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本編

第75話 死を希うほどに

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「しばらく離れられん。殺さなければいい」

 主君の許可を得て、メフィストはゆっくり頭を下げた。言葉は不要だ。承知した旨を伝える一礼を確認し、魔王は踵を返した。

 魔王城の地下牢に蓄えた獲物を、どのようにいたぶるか。人間から魔族まで取り揃えた反逆者のリストを脳裏に並べ、メフィストが口を開いた。

「聞きましたね? 陛下の許可が出ました。楽しませていただきましょう」

 声にならない喜悦の感情が満ちた場から、次々とゴエティアの悪魔達が移動する。全員を見送った宰相は、山羊の角を見せつけるように第二形態のまま転移した。地下牢のひんやりした空気を吸い込み、染み込んだ血の臭いに口元を緩める。

 引き裂かれる獲物の悲鳴と苦痛の声が、石造りの地下に反響した。殺さないよう注意する必要はない。地下牢に満ちた魔力は、復活を司るフェニックスの物だ。地下牢に刻まれた魔法陣に魔力を流した女将軍の意図するまま、死ぬことができない繰り返しを虜囚は味わう。

 いっそ殺して欲しいと強請るまで。手足を千切られようが、頭を切り落とされようが、死ねない空間は地獄だろう。嗜虐心を満足させることができる追求者にとって、これ以上ない極上の天国だった。殺さずの命令さえ守れば、どれだけ傷つけても構わない。

 コツコツと靴音を響かせ、メフィストは一番奥の牢へ足を向ける。真っ暗な空間に閉じ込めたのは、ボロボロに砕いた炭に似た獲物だ。廊下に椅子を置いて、じっくりと眺めた。途中で書類を片手に処理を始める。城を空けた数日で溜まった書類を確認し、報告書や情報を吟味した。

 死の寸前まで追い込まれた獲物は徐々に再生し、手足が形作られる。やがて青年の形を取り戻すまで、半日ほどかかった。その間、メフィストは地下牢の前を離れない。敬愛する最上の主君によく似た面差しの青年が、深く長い息を吐いた。

「アベル、愚かですね」

 メフィストの声に、のろのろと上げた顔はイヴリースに似ていた。整った顔立ちも黒髪黒瞳の色も、血の繋がりを感じる。

 アベルと呼ばれた青年は檻に近づく。するりと手を差し出そうとし、手前で動きを止めた。驚いた顔で振り向く彼の手足に、黒い鎖が絡み付いていた。首や胴にも、檻に近づくと現れる。

「逃すとお思いか? そもそも私は貴方を殺すように進言した男ですよ。殺す許可はいただけませんでしたが」

 残念ですが、甚ぶるだけでも十分と笑うメフィストの顔は、残忍な獣の瞳孔が光る。牢内の僅かな光を反射する暗赤の瞳が細められ、メフィストは右手のペンを空中へしまった。左手の書類を同様に消し去ると、その手に鋭い爪を生み出す。部分的な獣化は高等技術だが、魔王の側近はそつなく使いこなした。

「……さあ、遊びましょうか」

 貴方が死をこいねがうほどに――残酷で醜悪で、どこまでも歪んだ悪魔の微笑みが、魔王の片腕と呼ばれる側近の顔を彩った。
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