74 / 238
本編
第71話 魔王の逆鱗を剥がす愚行
しおりを挟む
アゼリアのいる屋敷の裏へ飛んだ。人間の目を避けて降り立った庭は、見るも無残な状態だった。
「……何が?」
結界は破られていない。屋敷の周囲に張り巡らした結界は今も機能しており、この場を荒らす者を通過させた形跡はなかった。
足早に歩きながら、最愛の名を呼ぶ。
「アゼリア! アゼリア、返事をしてくれ」
美しかった芝の庭は穴だらけ、木陰を作る大木は折れて息絶え、花びらは散って無残に踏みにじられていた。庭と呼ぶより、戦場の跡地のようだ。
「くっ……魔王、か?」
剣を杖代わりに立ち上がったアウグストが、ふらりと膝から崩れる。隣に倒れているのは、妻のカサンドラだ。義理の父母となる彼らに何があったのか。カサンドラに預けたアゼリアはどうなった?
「っ! アウグスト殿、何が」
「魔族だ、襲って……はや、く、アゼリアっ」
拐われたと声にならない叫びを口の動きで読んだ瞬間、世界が音を無くす。色が消え、何もかもが遠くなった。その絶望は一瞬で心を貫き、直後に黒い感情が浮かぶ。
「失礼する」
番であるアゼリアを追うため、追跡用の魔法陣を地面に描く。先ほどまで領地全体を覆う結界を展開したため、魔力が足りない。第二形態では補えない魔力を絞り出すイヴリースの輪郭が揺らぎ、漆黒の獣が現れた。第三形態だが、それでも追跡に届かない。
「メフィスト、手を貸せ」
命じた途端、第三形態のメフィストは空間を歪めた。主君イヴリースの元へ転移し、彼の姿に驚く。足りない魔力を補うため、再び輪郭がぼやけ始めた。
周囲の空気が巻き込まれて、重く暗く染まっていく。結界内の人間を守る盾となる位置に立ち、灰色の狼は己の尻尾を咥え、1本を引き千切った。激痛に呻くが、血と尻尾を魔法陣に捧げる。
「後を任せる。蹂躙させるな」
「我が命に変えましても」
安心して行ってらっしゃいませ。そう告げたメフィストが、揺らいで第二形態に戻る。魔力量の証明である尻尾を千切ったメフィストは、もう第三形態を維持できなかった。山羊の角がついた頭を下げた側近に見送られ、イヴリースの影は魔法陣に吸い込まれる。
「今のは……」
傷だらけで戦ったアウグストに歩み寄る。メフィストは怠い身体を叱咤しながら、後始末の手配を始めた。立ち上がれないアウグストと、倒れたままのカサンドラに手をかざした。治癒はさほど得意ではないが、応急処置くらいになるだろう。
全魔力の2割を失った手足は泥のように重い。それでも主君に頼られ、役に立てた充実感がそれを凌駕した。
「陛下の第五形態です。歴代魔王の中で、第四形態以上を持つのは初代を含めて2人目……アゼリア姫は無事にお帰りになるでしょう」
あれほどの実力者の逆鱗を剥いだのだ。犯人が許されるはずはない。誰より残酷で強い魔王を本気で怒らせた愚か者を、魔王の側近は嘲笑した。
複数のゴエティアを召喚し、この地の警護と負傷者の救助を申し付ける。第二形態までの解放とし、人間を脅かさないよう配慮した。
「ベルンハルト殿は?」
「……あちらだ」
動ける程度に回復したアウグストが示したのは、領民を保護した屋敷の方角だった。カサンドラが身を起こし、震える声で娘の名を呼ぶ。
「アゼリア、あなた……あの子は」
「ご心配なく。魔王陛下が向かわれました」
メフィストの言葉に安堵したのか、カサンドラは再び夫の腕に倒れ込む。傷だらけの夫婦の姿に、連れ去られる娘を守ろうとした親の誇りが窺え……気怠げなメフィストは頬を緩めた。
「……何が?」
結界は破られていない。屋敷の周囲に張り巡らした結界は今も機能しており、この場を荒らす者を通過させた形跡はなかった。
足早に歩きながら、最愛の名を呼ぶ。
「アゼリア! アゼリア、返事をしてくれ」
美しかった芝の庭は穴だらけ、木陰を作る大木は折れて息絶え、花びらは散って無残に踏みにじられていた。庭と呼ぶより、戦場の跡地のようだ。
「くっ……魔王、か?」
剣を杖代わりに立ち上がったアウグストが、ふらりと膝から崩れる。隣に倒れているのは、妻のカサンドラだ。義理の父母となる彼らに何があったのか。カサンドラに預けたアゼリアはどうなった?
「っ! アウグスト殿、何が」
「魔族だ、襲って……はや、く、アゼリアっ」
拐われたと声にならない叫びを口の動きで読んだ瞬間、世界が音を無くす。色が消え、何もかもが遠くなった。その絶望は一瞬で心を貫き、直後に黒い感情が浮かぶ。
「失礼する」
番であるアゼリアを追うため、追跡用の魔法陣を地面に描く。先ほどまで領地全体を覆う結界を展開したため、魔力が足りない。第二形態では補えない魔力を絞り出すイヴリースの輪郭が揺らぎ、漆黒の獣が現れた。第三形態だが、それでも追跡に届かない。
「メフィスト、手を貸せ」
命じた途端、第三形態のメフィストは空間を歪めた。主君イヴリースの元へ転移し、彼の姿に驚く。足りない魔力を補うため、再び輪郭がぼやけ始めた。
周囲の空気が巻き込まれて、重く暗く染まっていく。結界内の人間を守る盾となる位置に立ち、灰色の狼は己の尻尾を咥え、1本を引き千切った。激痛に呻くが、血と尻尾を魔法陣に捧げる。
「後を任せる。蹂躙させるな」
「我が命に変えましても」
安心して行ってらっしゃいませ。そう告げたメフィストが、揺らいで第二形態に戻る。魔力量の証明である尻尾を千切ったメフィストは、もう第三形態を維持できなかった。山羊の角がついた頭を下げた側近に見送られ、イヴリースの影は魔法陣に吸い込まれる。
「今のは……」
傷だらけで戦ったアウグストに歩み寄る。メフィストは怠い身体を叱咤しながら、後始末の手配を始めた。立ち上がれないアウグストと、倒れたままのカサンドラに手をかざした。治癒はさほど得意ではないが、応急処置くらいになるだろう。
全魔力の2割を失った手足は泥のように重い。それでも主君に頼られ、役に立てた充実感がそれを凌駕した。
「陛下の第五形態です。歴代魔王の中で、第四形態以上を持つのは初代を含めて2人目……アゼリア姫は無事にお帰りになるでしょう」
あれほどの実力者の逆鱗を剥いだのだ。犯人が許されるはずはない。誰より残酷で強い魔王を本気で怒らせた愚か者を、魔王の側近は嘲笑した。
複数のゴエティアを召喚し、この地の警護と負傷者の救助を申し付ける。第二形態までの解放とし、人間を脅かさないよう配慮した。
「ベルンハルト殿は?」
「……あちらだ」
動ける程度に回復したアウグストが示したのは、領民を保護した屋敷の方角だった。カサンドラが身を起こし、震える声で娘の名を呼ぶ。
「アゼリア、あなた……あの子は」
「ご心配なく。魔王陛下が向かわれました」
メフィストの言葉に安堵したのか、カサンドラは再び夫の腕に倒れ込む。傷だらけの夫婦の姿に、連れ去られる娘を守ろうとした親の誇りが窺え……気怠げなメフィストは頬を緩めた。
0
お気に入りに追加
3,696
あなたにおすすめの小説
その聖女、娼婦につき ~何もかもが遅すぎた~
ノ木瀬 優
恋愛
卒業パーティーにて、ライル王太子は、レイチェルに婚約破棄を突き付ける。それを受けたレイチェルは……。
「――あー、はい。もう、そういうのいいです。もうどうしようもないので」
あっけらかんとそう言い放った。実は、この国の聖女システムには、ある秘密が隠されていたのだ。
思い付きで書いてみました。全2話、本日中に完結予定です。
設定ガバガバなところもありますが、気楽に楽しんで頂けたら幸いです。
R15は保険ですので、安心してお楽しみ下さい。
幼馴染が熱を出した? どうせいつもの仮病でしょう?【完結】
小平ニコ
恋愛
「パメラが熱を出したから、今日は約束の場所に行けなくなった。今度埋め合わせするから許してくれ」
ジョセフはそう言って、婚約者である私とのデートをキャンセルした。……いったいこれで、何度目のドタキャンだろう。彼はいつも、体の弱い幼馴染――パメラを優先し、私をないがしろにする。『埋め合わせするから』というのも、口だけだ。
きっと私のことを、適当に謝っておけば何でも許してくれる、甘い女だと思っているのだろう。
いい加減うんざりした私は、ジョセフとの婚約関係を終わらせることにした。パメラは嬉しそうに笑っていたが、ジョセフは大いにショックを受けている。……それはそうでしょうね。私のお父様からの援助がなければ、ジョセフの家は、貴族らしい、ぜいたくな暮らしを続けることはできないのだから。
逆行令嬢は聖女を辞退します
仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。
死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって?
聖女なんてお断りです!
【完結】聖女召喚に巻き込まれたバリキャリですが、追い出されそうになったのでお金と魔獣をもらって出て行きます!
チャららA12・山もり
恋愛
二十七歳バリバリキャリアウーマンの鎌本博美(かまもとひろみ)が、交差点で後ろから背中を押された。死んだと思った博美だが、突如、異世界へ召喚される。召喚された博美が発した言葉を誤解したハロルド王子の前に、もうひとりの女性が現れた。博美の方が、聖女召喚に巻き込まれた一般人だと決めつけ、追い出されそうになる。しかし、バリキャリの博美は、そのまま追い出されることを拒否し、彼らに慰謝料を要求する。
お金を受け取るまで、博美は屋敷で暮らすことになり、数々の騒動に巻き込まれながら地下で暮らす魔獣と交流を深めていく。
異世界から本物の聖女が来たからと、追い出された聖女は自由に生きたい! (完結)
深月カナメ
恋愛
十歳から十八歳まで聖女として、国の為に祈り続けた、白銀の髪、グリーンの瞳、伯爵令嬢ヒーラギだった。
そんなある日、異世界から聖女ーーアリカが降臨した。一応アリカも聖女だってらしく傷を治す力を持っていた。
この世界には珍しい黒髪、黒い瞳の彼女をみて、自分を嫌っていた王子、国王陛下、王妃、騎士など周りは本物の聖女が来たと喜ぶ。
聖女で、王子の婚約者だったヒーラギは婚約破棄されてしまう。
ヒーラギは新しい聖女が現れたのなら、自分の役目は終わった、これからは美味しいものをたくさん食べて、自由に生きると決めた。
偽物と断罪された令嬢が精霊に溺愛されていたら
影茸
恋愛
公爵令嬢マレシアは偽聖女として、一方的に断罪された。
あらゆる罪を着せられ、一切の弁明も許されずに。
けれど、断罪したもの達は知らない。
彼女は偽物であれ、無力ではなく。
──彼女こそ真の聖女と、多くのものが認めていたことを。
(書きたいネタが出てきてしまったゆえの、衝動的短編です)
(少しだけタイトル変えました)
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
召喚聖女に嫌われた召喚娘
ざっく
恋愛
闇に引きずり込まれてやってきた異世界。しかし、一緒に来た見覚えのない女の子が聖女だと言われ、亜優は放置される。それに文句を言えば、聖女に悲しげにされて、その場の全員に嫌われてしまう。
どうにか、仕事を探し出したものの、聖女に嫌われた娘として、亜優は魔物が闊歩するという森に捨てられてしまった。そこで出会った人に助けられて、亜優は安全な場所に帰る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる