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本編

第29話 無条件の受け入れと肯定

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 部屋を出たアゼリアは大きく伸びをして、砦の階段を登っていく。燃えるような赤毛はへーファーマイアー公爵家令嬢の証、騎士や警護の兵は一礼して道を譲った。

「ねえ、魔国サフィロスって寒いの? それとも暑い?」

 世間話のようにアゼリアは、イヴリースへ質問した。自国に興味を持ってくれたのかと、魔王は微笑んで答える。

「そうだな。冬は極寒で凍りつくが、夏はここより涼しく過ごしやすい」

「良かったわ。私は暑いのが苦手なのよ。ドレスって何枚も生地が重なってるし、苦しいじゃない」

 今のような乗馬服は、普段から着られない。公爵令嬢らしからぬ恰好で、王太子妃候補に相応しくない服装なのだ。苦笑いした彼女へ、数段の差を飛び越え、イヴリースは後ろから抱き締めた。

「舞踏会や夜会の夜以外は、好きな姿で過ごすといい。キツく腰を絞るコルセットも良いが、抱き心地は良くないからな」

 くつくつと喉を鳴らして笑うイヴリースの腕の中で、驚いた顔のアゼリアが振り返った。予想外の言葉だ。魔国の貴族女性は、あんな拘束具に似た苦しい下着を身につけないのだろうか。

「いい、の? 装うのが仕事だって、そう言われたわ」

 マナー講師も、ダンスの教師も、皆が口を揃えて「女性は着飾って、男性に愛される生き物」だと教え込んだ。男性上位の貴族社会で生きていくには、苦しくても骨が軋むほど絞ったコルセットを着け、足の皮が剥ける痛みに耐えながらヒールを履く。

 赤毛も無理やり引っ詰めたのは、結わないのは下品だと蔑まれた。扇で顔を隠して、互いに嘘や虚栄で固めた笑顔を貼り付けて挨拶をかわす。それが貴族という種族だと諦めてきた。

「確かにドレス姿のそなたは美しいだろう。誰より目を引く淑女であろうが……余は自由なそなたがいとしい。柔らかなこの身体を、拷問具に近い正装で痛めつける趣味はないぞ」

 不安定な階段の足場を気にせず、軽々とアゼリアを抱き上げた。左腕に座らせるように支えられ、咄嗟に目の前の青年の頭にしがみつく。

「こうして抱き上げても、豊かな胸を感じさせぬ無粋なコルセットなど要らぬ。そなたの鍛えた腰は、艶めかしくどこまでも美しいではないか」

「あ、りがと、う」

 絞り出した声が震える。不思議と泣き出したい気持ちだった。誰もが「美しい」「美人」だと褒める。母カサンドラに似た面差しも、鮮やかな赤毛も、蜂蜜色の瞳も……無理やり作ったくびれとその上に乗る豊満な果実も、男女問わず褒めてくれた。

 でも今まで聞いたどんな美辞麗句より、高額で輝く贈り物より胸に響く。ありのままを肯定し認めてもらえる。無条件で受け入れられることが、こんなに恥ずかしく、混乱させられる嬉しい感情だなんて知らなかった。

 階段の上まで抜け、砦の頂上部分についた。高い塔から見えるのは栄えた街並みと、豊かな緑の森だ。王都へ向かう街道は、地を割る魔法が嘘のように整っていた。柔らかな風が吹き、イヴリースの長い黒髪を揺らす。

「よい風が吹く。土地の精霊との関係も良好なのであろうな」

 魔法を日常的に扱う魔族にとって、精霊は身近な種族だった。姿を持たぬ存在だが、確かに存在する。そんな彼らが吹かせる風は、どこまでも心地よかった。この土地の住人が、誠実に大地と向き合い、風や水と共存している証拠だ。

 癖のない真っ直ぐな黒髪を弄ぶ精霊が見えるのか、イヴリースは黒曜石の瞳を細めた。途端に穏やかな一面が垣間見える。

 どきどきしながら、アゼリアは胸の高さにあるイヴリースの頭を抱き寄せた。

「すまない、怖がらせたか?」

 不安定さを嫌った行為と考えたイヴリースが下ろそうと動くが、アゼリアは首を横に振ってさらに腕に力を込める。

「もう、すこし。このままで」

 再び風が吹く。初めての恋に戸惑う2人を祝福するように、精霊達は穏やかだった。
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