32 / 238
本編
第29話 無条件の受け入れと肯定
しおりを挟む
部屋を出たアゼリアは大きく伸びをして、砦の階段を登っていく。燃えるような赤毛はへーファーマイアー公爵家令嬢の証、騎士や警護の兵は一礼して道を譲った。
「ねえ、魔国サフィロスって寒いの? それとも暑い?」
世間話のようにアゼリアは、イヴリースへ質問した。自国に興味を持ってくれたのかと、魔王は微笑んで答える。
「そうだな。冬は極寒で凍りつくが、夏はここより涼しく過ごしやすい」
「良かったわ。私は暑いのが苦手なのよ。ドレスって何枚も生地が重なってるし、苦しいじゃない」
今のような乗馬服は、普段から着られない。公爵令嬢らしからぬ恰好で、王太子妃候補に相応しくない服装なのだ。苦笑いした彼女へ、数段の差を飛び越え、イヴリースは後ろから抱き締めた。
「舞踏会や夜会の夜以外は、好きな姿で過ごすといい。キツく腰を絞るコルセットも良いが、抱き心地は良くないからな」
くつくつと喉を鳴らして笑うイヴリースの腕の中で、驚いた顔のアゼリアが振り返った。予想外の言葉だ。魔国の貴族女性は、あんな拘束具に似た苦しい下着を身につけないのだろうか。
「いい、の? 装うのが仕事だって、そう言われたわ」
マナー講師も、ダンスの教師も、皆が口を揃えて「女性は着飾って、男性に愛される生き物」だと教え込んだ。男性上位の貴族社会で生きていくには、苦しくても骨が軋むほど絞ったコルセットを着け、足の皮が剥ける痛みに耐えながらヒールを履く。
赤毛も無理やり引っ詰めたのは、結わないのは下品だと蔑まれた。扇で顔を隠して、互いに嘘や虚栄で固めた笑顔を貼り付けて挨拶をかわす。それが貴族という種族だと諦めてきた。
「確かにドレス姿のそなたは美しいだろう。誰より目を引く淑女であろうが……余は自由なそなたが愛しい。柔らかなこの身体を、拷問具に近い正装で痛めつける趣味はないぞ」
不安定な階段の足場を気にせず、軽々とアゼリアを抱き上げた。左腕に座らせるように支えられ、咄嗟に目の前の青年の頭にしがみつく。
「こうして抱き上げても、豊かな胸を感じさせぬ無粋なコルセットなど要らぬ。そなたの鍛えた腰は、艶めかしくどこまでも美しいではないか」
「あ、りがと、う」
絞り出した声が震える。不思議と泣き出したい気持ちだった。誰もが「美しい」「美人」だと褒める。母カサンドラに似た面差しも、鮮やかな赤毛も、蜂蜜色の瞳も……無理やり作ったくびれとその上に乗る豊満な果実も、男女問わず褒めてくれた。
でも今まで聞いたどんな美辞麗句より、高額で輝く贈り物より胸に響く。ありのままを肯定し認めてもらえる。無条件で受け入れられることが、こんなに恥ずかしく、混乱させられる嬉しい感情だなんて知らなかった。
階段の上まで抜け、砦の頂上部分についた。高い塔から見えるのは栄えた街並みと、豊かな緑の森だ。王都へ向かう街道は、地を割る魔法が嘘のように整っていた。柔らかな風が吹き、イヴリースの長い黒髪を揺らす。
「よい風が吹く。土地の精霊との関係も良好なのであろうな」
魔法を日常的に扱う魔族にとって、精霊は身近な種族だった。姿を持たぬ存在だが、確かに存在する。そんな彼らが吹かせる風は、どこまでも心地よかった。この土地の住人が、誠実に大地と向き合い、風や水と共存している証拠だ。
癖のない真っ直ぐな黒髪を弄ぶ精霊が見えるのか、イヴリースは黒曜石の瞳を細めた。途端に穏やかな一面が垣間見える。
どきどきしながら、アゼリアは胸の高さにあるイヴリースの頭を抱き寄せた。
「すまない、怖がらせたか?」
不安定さを嫌った行為と考えたイヴリースが下ろそうと動くが、アゼリアは首を横に振ってさらに腕に力を込める。
「もう、すこし。このままで」
再び風が吹く。初めての恋に戸惑う2人を祝福するように、精霊達は穏やかだった。
「ねえ、魔国サフィロスって寒いの? それとも暑い?」
世間話のようにアゼリアは、イヴリースへ質問した。自国に興味を持ってくれたのかと、魔王は微笑んで答える。
「そうだな。冬は極寒で凍りつくが、夏はここより涼しく過ごしやすい」
「良かったわ。私は暑いのが苦手なのよ。ドレスって何枚も生地が重なってるし、苦しいじゃない」
今のような乗馬服は、普段から着られない。公爵令嬢らしからぬ恰好で、王太子妃候補に相応しくない服装なのだ。苦笑いした彼女へ、数段の差を飛び越え、イヴリースは後ろから抱き締めた。
「舞踏会や夜会の夜以外は、好きな姿で過ごすといい。キツく腰を絞るコルセットも良いが、抱き心地は良くないからな」
くつくつと喉を鳴らして笑うイヴリースの腕の中で、驚いた顔のアゼリアが振り返った。予想外の言葉だ。魔国の貴族女性は、あんな拘束具に似た苦しい下着を身につけないのだろうか。
「いい、の? 装うのが仕事だって、そう言われたわ」
マナー講師も、ダンスの教師も、皆が口を揃えて「女性は着飾って、男性に愛される生き物」だと教え込んだ。男性上位の貴族社会で生きていくには、苦しくても骨が軋むほど絞ったコルセットを着け、足の皮が剥ける痛みに耐えながらヒールを履く。
赤毛も無理やり引っ詰めたのは、結わないのは下品だと蔑まれた。扇で顔を隠して、互いに嘘や虚栄で固めた笑顔を貼り付けて挨拶をかわす。それが貴族という種族だと諦めてきた。
「確かにドレス姿のそなたは美しいだろう。誰より目を引く淑女であろうが……余は自由なそなたが愛しい。柔らかなこの身体を、拷問具に近い正装で痛めつける趣味はないぞ」
不安定な階段の足場を気にせず、軽々とアゼリアを抱き上げた。左腕に座らせるように支えられ、咄嗟に目の前の青年の頭にしがみつく。
「こうして抱き上げても、豊かな胸を感じさせぬ無粋なコルセットなど要らぬ。そなたの鍛えた腰は、艶めかしくどこまでも美しいではないか」
「あ、りがと、う」
絞り出した声が震える。不思議と泣き出したい気持ちだった。誰もが「美しい」「美人」だと褒める。母カサンドラに似た面差しも、鮮やかな赤毛も、蜂蜜色の瞳も……無理やり作ったくびれとその上に乗る豊満な果実も、男女問わず褒めてくれた。
でも今まで聞いたどんな美辞麗句より、高額で輝く贈り物より胸に響く。ありのままを肯定し認めてもらえる。無条件で受け入れられることが、こんなに恥ずかしく、混乱させられる嬉しい感情だなんて知らなかった。
階段の上まで抜け、砦の頂上部分についた。高い塔から見えるのは栄えた街並みと、豊かな緑の森だ。王都へ向かう街道は、地を割る魔法が嘘のように整っていた。柔らかな風が吹き、イヴリースの長い黒髪を揺らす。
「よい風が吹く。土地の精霊との関係も良好なのであろうな」
魔法を日常的に扱う魔族にとって、精霊は身近な種族だった。姿を持たぬ存在だが、確かに存在する。そんな彼らが吹かせる風は、どこまでも心地よかった。この土地の住人が、誠実に大地と向き合い、風や水と共存している証拠だ。
癖のない真っ直ぐな黒髪を弄ぶ精霊が見えるのか、イヴリースは黒曜石の瞳を細めた。途端に穏やかな一面が垣間見える。
どきどきしながら、アゼリアは胸の高さにあるイヴリースの頭を抱き寄せた。
「すまない、怖がらせたか?」
不安定さを嫌った行為と考えたイヴリースが下ろそうと動くが、アゼリアは首を横に振ってさらに腕に力を込める。
「もう、すこし。このままで」
再び風が吹く。初めての恋に戸惑う2人を祝福するように、精霊達は穏やかだった。
10
お気に入りに追加
3,696
あなたにおすすめの小説
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
その聖女、娼婦につき ~何もかもが遅すぎた~
ノ木瀬 優
恋愛
卒業パーティーにて、ライル王太子は、レイチェルに婚約破棄を突き付ける。それを受けたレイチェルは……。
「――あー、はい。もう、そういうのいいです。もうどうしようもないので」
あっけらかんとそう言い放った。実は、この国の聖女システムには、ある秘密が隠されていたのだ。
思い付きで書いてみました。全2話、本日中に完結予定です。
設定ガバガバなところもありますが、気楽に楽しんで頂けたら幸いです。
R15は保険ですので、安心してお楽しみ下さい。
異世界から本物の聖女が来たからと、追い出された聖女は自由に生きたい! (完結)
深月カナメ
恋愛
十歳から十八歳まで聖女として、国の為に祈り続けた、白銀の髪、グリーンの瞳、伯爵令嬢ヒーラギだった。
そんなある日、異世界から聖女ーーアリカが降臨した。一応アリカも聖女だってらしく傷を治す力を持っていた。
この世界には珍しい黒髪、黒い瞳の彼女をみて、自分を嫌っていた王子、国王陛下、王妃、騎士など周りは本物の聖女が来たと喜ぶ。
聖女で、王子の婚約者だったヒーラギは婚約破棄されてしまう。
ヒーラギは新しい聖女が現れたのなら、自分の役目は終わった、これからは美味しいものをたくさん食べて、自由に生きると決めた。
婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。
幼馴染が熱を出した? どうせいつもの仮病でしょう?【完結】
小平ニコ
恋愛
「パメラが熱を出したから、今日は約束の場所に行けなくなった。今度埋め合わせするから許してくれ」
ジョセフはそう言って、婚約者である私とのデートをキャンセルした。……いったいこれで、何度目のドタキャンだろう。彼はいつも、体の弱い幼馴染――パメラを優先し、私をないがしろにする。『埋め合わせするから』というのも、口だけだ。
きっと私のことを、適当に謝っておけば何でも許してくれる、甘い女だと思っているのだろう。
いい加減うんざりした私は、ジョセフとの婚約関係を終わらせることにした。パメラは嬉しそうに笑っていたが、ジョセフは大いにショックを受けている。……それはそうでしょうね。私のお父様からの援助がなければ、ジョセフの家は、貴族らしい、ぜいたくな暮らしを続けることはできないのだから。
逆行令嬢は聖女を辞退します
仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。
死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって?
聖女なんてお断りです!
家族と移住した先で隠しキャラ拾いました
狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
「はい、ちゅーもーっく! 本日わたしは、とうとう王太子殿下から婚約破棄をされました! これがその証拠です!」
ヴィルヘルミーネ・フェルゼンシュタインは、そう言って家族に王太子から届いた手紙を見せた。
「「「やっぱりかー」」」
すぐさま合いの手を入れる家族は、前世から家族である。
日本で死んで、この世界――前世でヴィルヘルミーネがはまっていた乙女ゲームの世界に転生したのだ。
しかも、ヴィルヘルミーネは悪役令嬢、そして家族は当然悪役令嬢の家族として。
ゆえに、王太子から婚約破棄を突きつけられることもわかっていた。
前世の記憶を取り戻した一年前から準備に準備を重ね、婚約破棄後の身の振り方を決めていたヴィルヘルミーネたちは慌てず、こう宣言した。
「船に乗ってシュティリエ国へ逃亡するぞー!」「「「おー!」」」
前世も今も、実に能天気な家族たちは、こうして断罪される前にそそくさと海を挟んだ隣国シュティリエ国へ逃亡したのである。
そして、シュティリエ国へ逃亡し、新しい生活をはじめた矢先、ヴィルヘルミーネは庭先で真っ黒い兎を見つけて保護をする。
まさかこの兎が、乙女ゲームのラスボスであるとは気づかづに――
神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜
星井柚乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」
「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」
(レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)
美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。
やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。
* 2023年01月15日、連載完結しました。
* ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました!
* 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。
* この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。
* ブクマ、感想、ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる