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19.些細な行動が広げた波紋
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互いの持つ記憶を書き記した紙は、書棚の一番分厚い辞書の間に挟んだ。ここなら滅多に開かれることはない。数日後には、鍵付きの日記帳が届くはずだった。そこに中身を書き写すまで、安全のために手元に置くことは控える。
ノックの音が響いて、食事が運ばれた。アンネもこの部屋に監禁状態なので、一緒に食べる。料理を全て机に並べた侍女達が、ちらりとアンネに視線を送った。
「ごめんなさい、まだ動けないの。旦那様の指示が出たら……」
「旦那様から、奥様の看病が仕事だからしっかり勤めるようにと伝言がありました。頑張ってね、アンネ」
「ありがとう」
アンネと会話した侍女は、私にも笑顔を向けて頭を下げた。それから出ていく。その様子に、前世では考えられない状況に目を見開いた。
「どうして私に好意的なのかしら」
「奥様が私達に、優しく接してくださったからです」
それだけ? びっくりして声が出ない。前世と態度がそんなに違うかしら。考えてみても、自分では分からなかった。
「過去の奥様もお優しい方です。私が花瓶を割ったときに助けてくださいましたよね。でも普段はお部屋から出て来ませんでした。だから皆は、奥様の優しさを知らないんです」
「結婚式からそんなに時間が経ってないし、私、アンネ以外の侍女と話した覚えがないわ」
優しいと言われるほど、彼女達に接していない。前世を知るアンネなら分かるけど、彼女達に記憶はないみたいだし。
「結婚式の翌朝、奥様が倒れられてからもう半月経ちました。その間、毎日シーツや寝着は交換され、食事が運ばれています。掃除に侍女が入ることもありましたわ」
それは覚えている。とても丁寧に仕事をしてくれて、感謝しているもの。前世の放置された離れの記憶があるから、余計に嬉しかったわ。埃がない床、清潔なシーツや衣類はもちろん、換気もきちんとしてくれて。食事だって二階まで運んで片付けるのは大変だった。
彼女達の苦労は理解しているつもり。私の体を拭くのは、前世も今もアンネだけれど、重いお湯を運ぶ彼女達にお礼を言ったのは何度も……もしかして?
「お礼を言ったから?」
「ええ。侍女が奥様のために動くのは、当たり前です。仕事ですから……どこの奥様が侍女にお礼を口になさるでしょうか。アカギレの手に塗ったらいい、と薬を分けてくださる方などおられません」
「あれはっ、だって、痛そうだったから」
思わず、私の手持ちの薬用オイルを渡したの。手に塗る植物オイルよ。消毒効果のあるハーブが浸けてあるから、傷に効くと思ったわ。そんな素人考えで渡した瓶が、あの子達の心を掴んだの?
尋ねる私に、アンネはくすくすと笑って頷いた。食事が冷めるからと促され、ベッドサイドに腰掛ける。引き寄せたテーブルの上に並んだ食事を、仲良く半分に分けながら口に入れた。
これはアンネに言わせると毒見なのだそう。でも私は違う。アンネに用意される食事と私用の料理は全く違った。彼女が質素な食事をする場で、私が高価な食材を食べるのは嫌なの。一緒に同じ物を食べたいし、質素な侍女の食事だって前世の私にはご馳走だったわ。
「料理を褒める言葉を貰えたと、料理人も喜んでいます。先日は届けられた花を愛でて褒めていましたでしょう? 侍女がその言葉を伝えたらしく、庭師も奥様のために庭の手入れに力を入れているとか」
「わかったわ、恥ずかしいからもうやめて」
真っ赤になった私は、話を遮った。前世が酷かったから、些細なことでも嬉しくて言葉にして、お礼を告げた。それがこんな状況になるなんて――嬉しくて恥ずかしい。ぐいっと葡萄ジュースを飲み干して、ベッドに潜り込んだ。食べてすぐ横になるなんて行儀が悪いけれど、今日だけは許して。
ノックの音が響いて、食事が運ばれた。アンネもこの部屋に監禁状態なので、一緒に食べる。料理を全て机に並べた侍女達が、ちらりとアンネに視線を送った。
「ごめんなさい、まだ動けないの。旦那様の指示が出たら……」
「旦那様から、奥様の看病が仕事だからしっかり勤めるようにと伝言がありました。頑張ってね、アンネ」
「ありがとう」
アンネと会話した侍女は、私にも笑顔を向けて頭を下げた。それから出ていく。その様子に、前世では考えられない状況に目を見開いた。
「どうして私に好意的なのかしら」
「奥様が私達に、優しく接してくださったからです」
それだけ? びっくりして声が出ない。前世と態度がそんなに違うかしら。考えてみても、自分では分からなかった。
「過去の奥様もお優しい方です。私が花瓶を割ったときに助けてくださいましたよね。でも普段はお部屋から出て来ませんでした。だから皆は、奥様の優しさを知らないんです」
「結婚式からそんなに時間が経ってないし、私、アンネ以外の侍女と話した覚えがないわ」
優しいと言われるほど、彼女達に接していない。前世を知るアンネなら分かるけど、彼女達に記憶はないみたいだし。
「結婚式の翌朝、奥様が倒れられてからもう半月経ちました。その間、毎日シーツや寝着は交換され、食事が運ばれています。掃除に侍女が入ることもありましたわ」
それは覚えている。とても丁寧に仕事をしてくれて、感謝しているもの。前世の放置された離れの記憶があるから、余計に嬉しかったわ。埃がない床、清潔なシーツや衣類はもちろん、換気もきちんとしてくれて。食事だって二階まで運んで片付けるのは大変だった。
彼女達の苦労は理解しているつもり。私の体を拭くのは、前世も今もアンネだけれど、重いお湯を運ぶ彼女達にお礼を言ったのは何度も……もしかして?
「お礼を言ったから?」
「ええ。侍女が奥様のために動くのは、当たり前です。仕事ですから……どこの奥様が侍女にお礼を口になさるでしょうか。アカギレの手に塗ったらいい、と薬を分けてくださる方などおられません」
「あれはっ、だって、痛そうだったから」
思わず、私の手持ちの薬用オイルを渡したの。手に塗る植物オイルよ。消毒効果のあるハーブが浸けてあるから、傷に効くと思ったわ。そんな素人考えで渡した瓶が、あの子達の心を掴んだの?
尋ねる私に、アンネはくすくすと笑って頷いた。食事が冷めるからと促され、ベッドサイドに腰掛ける。引き寄せたテーブルの上に並んだ食事を、仲良く半分に分けながら口に入れた。
これはアンネに言わせると毒見なのだそう。でも私は違う。アンネに用意される食事と私用の料理は全く違った。彼女が質素な食事をする場で、私が高価な食材を食べるのは嫌なの。一緒に同じ物を食べたいし、質素な侍女の食事だって前世の私にはご馳走だったわ。
「料理を褒める言葉を貰えたと、料理人も喜んでいます。先日は届けられた花を愛でて褒めていましたでしょう? 侍女がその言葉を伝えたらしく、庭師も奥様のために庭の手入れに力を入れているとか」
「わかったわ、恥ずかしいからもうやめて」
真っ赤になった私は、話を遮った。前世が酷かったから、些細なことでも嬉しくて言葉にして、お礼を告げた。それがこんな状況になるなんて――嬉しくて恥ずかしい。ぐいっと葡萄ジュースを飲み干して、ベッドに潜り込んだ。食べてすぐ横になるなんて行儀が悪いけれど、今日だけは許して。
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