起こそうとするけれど、アルブレヒツベルガー大公閣下に止められた。

「まだ横になっていてください」

「なぜ……」

 目下の私に丁寧な言葉を使うのでしょう。尋ねようとして、失礼ではないかと迷った。でも聞きたい気持ちが先に立つ。

「私は、大公閣下より地位が低い者です。閣下が私に丁寧な言葉をお使いになる必要はありませんわ。こうして連れ出してくださっただけで、心から感謝しておりますの」

 驚いたように固まった後、大公閣下はぽつりと「ヴィクトール」と呟いた。どなたかのお名前のようですが? 首を傾げて続きを待てば、我に返ったように彼は再度繰り返しました。

「ヴィクトールです。大公と呼ばれるのは面映いので、名前で呼んでください」

「っ、はい」

 アルブレヒツベルガー大公閣下は独身だったかしら? もし結婚しておられたら、奥様に失礼になるわ。でも初対面に近い異性に「結婚していますか」と尋ねる勇気はなかった。

 彼は私を「アウエンミュラー侯爵令嬢」として扱ってくれる。もちろん、あの時のレオナルドをやり込めた会話から、私が彼と結婚式を挙げたことは承知の上で。レオナルドとは離婚する前提で、未婚の令嬢と呼んだのよね。

 揺れる馬車の中で、緊張に喉が乾く。ごくりと動かした喉が、大きな音を立てるんじゃないかと怖かった。

 あの屋敷から連れ出して欲しかった。アンネと一緒に助かりたかったけれど。この方の手を取ったこと、間違ってたらどうしましょう。もしかしたら何か目的があって、私を利用するのかしら。でも利用される価値がないわ。

 リヒテンシュタイン公爵夫人でも、夫への人質には適さない。あの人は私を切り捨てるでしょうから。私を連れ出すために、かなり強引な手を使っていたわ。そこまでして助ける価値や意味が分からない。助かったばかりなのに、緊張と恐怖が私を支配した。

「呼んでくれないのですか」

 眉尻を下げると、叱られた仔犬みたいね。憎めない人だわ。名前を呼んで欲しいと、私に頼むんだもの。奥様がいらしたら、丁寧にお詫びしましょう。覚悟を決めてひとつ深呼吸する。先ほどまで私を縛りつけた恐怖が、解けるように薄れていく。

「ヴィクトール様」

 初めて呼ぶ名を丁寧に発音する。利用されるとしたら、それは私に価値があるからよ。誇りこそすれ、恐れることじゃないわ。不利な条件なら、交渉すればいい。少なくとも、ヴィクトール様はレオナルドよりマシだわ。

 嬉しそうに緩む顔に嘘は見られなくて、自分に利用できる価値があることを祈ってしまう。すぐに信じることは出来ないけど、疑ってかかるのはやめよう。初対面なのに失礼よね。微笑んだ私にアンネは何も言わなかった。
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