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54.敵は最初から天にあった

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 神は最初に「光」を作られた。後の解釈にもよるが、「光あれ」と命じた「音」が最初の創造物だという考え方もある。どちらにしろ、光が生まれるまでの世界は闇だったのだ。

 深い闇の中は音も光もなく、ただ静かだった。作られた光がなければ、世の中に闇や影の概念は存在しなかった筈だ。

 神は己の姿に似せて人を作った際、同じく人型の悪魔という影を作り出してしまった。野に獣を放てば、同じように魔物が放たれる。常に対となる存在を生み出しながら、人は完全な「光」には属さない。ならば、悪魔も完全な「悪」となれないのが道理だった。

「……アモル」

 何度も呼んだ名を口にする。

 長い細い息の後に響いた言霊に、アモルの瞳が見開かれ……膜を張るように潤んで涙を零した。

 ああ……あの日と同じだ。脳裏を占めるのは、かつての己の言動と決意――最愛の存在を泣かせてまで選んだ未来が間違っていたとは思いたくない。ただ……オレの選んだ結果に納得できないアモルを、哀しませてしまった。

 『人形ひとがた』を柱として世界を支える。人と悪魔から選ばれた存在が、それぞれに己を犠牲にすることで世界は均衡を保てる。残酷で歪んだ手段が、最終的に人と悪魔の対立を生んでしまった。

 聖人と崇める人を失った人間は悪魔を憎み、魔王を奪われた悪魔は人を恨んだ。光で満たしたい人は悪魔を祓おうとするが、悪魔は闇を広げようと人を堕として殺す。負の連鎖を止める存在が喪われたことで、人と悪魔は戦い続けてきた。

 ――神の望むままに。

「ごめんな」

「謝らなくていい」

 言い切ったアモルの頬を伝った涙をキスで清めた。

 思い出した記憶が駆け抜ける。アモルを泣かせる決断をした瞬間、人柱となる決意をした痛みも……。悪魔だけでなく人も救えると信じた手段が逆の効果を生んでいると知った日、アモルは呪われた封印を解こうと試みた。転生させることで輪廻を崩そうと、この命を狩り取ったことも一度ではない。

 だが呪いは消えず、再び人柱として甦ってしまった……。

「……もう離れない」

 抱きついたアモルの手がぎゅっと力を込めて首に回され、抱き止めたオレの腕は愛する存在の背を引き寄せる。首筋で涙を流すアモルが小声で呟いた言葉に、ただ頷いた。

「やっと戻ったか」

 呆れ半分の声に顔を上げれば、少し先でキメリエスが腕を組んでため息を吐いた。その斜め後ろに控えるラウムは角を髪の間から覗かせている。かつて悪魔であった頃の姿を取り戻した友人へ、オレは「面倒かけた」と小声で告げた。

「いや」

 ラウムの声で、ようやくアモルが腕の中から滑りおちた。しっかりオレの右腕を掴んだまま、蒼い瞳を瞬かせる。

「ハデス」

 姿を消した相棒の名を呼べば、左手の中に慣れた重さが現れる。銀の大きな刃は木漏れ日を弾き、どこまでも美しかった。常に魔王の傍らにある武器は、その力を誇るように僅かに震える。

 じっと見上げるアモルの頬をするりと撫で、オレは表情を和らげた。

「まだすべてを思い出したわけじゃないけど……」

 記憶を封じる際、絶対に解けてはいけないと思った。だから、あり得ない条件を設定したのだ。

「アモルを殺そうとすると記憶が戻る、など……物騒な条件だ」

 キメリエスもアモルも知らなかった記憶解除の条件を知っていたのは、ハデスとラウムだけ。だからラウムは、転生したオレの隣にいた。

 間違えて最愛の存在を傷つけないよう……そして暴走するアモルとキメリエスに、オレが引きずられないように。その心遣いに「ありがとな」とオレは小さく礼を口にした。

 静かに頷いたラウムが、数歩前にいるキメリエスの後ろに立つ。普段なら背後に誰かが近づくことを嫌うキメリエスは、慣れた様子で見上げて笑った。仲の良い友人達、右手に最愛の人、左手に頼もしい相棒――戻っていく記憶が、すべてを滑らかに融合していく。

「……結局、オレがしたことは無駄か?」

 人柱として自我と記憶を捨て、生まれ変わっても苦しんで死ぬ。繰り返された数回の転生を思い浮かべ、大きくため息を吐き出した。そんな恋人の呟きに、アモルが返した言葉は辛らつだ。

「だからやめろと言っただろう」

「仰るとおりで……」

 苦笑いするしかないオレだが、小さく身を震わせたハデスに視線を落とし頷いた。

「そうだな、敵は最初から『神』だったんだから」
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